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旧優生保護法が教えること

印刷ページ表示 更新日:2022年9月1日更新

TOKYO人権 第95号(令和4年8月31日発行)

特集

 本人の意思が問われることなく、子どもを産み育てる生き方を法律によって絶たれた人たちがいます。1948年から96年まで約50年間にわたり施行されていた旧優生保護法の下、特定の障害や疾患などのある約2万5千人に対し、「優生手術」という名目で不妊手術が行われていました。そのうち約1万6500人は、手続き上本人の了解を必要としない強制的な手術だったとされています※1。なぜこのようなことが起きていたのでしょうか。生命倫理学が専門で立命館大学副学長の松原洋子(まつばら・ようこ)さんに聞きました。​

「出生が望ましい人」と「そうではない人」の区別

 旧優生保護法は、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する(第1条)」という目的を掲げて制定されました。この法律の適用を受けて不妊手術の対象となったのは、遺伝性の身体疾患や精神障害、知的障害のある人などで、特に未成年や精神障害者、知的障害者については、本人の承諾なく不妊手術ができるとされていました。旧優生保護法ができた背景について、松原さんは、「敗戦後の混乱で、『日本が文化国家になるには、人口の量以上に質が大事だ』という意識が強くなっていた」と指摘し、「国の発展を妨げる子孫を生んではいけないという『優生思想』に基づき、社会から逸脱するような行動をとる『質としては良くない集団』と当時見なされた人々が、この法律を適用され、手術を受けさせられた」と説明します。

「過ち」として捉える動き

 2018年、宮城県の60代と70代の女性が、知的障害を理由に不妊手術を受けさせられたとして国を訴えました(1審で請求棄却)。「これを機に、都道府県が所有していた、被害に関する公文書が次々に開示請求され、被害の実態が明らかになり、旧優生保護法が人権侵害法だとする世論が高まった」と松原さんは話します。
 2018年以前の動きの重要性についても、松原さんは次のように説明します。「1970年代から当事者団体によって『旧優生保護法の“優生”はナチスと同様の優生思想に基づくものだ』といった抗議運動が行われていました。旧優生保護法の優生思想は、80年代以降も女性や障害者たちによって批判されてきましたが、一般にはあまり知られないまま優生条項が削除され、96年に母体保護法になりました。しかし、旧優生保護法下での強制的な不妊手術や中絶の実態が明らかにされないままの改正であったため、問題の風化が危ぶまれました。97年に、北欧で過去に強制的な不妊手術が行われていたと報じられたことを契機に、強制不妊手術の実態解明を目指す障害者と市民の団体が結成され、被害の当事者とともに調査や政府・自治体との交渉が粘り強く続けられてきました。また、障害者団体が中心となって国連に働きかけ、98年には国連人権委員会から日本政府に強制不妊への補償に対する勧告が出されています。このような活動が、2018年からの国家賠償請求につながったと考えています」。
 市民や当事者団体が中心になって息の長い運動が続けられてきた結果、旧優生保護法を「過ち」として捉える世論が高まってきたと言えます※2。

優生思想を警戒し尊厳を守る

 旧優生保護法が効力を持たなくなったからといって、約50年間も存在していた法律が根拠としてきた「優生思想」を社会の隅々から直ちに除去できるかというと、残念ながらそうとも言い切れません。「旧優生保護法下の当時、家族から強く勧められ手術に至った例も少なくありませんでした。国の優生政策の枠組みの中で、身近なところで優生思想を具体的な形にしてしまう、実行に移してしまうということが起こってきた」と松原さんは指摘します。
 「『他と比べてこちらの方が良い』といった願望は、優生思想とイコールではありません。例えば、丈夫な子どもが欲しいとか、無事に生まれて欲しい、病気の子どもに早く元気になって欲しいと言った素朴な願望はあるでしょう。それを直ちに優生思想とみなす必要はありません。ただ、それが一種の道徳的基準となり、自分を強く縛ったり、他人に対してこうすべきだとか、『こういった子どもは生まれるべきではない』などといった議論に進んだりする場合は、優生思想と言えます」と強調した上で、松原さんは「正しさ」について、次のように提案します。「自分が直感的に感じる『正しさ』を、社会的・歴史的な背景、色々な人の多様な受け止め方を知って、広い視点で捉えること、客観的に見直してみることの大切さを、よく知って欲しいと思います」。
 「正しさ」をめぐって議論を尽くしていくことで、人の権利を尊重する態度が形成され、尊厳が守られていくのかもしれません。保護者、医療従事者、国などが、権威性を根拠に人の権利を奪うことは、あってはならないのです。

 

松原洋子さん写真

松原 洋子(まつばら・ようこ)さん

インタビュー・執筆 吉田 加奈子(東京都人権啓発センター専門員)

 


※1 手術件数出典は、1949~1952年:「衛生年報」(厚生省)、1953年:「昭和50年度 優生保護法指定医師研修会資料」(主催:厚生省協力:日本母性保護医協会)、1954~1959年:「衛生年報」(厚生省)、1960~1995年:「優生保護統計報告」(厚生省)、1996年:「母体保護統計報告」(厚生省)より。
※2 2019年4月、一時金320万円を被害者に支給する救済法が議員立法で成立、施行された。国の賠償責任をめぐる裁判で、2022年2月の大阪高裁判決、3月の東京高裁で国への賠償命令が2件出ている。国による最高裁への上告を受け、除斥期間の法律上の解釈・適用に関しては係争中(2022年8月現在)。