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高齢者やがん患者が「自分らしく生きる」ことを支える場所をつくる

印刷ページ表示 更新日:2022年2月7日更新

TOKYO人権 第82号(2019年7月31日発行)

インタビュー

高齢者やがん患者が「自分らしく生きる」ことを支える場所をつくる
「暮らしの保健室」と「マギーズ東京」

 新宿区にある都営戸山ハイツは約3,400世帯、6,000人が暮らす大規模団地です。団地内の高齢化率は50%を超え、うち4割以上が一人暮らし世帯と言われています。その戸山ハイツに、2011年「暮らしの保健室」を開設したのが、20年以上にわたり訪問看護に力を注いできた秋山正子さんです。2016年にはがん患者と家族のための「マギーズ東京」を設立するなど、さまざまな課題に向き合ってきた秋山さんにお話をうかがいました。

PROFILE

秋山正子さん顔写真

秋山(あきやま) 正子(まさこ)
認定NPO法人マギーズ東京共同代表理事
(株)ケアーズ・白十字訪問看護ステーション代表取締役

1950年、秋田県生まれ。聖路加看護大学卒。助産師、看護教員としての勤務を経験。実姉の在宅療養を機に、訪問看護の重要性に気づき、訪問看護の道へ。認定NPO法人マギーズ東京共同代表理事およびマギーズ東京センター長、(株)ケアーズ・白十字訪問看護ステーション代表取締役所長、NPO法人白十字在宅ボランティアの会理事長、東京女子医科大学非常勤講師などを兼務。著書に『つながる・ささえる・つくりだす在宅現場の地域包括ケア』(医学書院)などがある。2019年、第47回フローレンス・ナイチンゲール記章受章。

訪問看護という仕事を選んだ理由と、訪問看護のニーズについてお聞かせください。

 私が16歳のとき、がんだった私の父は自宅で息を引き取りました。私が看護の道を選んだのは「父に何もできなかった」との思いがあったからです。

 1970年代、日本は第二次ベビーブームの時代でしたから、私は助産師の資格も取得し、人が生まれる現場で臨床経験を積みました。その後、看護学校で教員をしていた1989年、今度は2つ上の姉が41歳でがんと診断されたのです。しかも、進行が早いがんで、医師から告げられた余命は1か月。そのときに私が考えたことは、いかに症状を緩和しながら家で過ごすかということでした。当時は、在宅医療や在宅ケアの仕組みが整っておらず、末期がんの姉を家に連れて帰るのは無謀に近いことでした。しかし、実際に家に連れて帰ったところ、1か月と言われた寿命が5か月近くも延びたのです。そんな姉の姿を通して、私は、末期がんであっても暮らし慣れた環境に身を置き、家族や親しい人と一緒の時間を過ごすことが、どれほど大切なことかを実感しました。また、同様の状況に直面している人が、他にもたくさんいるに違いないと思い、病院で患者さんを待つ看護師ではなく、患者さんの生活の場に出向く看護師になろうと思ったのです。

訪問看護と病院で行う看護の違いとは? また、近年における在宅ケアの傾向とは?

 看護師のフィールドである病院に、患者さんが来るのが病院での看護です。看護師にとっては自分のホームグラウンドで看護をするわけですから、患者さんにとっては「アウェー」な状況になります。一方、私たち看護師が患者さんのホームグラウンドである自宅を訪ね、許可を得た上で中に入れてもらうのが訪問看護です。訪問看護では、患者さんの日常や流儀を尊重しながらの個別ケアになりますから、あくまでもオーダーメイドの看護といえます。

 基本的な医療行為(バイタルサインのチェック、注射、傷の処置など)は、病院でも在宅でも同様なのですが、訪問看護では患者さんの家にあるものを使わせていただくこともあるし、部屋が狭かったり、散らかっていることもあります。つまり、どんな環境であっても、その環境の中で、その患者さんを主体としたケアを組み立てていく点が大きな違いといえるでしょう。また、訪問看護のほうが、患者さんは多少わがままであることを含めて、圧倒的に「自分らしく」いられます。

 そもそも1950年代までは、ほとんどの人が自宅で看取られていましたが、徐々に病院死が増え、2000年ごろには病院死が8割、在宅死が2割を切るようになりました。それと同時に「病院で最期を迎えることは本当にいいことなのか?」「最期まで自分らしくいられる環境で過ごすほうががいいのではないか?」という議論がされるようになったのです。

写真:インタービューを受ける秋山さん
撮影/細谷聡

どのような理由から「暮らしの保健室」を開設したのですか。

 末期がんの姉を家に連れ帰った際、訪問看護の制度がない中で、私たちの家まで来てくださっていたのが、当時、新宿区市ヶ谷本村町にあった白十字診療所の医師と看護師の皆さんでした。姉を看取った後、訪問看護ステーション制度(注1)ができた1992年から、私はそこに籍を置き、訪問看護の仕事をするようになったのです。新宿区内には、1970年代にできたマンモス団 地、都営戸山ハイツアパート(以下、戸山ハイツ)があり、そこには訪問看護を必要とする高齢者がたくさんいらっしゃいました。そんな中、諸事情により、白十字診療所が閉鎖されることになったのです。でも、私としてはそれまでと同じように、同じ地域で訪問看護を続けたいと思い、2001年に会社を設立し、ケアーズ白十字訪問看護ステーションとして、活動を継承しました。

 訪問看護は、医療ニーズのある人が利用対象ですから、さまざまな病において症状が重めの人が多いわけです。そういう皆さんと接する中で、私は「もう少し手前から関わることができていたら、もっと穏やかな経過をたどれたのに」と思うことが幾度となくありました。それで、病状や年齢に関係なく、誰でも気軽に立ち寄れて、病気のことや生活の困りごとを相談できるような場所をつくりたいと思うようになり、その思いをシンポジウムなどでお話ししました。そんな中、私の思いに賛同くださった方が、戸山ハイツがある団地内の空き店舗を安く貸すと言ってくださり、2011年7月、そこを「暮らしの保健室」という名前でオープンさせたのです。

開設から今日までの歩みと、現在の運営状況についてお聞かせください。

 戸山ハイツの高齢化率と独居率は、いずれも5割前後と高く、地域の特性ともいえるでしょう。そんな場所にできた「暮らしの保健室」のニーズは、オープン当初から非常に高いものでした。機能を一言で言えば医療相談に限らず、暮らしの中での困りごとなど、さまざまな相談ができる場所、ということになりますが、現在、その役割はさらに多岐にわたります。(1)生活や健康に関する相談窓口。利用無料で予約不要です。相談内容に応じて、専門職(看護師、薬剤師、栄養士、カウンセラー)が対応しています。相談件数は年間で800件に上ります。(2)なじみの顔と過ごせる居場所。孤立化を予防するために、アクティビティやおしゃべり、食事会などを開いています。(3)世代間交流の場。大学生ボランティアを巻き込むことで、高齢者と若い世代の間に会話が生まれ、つながりが生まれます。(4)地域ボランティアの育成の場。現在、住民ボランティアは約30人。1日2〜5人体制になるようシフトを組んで対応しています。中には利用者からボランティアになる方もいらっしゃいます。(5)医療や介護、福祉の連携の場。在宅医、病棟医、歯科医師、薬剤師、訪問看護師、病棟看護師、弁護士、高齢者福祉課の職員、地域包括支援センターの職員など、多様な分野からのプロフェッショナルが連携し、課題解決に臨んでいます。(6)在宅医療や病気予防の学びの場。市民公開講座や専門職向けの勉強会などを開催しています。

 戸山ハイツと同じ特性を持つ地域は、全国各地にあり、「暮らしの保健室」の取り組みを参考にしようと、これまでに多くの方々が見学にいらしています。その結果、「暮らしの保健室」と同様の機能を持った場所が、現在、全国に50か所以上あり、これは今後も増えていくものと思われます。

一方で、2016年には江東区豊洲にがん患者のための「マギーズ東京」をオープンさせましたね。

 イギリス発祥の「マギーズセンター」(注2)は、がん患者とその家族、あるいは友人などが気軽に訪れ、ゆっくりお茶を飲みながら安心して話ができる、とても居心地のよい場所です。2008年に、この存在を知ったとき、私は「これは日本にも必要だ」と思い、イギリスまで見学しに行き、その思いを強くしました。しかし、同様のものを日本につくるには、乗り越えなくてはならない壁が多かった。なので、まず先行して同様の考え方に基づいた「暮らしの保健室」をつくったのです。両者に共通しているのは、予約がいらないこと、無料であること、内容に応じて専門職が対応すること、の3点に集約できます。

 その後も、がん患者とその周囲の人のための居場所が必要だという思いはずっと持っていました。そんなとき、2014年に、日本テレビの記者であった鈴木美穂さんに出会ったのです。彼女は24歳のときに乳がんと診断され、休職しながら治療をしていた当事者で、彼女もまた、日本にマギーズセンターをつくりたいと願う1人でした。マスコミ業界ならではの人脈や行動力を持つ彼女と、訪問看護の経験や看護師としての専門性を持つ私が出会ったことで、急速に話が進み、2016年に「マギーズ東京」をオープンさせることができたのです。

どのような方が「マギーズ東京」を利用するのですか?

 がんと診断されると、本人も周囲も「死」をイメージし、絶望してしまうことが多いのですが、実際には、今日の全がんにおける10年生存率は58%で、乳がん、前立腺がんにおいては90%を超えます。しかし、これは、裏を返せば、「がんと共に生きる時間が長くなった」ともいえるわけで、再発や転移の不安や恐れを抱きながら生きる人が増えたということでもあるのです。実際、開設してから今日までの2年半の間に約15,000人の方がマギーズに足を運んでいます。

 がんに伴う悩みは、他の病よりも悩みの幅が広く深いと思います。例えば、治療に専念するために会社を辞めた人は、治療を終えて再就職する際に、がん治療をしていたことを告げると不利になるのではないかと悩みます。3割負担とはいえ長期にわたる治療でかさむ医療費の問題や、婚約中にがんと診断されたことで結婚話が白紙になってしまった女性もいらっしゃいました。マギーズセンターに持ち込まれる相談は、がんの相談ではあるのですが、いわば一種の人生相談です。マギーズのスタッフは、日々、そうした相談に親身に耳を傾け、気持ちや情報の整理を一緒に行い、その人がその人らしく再び前を向いて歩きだすための手立てを一緒に考えています。

 日本人の2人に1人ががんになる時代です。自分や身近な誰かが、がんと診断されたとき、一人で抱えこまずに、マギーズのドアを開けてください。医療機関では相談しにくかったお話も、ここでは気軽に相談していただくことができます。木造平屋建てのゆったりとした空間にはキッチンやダイニング、リビングもあり、大きな窓からは陽光が差し込み、テラスの先に緑の庭が広がります。安心と安全を確保しつつ、豊洲は近隣にがん専門病院が立地する、いわば病院と自宅の中間にある場所。ちょっと立ち寄って、少し休んで、少し元気になって、また歩き出す。そんな「マギーズ東京」という場所があることを覚えておいていただけるとうれしいですね。


(注1)1992年に老人保健法に基づき、訪問看護ステーションという制度ができました。これにより、医療法人のみならず、公益法人格をもつ社団・財団法人、社会福祉法人、NPO法人などが、在宅ケアを提供する訪問看護事業に携わることが可能になり、初年度に全国で200か所を超える事業所が開設されました。当初は、自宅で寝たきり状態の高齢者が対象でしたが、1994年からは利用対象が一般患者にも拡大され、2000年の介護保険施行により営利法人にも拡大し、現在、訪問看護事業所数は全国で1万か所にまで増えています。

(注2)がん治療中には、自分を取り戻せる空間とサポートが必要という考えに基づいて作られた、“誰でもいつでも立ち寄れる第二の我が家”としてのケア施設。乳がん患者であったマギー・K・ジェンクス(Maggie K Jencks)が提唱。1996年英国エジンバラに最初のセンターが作られ、現在(2019年4月)世界24か所に設置されている。自然光を採り入れることや、オープンキッチンを備えることなど、いくつかの建築要件があり、主に寄付によって運営されている。


インタビュー/坂井新二(東京都人権啓発センター 専門員)
編集/那須 桂

マギーズ東京
WEBサイト:https://maggiestokyo.org<外部リンク>

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