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TOKYO人権 第108号(2025年12月10日発行)
インタビュー
直川 貴博(のうがわ・たかひろ)さん
フリーアナウンサー。
1994年生まれ、和歌山県出身。中央大学法学部卒。2025年3月に8年間勤めた福島県のテレビ局を退社。女性アナウンサーが多く所属する事務所に所属し、フリーに。同年4月から在京テレビ局の夕方のニュース番組キャスター、早朝のニュース番組水曜メインキャスターを務める。自身のSNSに「来世は女性アナウンサーになりたい。男性アナウンサーです。」と掲げ、メイクや美容好きを公言し、その個性と明るいキャラクターで注目を集めている。SNSの総フォロワー数は約9万。
2025年の春に福島県のテレビ局を退社してフリーアナウンサーになり、現在は、主に日本テレビの番組(『news every.』『Oha!4 NEWS LIVE』)でニュースキャスターを務めています。全国の方に見ていただく機会が増える中で、応援のお手紙や声をいただくこともあり、大きな励みになっています。その中には、私のジェンダーにおけるマイノリティ性を踏まえ、「(直川さんの活躍が)私の生きやすさにつながっています」といった声もあり、うれしい限りです。一方で、イントネーションや表現に関するご指摘をいただくこともあり、そういったご意見は真摯に受け止め、次回に生かせるよう心がけています。そして、一部ではありますが、私のジェンダーに関するネガティブな声があるのも事実です。今の日本には、ジェンダーのこと以外にも、政治経済や国際問題など、数多くの社会的な課題がありますよね。その中でジェンダーに関することは、ちょうど変革期を迎えているように感じていて、だからこそ、多様なお声があるのだと個人的には解釈しています。そう考えると、多くの方々に良くも悪くも関心を持っていただくテーマになっていること自体は、決して悪いことだけではないと思うのです。多様な意見が活発に交わされ、いずれ日常と化し、気づけば取り立てて意見するほどのテーマでさえなくなっているというのが理想ではないでしょうか。
変革期である今だからこそ、私のような個性を持つ人間が、「中立公正な立場でニュースを伝えるアナウンサーとしての姿」を示すことに意味があるように思います。どこかの誰かおひとりにでも「どんな個性を持っていても、皆と同じ土俵で勝負ができるんだ」と思っていただけたら、これほどうれしいことはありません。
大学時代に見たテレビ番組内で、マツコ・デラックスさんが「私たちは人の役に立つために生きている」といった主旨のことを話されているのを聞いて、ハッとしました。と言うのも、当時の私は制服が可愛いという理由だけで客室乗務員になりたいと思っていたからです。そこで、私のような個性のある人間が組織に属し、そこで認められ、表舞台で活躍することができたら、個性が生きづらさの原因になっている誰かの役に立てるかもしれないと思い、「アナウンサーになりたい」と思うようになりました。
ところが、アナウンサーを目指す過程において、中立公正な立場でニュースを扱うアナウンサーは、ニュースより個性が目立ってはいけないことを学びました。それはとても腑に落ちることだったので、アナウンサー試験には「多くの方が想像しているであろう男性アナウンサー像」に近づくよう、短髪でノーメイクという「戦略」で臨みました。この「個性の封印」に関しては、スタートラインに立つために必要なことだと思ったので、一切、葛藤はありませんでした。「生きづらさを抱えている誰かの役に立ちたい」という思いを実現するためにも、まずは内定を得ることが必要だと思ったのです。そして入社後、徐々にアイシャドーやアイラインを解禁し、SNSなどでは私らしさを存分に出して、今では仕事で関わる皆さんにも、私の個性を理解していただけています。
ジェンダーに関することで悩んでいる人のみならず、あらゆる「個性」が自然に受け入れられる学校や社会であってほしいというのが私の願いです。私はジェンダーや人権の専門家でも活動家でもありませんから、私という存在が「個性っていいよね」と感じていただるきっかけになっていたら、アナウンサーとしても、一個人としても冥利(みょうり)に尽きます。

アナウンサー試験のエントリーシートで使用していた写真
幼少期は、仮面ライダーよりセーラームーンやプリキュア派でした。小学校に入学してからは、周りの男子が興味を持つものに、私は興味を持てないことがわかってきて、「皆と違うこと」に対して劣等感のような感覚を持つようになりました。とは言え、私は友人に恵まれていたおかげで、いわゆる「いじり」はあったものの、あからさまないじめや差別を受けることはほとんどなく学校生活を送ることができました。振り返れば、小学生時代からずっと、周りの友人が手を組むようにして全方位で私を守ってくれていたのだと思います。ただ、高校生の時に、アメリカでゲイの少年がいじめを苦に自殺したニュースを見て、性的少数者であることが命を絶つことにつながることもあるのだと知り、大きなショックを受けたことは今でもよく覚えています。
一方で、劣等感は大学生になってからもずっとありました。でも、大学時代に出会った友人(後の大親友です!)のひと言で、考え方が一変したのです。それまで、小中高を通し、誰かと知り合うと初対面のタイミングで、私のジェンダーに関することを色々と尋ねられることがよくあったのですが、彼女は一切、何も尋ねてきませんでした。だんだん仲良くなっていく中で、私のほうから「気にならないの?」と尋ねたのです。すると彼女は「別に。むしろ(周りと違うって)かっこよくない?」と言い、「その人はその人」という考えを明確に示してくれました。それを機に、私は自分の劣等感に対して「気にしたって仕方ない!」と、いい意味で諦めることができました。メイクなどで変えられる部分は自分が納得できるまで努力しますが、努力をしても変えられないものについては、いい意味で諦めて受け入れるというのが、今の私の考え方です。
福島のテレビ局で働いていたころは、私がメイクをしていることに対し、視聴者の方からテレビ局に批判的なご意見をいただくこともあったようです。ただ視聴者からのご意見は、テレビ局が「是正の対象」と判断した場合にのみ注意喚起されます。しかし、当時の上司は私のメイクへの批判を是正の対象ではないとし、盾となって私を守ってくださいました。そして私が退社する際には、上層部の方が「直川はこの会社を変えてくれた」「価値観をアップデートしてくれてありがとう」と言ってくださったのです。この言葉を聞いたときは、「自分らしくあること」がささやかながら役に立てたように思えて、本当にうれしかったですね。

前職のテレビ局で天気キャスターとしてカメラの前に立つ
前職のテレビ局でのアナウンサー最終日。最後の放送に向かう

前職のテレビ局での取材ノート
私は、「ジェンダーレス」という言葉を含めて、性自認については特に公言はしていません。理由は、受け手の皆さんがご判断くださるのがベストだと思っているのと、カミングアウトすることが必ずしも全員にとってのベストではないと思っているからです。公言するもしないも、その人の自由ですから、どちらでも良いのですが、個人的には「言わない選択をする人を称(たた)えたい」という思いを持っています。私たちが知りえるのは「言う選択をした人だけ」ですよね。そういう中で、学校や会社といった身近な組織の中に、「言わない選択をしている人がいるかもしれない」ということを、知っていただけるといいなと思うのです。「言わない選択をする人」もまた、多様性の一部だというのが私の考えです。
私が自分のSNSに「来世は女性アナウンサーになりたい。男性アナウンサーです。」と掲げているのは、アナウンサーという職業が、性別による役割分担が存在する業界であることを示唆できると思ったからです。例えば、スポーツ実況はまだまだ男性アナウンサーの仕事です。私は男性アナウンサーとして入社しましたが、当時から性別による役割分担を意識せず、性別の枠を越えて仕事に取り組みたいと考えていました。そのことを、遊び心を持って表現したに過ぎません。急に変わることは難しくても、グラデーションのように、少しずつでも男性アナウンサーと女性アナウンサーの仕事における垣根がなくなって、性別にとらわれることなく、誰がどんな仕事をしていても受け入れられるようになっていくといいなと思っています。
「自分にはない価値観も受け止める許容範囲と、相手の価値観を受け流す許容範囲を広げてみる」というのはどうでしょうか。まず一つ目の色んな価値観を受け入れられなくても、受け止めるためにできることは「知らないものを知ろうとすること」ではないでしょうか。今の時代、ありとあらゆることが、自分の興味のあるものに限定することができてしまいますよね。でも、自分にとって無関係に思えたことや興味のないことに触れると、新しい価値観が生まれます。だから私も新聞を読むときは隅から隅まで読むようにしています。知らないことを知ることは、自分以外の誰かの価値観に触れてみることであり、そうすることで誰かの生きやすさにつながっていくと思うのです。それはいつか巡り巡って、あなたを含むみんなの生きやすさにつながるはずです。
ただ、自分らしさを貫くと、理不尽な思いをしたり、何かを犠牲にしたりということがあるかもしれません。そんな時、無理に強くあろうとしなくていいと思います。私自身、過去に個性を揶揄(やゆ)されたことがあり、今もメンタルを強く持たないと立っていられなくなる時があります。でも、落ち込んでいたらキリがないため、右から左に受け流す力が身についたのだと思います。「しんどいな」「苦しいな」と思ったら、「生きづらさ」と「自分らしさを貫くこと」を天秤にかけて、「自分が納得できるものに重きを置く」という選択をしていいと思うのです。
私も自分らしさを貫くことで、悪意のある言葉と出くわしてしまうことがあります。そんな時、それに向き合うか否かの基準として、私は、その言葉を発信した方が匿名か否かで判断するようにしています。匿名である以上、その相手とは向き合おうにも向き合えないですから、向き合わない選択をしてもいいかなって。また、言葉を受ける時も必要以上に言葉尻を捉えて、敏感になりすぎないことも大切なことだと思います。なぜなら、常に完璧で常に正しい人などいないからです。もし、誰かの言葉や態度に傷ついてしまいそうになったら、「その言葉や態度の根底に愛はあったかな?」と考えてみると良いと思います。誰もが「愛を持って発言すること」と「寛容に受け止める心」の両方を持てるようになれば、世界はもっと穏やかで優しいものになると私は信じています。
そして、誰もが生きやすい社会づくりに必要不可欠なことがもう一つあります。それは、既存の価値観にとらわれず、一人ひとりが価値観をアップデートしていくことです。私自身も価値観を常にアップデートさせながら、アナウンサーを目指したときの「誰かの生きやすさにつながる仕事がしたい。誰かの役に立ちたい」という思いを胸に、皆さんにニュースを届けていきたいと思います。
インタビュー 吉田 加奈子(東京都人権啓発センター 専門員)
編集 那須 桂
撮影(表紙・2〜6ページ) 細谷 聡
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