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救いとしての「絶望名言」―弱さやつらさを支える文学

印刷ページ表示 更新日:2022年2月7日更新

TOKYO人権 第83号(2019年11月25日発行)

インタビュー

救いとしての「絶望名言」―弱さやつらさを支える文学

 大学生のときに、難病「潰瘍性大腸炎(かいようせいだいちょうえん)」と診断された頭木弘樹さん。入退院を繰り返すなかで、カフカの小説『変身』などの文学作品に傾倒し、絶望した心を救われました。その経験から、「文学紹介者」として、絶望と文学をテーマに出版活動を行い、NHKのラジオ番組にも出演中です。頭木さんの言う「絶望名言」とはどのようなものか。難病を経験して感じた社会のあり方や、弱さやつらさを抱えた人たちの支えとなるものは何かについてお聞きしました。

PROFILE

頭木弘樹さん顔写真

頭木(かしらぎ) 弘樹(ひろき)
文学紹介者

筑波大学卒業。大学3年で潰瘍性大腸炎と診断され、13年間入退院を繰り返す。闘病中にカフカやドストエフスキーによる文学が救いとなった経験から、文学紹介者として出版活動を行う。2016年より、NHKラジオ「ラジオ深夜便」に出演中。著書に『NHKラジオ深夜便 絶望名言』(飛鳥新社)、『ミステリー・カット版 カラマーゾフの兄弟』(春秋社)など多数。

潰瘍性大腸炎と診断されたときのことを教えてください。

写真:インタービューを受ける頭木さん

 僕は、大学3年の20歳のときに潰瘍性大腸炎と診断されました。下痢や下血が続いていることをおかしいなと思いながらも、命に関わる病気と診断されることが怖くて、病院できちんとした診察を受けずにいました。しかし、我慢しているうちにどんどん出血量が増え、激しい腹痛を起こすようになり、結局、友人に担ぎ込まれるようにして病院に連れて行かれ、そのまま入院することになったのです。

 潰瘍性大腸炎は、厚生労働省指定の「難病」です。症状の現れ方は個人差が大きく、軽い薬で大腸の炎症を抑え、普通の暮らしができる人もいれば、薬が効かず寝たきりの状態になる人もいます。僕の場合は強い薬が効いて一時的に炎症が治まるのですが、副作用が多いので薬の量を減らすと、また炎症が起きてしまうタイプでした。今は手術をし、服薬しながら一人で社会生活を送ることができていますが、入院当初は医師に「就職も大学院進学も諦め、親に面倒を見てもらうしかない」と宣告され、実際、13年間、入退院を繰り返すことになったのです。

絶望して倒れたままの期間をどう過ごすか

 例えば、風邪ならたいていそのうち治りますし、軽い失恋ならやがて時間が解決するでしょう。しかし、「一生治らない」と宣告されたとき、大学の友人には将来の選択肢がたくさんあるのに、僕の選択肢はゼロになってしまいました。自分のなかで絶望と向き合うことが始まった瞬間でした。

 ここで、注意しておきたいのが「絶望」に対するイメージについてです。おそらく多くの人が「絶望をしてもいつかは立ち直り、希望を持てる」と信じていると思うのです。

 この「絶望」→「立ち直り」のイメージが強すぎる場合、悩みが解決しないと本人は苦しむわけです。周りの人も、最初は時間をかけて立ち直らせようとしますが、なかなか立ち直らないと「いつまで落ち込んでいるんだ」と怒り出します。それでもまだ落ち込んでいると、今度は「前を向け」と言って立ち直りを促そうとします。こうした励まし方は急ぎ過ぎだと思うのです。

 人には「絶望」か「立ち直り」のどちらかだけではなく、絶望して倒れたままになる期間があります。この期間をどう過ごすのかが本人にとっては一番難しいのです。

絶望の期間に頭木さんの支えになったものは?

 ぼくは人生に必要な能力を、なにひとつ備えておらず、ただ人間的な弱みしか持っていない。無能、あらゆる点で、しかも完璧に。(カフカ)『NHKラジオ深夜便 絶望名言』より

 入院したときに思い出したのが、カフカ(注1)の小説『変身』です。中学生の夏休みの課題で読書感想文を書くことになり、ページ数が少ないという理由だけで選んだ本でした。そもそも私は読書が好きではなかったので(笑)。主人公がある日、突然虫になり、外にも出られず、家族に面倒を見てもらうという突飛な話なのですが、まさに難病になって入院した自分そのものではありませんか。親に頼んで家から本を持ってきてもらい、改めて読み返してみたら、もう涙なしには読めないドキュメンタリーでした。引きこもる主人公や、主人公の世話で次第に疲れていく家族の気持ちなどが本当にリアルに書かれています。『変身』は引きこもりの小説であり、介護や難病の小説でもあったのです。

 それからカフカの他の小説も読んでみると、どれも自分の気持ちにしっくり来るものばかりでした。例えば『フェリーツェへの手紙』に「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」という言葉が出てくるのですが、あまりにもネガティブで、かえって笑えてこないでしょうか?

 僕にとってカフカはもはや「絶望の名人」であり、そんなふうに見出した「絶望に寄り添う言葉」がすなわち「絶望名言」なのです。

 不幸には漏れなく孤独がついてくるもので、不幸が激しいほど孤独も深くなっていきます。そんなとき、本の中に「これは自分の気持ちを分かっている言葉だ」と思えるものがあると、心がほどけるというか、少し救われる感じがするのです。

「文学紹介者」として活動するきっかけを教えてください

 絶え間のない悲しみ、ただもう悲しみの連続。(ドストエフスキー)

 カフカの次に選んだのがドストエフスキー(注2)。一度、難しくて読みにくいといわれる『カラマーゾフの兄弟』に挑戦して、挫折したことがありました。

 入院中なら何となく読める気がして『カラマーゾフの兄弟』を手に取ってみたところ、これがもう、読みやすいことこの上なかったのです。僕自身が難病になり、解決しない問題を頭の中でくどくどと反すうしていたので、その気持ちに文章がマッチしたのでしょう。その上、登場人物が全員悩んでいるので、悩みの尽きない僕にとっては大変心地よかった。

 そうして夢中になって読んでいたら、同じ病室に入院していた50代の男性に「自分が苦しいときに、よくそんな本読めるね」と言われました。

 その男性は会社員で、入院した当初は「日本経済新聞」を読んでいた方です。その人が「読んでみたい」というので『カラマーゾフの兄弟』を貸しましたが、僕は男性が「本を読むのが苦手」と話していたのを知っていたので、すぐにやめると思っていました。ところが、驚いたことに彼は熱心に読み続けたのです。すると、同じ6人部屋に入院していた他の4人も「そんなに面白いなら自分も」と、いつの間にか6人全員でドストエフスキーの本を読むようになりました。やがて、うわさを聞いた他の病室の方も次々と借りに来るようになり、「読んでよかった」と礼状までいただくこともありました。

 僕は、「紹介者さえいればこうした文学を必要とする人が必ずいるのだ」と感じたのです。体験記や闘病記をいくら読んでも出会うことができなかった絶望に寄り添う言葉が、文学の中にあったのです。これが、僕が「文学紹介者」としての活動を志したきっかけです。

退院後の出版活動やラジオ出演について教えてください。

 2011年10月に『絶望名人カフカの人生論』(新潮文庫)を出版しました。カフカの日記やノート、手紙につづられた絶望や 愚痴(ぐち) 、自虐(じぎゃく)の言葉を集めた内容で、読者からの反響もありました。こうした活動がNHKの「ラジオ深夜便」のディレクターの目に留まり、出演のお話をいただきました。最初はゲストでしたが、2016年から同番組内の「絶望名言」と「絶望名言ミニ」というコーナーにレギュラー出演しています。深夜というか夜が明ける前というか、独特の時間帯に、絶望したときの気持ちをぴたりと言い表した文学作品の言葉や、文豪の名言を紹介する内容で、リスナーの方たちからは好意的な反響をいただいています。2018年には書籍化もされました。

 そもそも、『絶望名人カフカの人生論』を出版するときに、出版社からタイトルや出版時期の変更を打診されました。東日本大震災の被災者の方々に配慮する必要があったためです。一方で、僕は入院生活を送る中で、絶望と孤独がともにあることを知りました。きっと被災地の皆さんも孤独を抱えているのではないかと考え、むしろ出版すべきだと判断しました。批判も覚悟の上でしたが、ありがたいことに、被災地の方から「とてもよかった」と、たくさんのはがきや手紙をいただきました。絶望の文学はこうした方々に寄り添う言葉でもあったのだと思いました。

難病と人権についてのお考えをお聞かせください。

 人間は、何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負って、それでも、堪えて、そ知らぬふりをして生きているのではないのか。(太宰治『火の鳥』)

写真:頭木さん

 難病には様々な種類があり、障害者総合支援法が適用される疾病もあります。潰瘍性大腸炎の場合は症状の程度によるのですが、症状が軽い方の中には「障害者といわれるのがいやだから、国に難病指定を外してほしい」とおっしゃる方がいます。「病人」「障害者」というだけで社会から差別を受けることもあるのだと改めて思い知りました。ときとして、支援を必要とすることが「弱さ」として非難されることもあります。

 でも考えてみて下さい。世の中には絶望とは無縁の人たちもいますが、人間として「弱さ」を持っていない人はいません。

 弱さを別の価値で担保するのではなく、弱くてもいいと認め合う。弱さを認め、弱さを含んでいることが社会にとってマイナスではなく、様々な人びと、存在を包み込んでいることにこそ価値があるということを見出してほしいのです。

 これは決して難病に限ったことではありません。障害のある人や、介護を必要とする高齢者、ほかにも様々な支援を必要とする人がいます。そうした存在を含めてこの社会はあるわけですから、人権が尊重される社会というのは、弱い人が弱いまま生きられる社会なのだと思います。

 そして、そんな人を支えるものの一つとして文学がある。僕はそこに寄り添う言葉や作品を今後も紹介していきたいと思っています。


(注1)フランツ・カフカ
チェコの古都プラハに生まれたドイツ語作家。代表作に『変身』『審判』『城』など。

(注2)フョードル・ドストエフスキー
ロシアの小説家。代表作に『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『白痴』『悪霊』など。


インタビュー/坂井新二(東京都人権啓発センター 専門員)
編集/小松 亜子
撮影/加藤 雄生