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TOKYO人権 第18号(2023年6月1日発行)
特集
『サザエさん』には、理想的な家族のあり方が描かれているんです
今回のゲストは、アニメ『サザエさん』のマスオさん役としておなじみの声優・増岡弘さんです。近年、日本のアニメが世界的に高い評価を得ていることは、すでにご存じの方も多いことでしょう。そのなかで増岡さんは、30年以上にわたって日本のアニメ産業の屋台骨を支え続けてこられた功労者の一人です。そんな増岡さんの目に映ったサザエさん一家とは?声優の仕事とは? あるいは言葉とは? あらゆる角度からお話をうかがってみました。
増岡 弘さん
1936年、埼玉県生まれ。『サザエさん』のマスオさん役や『それいけ! アンパンマン』のジャムおじさん役などでおなじみの声優。当初は舞台美術の仕事に就くものの、その後は役者に転向。映画「ガラスのうさぎ」、テレビ「夏、青春物語」などに出演。1962年から劇団東京ルネッサンスの代表を務め、俳優や声優による「群読」を各地で公演。聴衆に深い感銘を与えている。また、柳家さん助門下となり、益々家ちゃん助の名で年2回“落狂寄席”を開催している。ナチュラリストとしてテレビ出演も数多い。東京アニメーター学院講師。著書に『陽だまりのマスオさん』(KIBABOOK)、『マスオさんの美味しい味噌づくり』(じゃこめてい出版)など。
『サザエさん』
毎週日曜日18時30分〜19時放送(フジテレビ系列)
『それいけ! アンパンマン』
毎週金曜日16時30分〜17時放送(日本テレビ系列)
注:放送日時は関東地域のものです。地域によっては放送日時が異なりますのでご注意ください。
声優の仕事を始めたばかりの頃、声だけの出演というのは、じつは非常に物足りない気がしていたんです。時には「これで一生を終わっていいのだろうか?」と、真剣に悩んだこともありました。ところが仕事を続けているうちに、声というのはもしかすると、視覚よりもダイレクトな刺激を与えられるんじゃないかと思うようになってきたんです。人に勇気を与えることができたり、生きる希望を分け与えたり、励ますことができたり。それに、そもそもアニメ作品の半分は声によってできあがっていますよね?だから声優の演技次第で、作品の出来が決まってしまいます。そこに気づいてからは、非常にやりがいのある仕事だなあと思うようになりました。
それでも収録日には、風邪をひいても熱があっても、必ずスタジオへ出かけて行かなくてはいけないというキツい職業です。たとえばタラちゃんの声優さんが体調を崩されて入院した時は、病室で録音をやりました。それくらい、日本のアニメの制作状況には余裕がないんです。海外では、すべての収録が完了したあとで放送を開始するという例が多いと聞いていますから。
ところが『サザエさん』の絵はすべて手描きなので、一度にたくさん作ってストックしておくことができません。だから音声のほうも、事前にたくさん収録しておくことができない。つまり、業界用語でいう「録りだめ」が不可能なんです。それはわかっているのですが、やっぱりもう少しゆとりを持って録音をやれたらなっていうのは、いつも思います。「声優の権利を守れ」というほど大袈裟なものではないのですが、それに近いことを主張していく必要はあるんじゃないかな、と感じています。
いまは核家族というのが当たり前になっていますが、本当はサザエさん一家のように、三世代一緒に住むような家庭が理想なんじゃないかと思うんです。それがちょうどいい温度で出されるお茶の味のように、視聴者の方々の心にすっとしみ込んでいくんでしょうね。
じつはあの家族、ある地点で足踏みをしているんです。私たちのように、生活が変わっていきませんから。ほら、いまだに黒電話を使っていますし(笑)。ほかにもメダカがすくえる川がすぐ近所に流れているし、小さな子どもが一人で三輪車を乗り回してる。そんな生活環境は、いまではちょっと見当たりません。クルマも持ってないし、二階もない平屋建ての中で三世代同居。そしてなにより、専業主婦が二人もいるんですよね。ちゃんと家の中で子どもを育てている。いまだったらほとんどの場合、保育施設に預けちゃうじゃないですか。そういう理想的な家庭のあり方が、あそこには描かれているんです。あらゆる意味で自給率の高い家庭。それを皆さん、求めているんじゃないかと思います。
そういえば、カツオはテストの点数があまり芳しくありませんよね。でもそれは、優先順位がいまの子どもたちとは違っているからです。一生懸命、友達と遊んでいるから、テストで点が取れない。そういう情熱を勉強に向けたらもっといい点数が取れるんでしょうけれども、それをやらないのがカツオの偉いところ。でも本来、子どもはそうあるべきですよね。いまは100点主義社会になっちゃっていますけれども、カツオのように遊びに夢中になることって、私はおおいに結構だと思っているんです。いずれにしてもサザエさん一家は、いつまでもあのままでいてほしいですよね。
低年齢層向けのアニメですから、言葉の伝え方には気をつかっています。たとえば「アンパンマン、頑張るんだよ」っていう台詞ひとつとっても、抑揚のないフラットな言い回しじゃなく、語尾をふっと上げたりするんです。「こういう言い方のほうが、子どもたちに伝わるんじゃないかな?」と、自分自身でいろいろ工夫してみる。それによって「優しいジャムおじさん」という人物を特徴づけることもできますし、子どもたちに“心を渡す”こともできるんじゃないかと思っているんです。
仕事でいただく台本には「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」と活字で書かれていますが、それは誰が読み上げても同じというわけでは決してないんです。声優さんそれぞれのキャラクターや想像力によって、いくらでも変わってしまう。たとえば「ありがとう」っていう台詞に対して、どこまで自分の中で感謝の気持ちを満たしてから言葉を出せるか。言い方ひとつで感動的にもなるし、素っ気なくもできてしまうわけです。
言葉って難しいですから、たとえば夫婦間でもなかなかうまいやりとりができないと思うんです。実際、私は台本があって、それを読むことを生業にしていますから、普段は素直に言葉が出ない時もあるんですよ。でもよく考えると、生きるということは自分で脚本を書いて、自分自身で実行していると言えなくもない。文字にこそ書かないけれども「こんなことを言ったら、相手は喜ぶんだろうな」とか「傷つくんだろうな」って考えながら日々を過ごしてる。そういうことがわかってくると、たとえば料理を美味しく作ってくれた女房に対して「これ、美味しいね。どうやって作ったの?また作ってね」といったような愛情のある会話が交わせるようになります。本当は「愛してるよ」って一日三回くらい言えたらいいんでしょうが、なかなかそういうわけにもいかないですからね(笑)。いずれにしても、失ってからわかる幸せなんて、本当はあっちゃいけないと思うんです。いま身のまわりにある幸せにちゃんと気づくこと。そっちのほうが、はるかに大事ですよね。
もともと言葉には温度があるから、適温で相手に渡すっていうことが大切なんです。冷たすぎても熱すぎてもダメ。もちろん、意地悪だったり投げつけたりするのではなく、きちんと言葉を“渡す”ことが必要。だから私はいつも「言葉はプレゼント」だと思ってるんです。その意味で、ジャムおじさんの台詞で「どんなものにも命があるんだよ」っていう言葉は、非常に印象的ですよね。理屈抜きで、とにかくすごい言葉だなあって思います。それこそ、子どもたちへの最高のプレゼントではないでしょうか。
山形県の中学校から講演の依頼があった時のことです。ご父兄の方々も参加されていたせいか、生徒の皆さんは大声を出したり、体育館の中を駆け回ったりして、はしゃいでる様子でした。そこで普通だと先生方が「静かにしろ!」と怒鳴りつけたり「はい、全員注目!」なんて叱りつけるところだったんでしょうね。ところが、その学校の先生方はいざ講演の時間になると、生徒たちに向かって温かい言葉で語りかけていました。
「さあみんな、みんながいちばん静かだと思う雰囲気を作ってみようか。今日は東京からマスオさんの声優さんがわざわざ来てくれて、みんなに大事な話をしてくれるんだよ。だから、ちょっと静かな雰囲気を作ってみようか……おぉ、できたみたいだな。みんな、ありがとう」
生徒と先生方が本当にいい関係を築いてる学校なんだなって、びっくりしました。もしかしたら私の話は退屈だったかもしれませんが、それでも講演が終わると生徒さんから「また来てくださいね」「お仕事頑張ってくださいね」と、声をかけてくれたんです。そして最後に「お礼に歌わせてください」と言われて、突然、生徒全員が立ち上がったんです。曲は『故郷』でした。
「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川――」
あの歌詞がこんなに心に響くものだなんて、初めて知りました。生徒さんたちの伸びやかな表情と澄んだ歌声。それと前の詩の終わりにかぶせるようにして次の詩が始まって……本当に素晴らしい合唱で、私も思わず涙がこぼれました。
「群読」とは、読んで字のごとく「群れを成して読む」ことです。一般的によく知られている「朗読」では、一人の人間がすべての台詞を読むわけですが、それを集団でやる。つまり、群読というのは声だけでひとつの世界を作り上げるということなんです。だから群読は読むと見せかけて、じつは演じているんですよ。劇団員一人ひとりに配役が与えられて、台詞を読む。演じる側の衣装はすべて同じもので統一しますので、個性は奪われた状態です。するとお客さんのほうでは言葉を頼りに、一人ひとりの頭の中で物語を組み立てていくことになります。だから、ものすごく想像力が刺激されると思うんですよ。
題材に選ぶのは浅田次郎先生の小説が多いのですが、それは先生の作品にすごく人間的なものを感じるからなんです。人間が服装などを剥いでいちばん最後に残るものは、言葉と心。それを表現するために、いちばんふさわしいと思ったのが、浅田次郎先生の作品だったんです。何度演じても思わず涙がこぼれてしまうといったような、いい世界を作ることができるんです。
だから皆さん、7月4日に行われる公演をきっかけに、群読というものにぜひ触れてみてください。そして「冷静に感動してしまう」という群読ならではの素晴らしい世界を体験をしていただければうれしいですね。
(注:公演予定はP7をご覧ください)
放送にかかわっている人たちにとって、言葉の問題ってすごく注意しなくちゃいけないんですよ。もちろん僕も、その一人です。でも、なんでその言葉がいけないんだろう?なんでその言葉が人を傷つけてしまんだろう? そういうふうにあらためて聞かれると、すぐには答えられないような気がします。それだけじゃなくて、そもそも知らないことのほうが多いんじゃないでしょうか。いや、お恥ずかしい話ですが……。
でも、実際に東京都人権プラザの展示室ではいろんな発見があって、すごく勉強になりました。僕、見学しながら「こうした差別の実態を一人でも多くの人に知ってもらいたいな」って思ったんです。やっぱり人権にかかわる問題は、みんなで一緒に考えていかなくちゃって思いますから。結局、差別をなくすためには、まず私たち一人ひとりが知ることから始まるんでしょうね。
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