東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第87号(令和2年9月10日発行)

インタビュー

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「違い」は「彩り」
~ 色の数は多いほど楽しい

 アイヌ民族は、古くより、主に北海道に先住し、独自の言語や文化を発展させながら生活していました。明治時代に入り、日本政府による同化政策が進むと、アイヌ語の使用や独自の風習は禁じられ、その後もアイヌ民族はさまざまな側面で抑圧されてきたのです。
 そんなアイヌ民族にルーツを持つ人たちは、北海道はもとより、日本各地に存在しています。俳優で劇作家の宇梶剛士さんもその一人。自身のルーツがアイヌ民族にあることを踏まえ、宇梶さんにお話を伺いました。

PROFILE

宇梶剛士さん顔写真

宇梶うかじ 剛士たかし
俳優

1962年、東京都生まれ。『半沢直樹』『逃げるは恥だが役に立つ』などテレビドラマをはじめ、映画、CMなどで幅広く活躍する一方で、2007年、劇団「PATHOS PACK」を友人2人と共に旗揚げ。脚本はすべて自身が執筆。2020年、北海道白老町にオープンしたアイヌ文化の復興と発信の拠点となる「ウポポイ(民族共生象徴空間)」のPR大使に就任。母はアイヌ復権運動の草分け的存在である宇梶静江氏。

東京で生まれ育った宇梶さんが、アイヌ民族に関する仕事をするようになった理由とは?

写真:手振りをまじえて語る宇梶さん

 母がアイヌ民族なんです。母は、僕が子どものころからアイヌの復権活動に取り組んでいました。活動が最優先だったので、母が家を空けることは日常茶飯事。一方で、母がウタリ(アイヌ語で「同胞、仲間」の意味)を連れて帰ってくることもよくあって、僕の家にはいつも誰かしら他人様が住んでいました。当時、僕は小学生だったので、あまり深く考えてはいませんでしたが、今思えば、母は、アイヌであるが故に社会で孤立していた人を連れて来ていたんでしょうね。短い人とは1か月、長い人とは1年という単位で共同生活をしていました。

 その後、僕は実家を飛び出し、やんちゃな時代を経て、俳優を目指すようになるんですけど、30歳を過ぎても芽が出なくて。舞台に立ってはいたけれど、それだけでは生活が成り立たないので、母の弟にあたる浦川 治造はるぞうのもとで働かせてもらっていたんです。叔父は、昔からアイヌ民族の紋様が入った服を着て、後に「東京アイヌ協会」の会長や、アイヌ初の国会議員となる萱野茂さんの後援会長を務めたりするような人でしたが、僕は芝居一筋でした。ただ、アイヌである叔父と共に過ごす時間の中で、知らず知らずにアイヌの生活習慣を知り、アイヌの物の見方や考え方が僕の中に注ぎ込まれたのは確かです。

 そんな中で、1993年、僕が31歳の時に、アイヌを主人公にした舞台の脚本を書いたんです。上京してきたアイヌが肉体労働で生計を立てながら、人との触れ合いを通して、閉ざしていた心を開いていくといった内容でした。実際に簡易宿泊所が集まっている所に通って話を聞いたり、自分で調べたりしながら書いたのですが、その舞台を見てくださったアイヌの方から「劇中に出てくるアイヌの着物の柄は、なぜその柄なのか?」と問われたときに、僕はきちんと答えられなかったんです。同じアイヌの着物でも、柄は地域で異なるのに、僕の突き詰め方が甘かったせいで「アイヌの柄ならなんでもいいんだね」と思われても仕方ない答え方しかできなかった。アイヌの人々は過去の歴史において、いろんなものを「奪われた民族」であるが故に、アイヌ由来のものが利用されることにとても敏感なんです。その時に「『見つめる力』が十分ではない状態でアイヌのことを描くのは、アイヌからいろんなものを奪った人たちと同じだ」と気づき、ひどく後悔したことをよく覚えています。

それから16年を経て、2019年に再びアイヌ民族をテーマにした舞台を書かれたのはなぜですか?

 16年の間に、20作品くらいは書いていると思うのですが、心のどこかで「アイヌのことを書くなら、きちんと勉強し直さないと書けない」という思いがありました。だからと言って、特に研鑽を重ねていたわけではないのですが、2018年、三重県松阪市で催された「松浦武四郎(注1)生誕200年記念事業オープニングイベント」に、母と2人で出ることになったんです。アイヌ文化の伝承に取り組む母と、親子でトークセッションをするという企画でした。ちなみに、母は今も現役で活動しており、今年の6月にも後藤新平賞をいただくなど、アイヌのことに関しては、僕は全く頭が上がりません(笑)。その松阪滞在中に、劇団の制作スタッフから「次回公演の企画書提出の期限です」って連絡が来たわけです。アイヌにまつわる話をするイベントの控え室で企画を練ったこともあり、「アイヌの青年を主人公にした物語を書こう」と思い立ちました。都会で生きるアイヌの青年が北海道を旅して、その道中でアイヌ民族に出会い、気づきを得たり、葛藤したりするというストーリー。これが『永遠ノ矢=トワノアイ』という作品で、2021年の夏に、北海道公演を予定しています。

ご自身がアイヌ民族にルーツを持っていることを、宇梶さんはどのように感じてきましたか?

 僕自身は、自分にアイヌのバックグラウンドがあることを嫌だと思ったことは一度もありません。こんな顔ですから(笑)、「どの国の血が入っているの?」なんて言われることも多く、そんな時は「僕はアイヌなんです」と隠すことなく話してきました。ただ、諸先輩方から「出自については人前で話さないほうがいい」と厳しくご指導いただいたことはあります。世の中には、在日韓国・朝鮮人や被差別部落出身者を差別する人が実際にいますから、アイヌであることも隠したほうがいいと思って言ってくださっているのでしょう。でも、僕は差別する人を排除しようとは思っていません。「罪を憎んで人を憎まず」って言葉と同じで、差別そのものは憎いけれど、その人への憎しみはないんです。むしろ、そういう人たちとも目線を合わせて、心と心で付き合いたいと思っています。そうしていかないと、いつまでたっても差別はなくならないと思うから。一度きりしかない人生で、出会う人の数にも限りがある中で、せっかく出会えた人と向き合わないなんて、もったいないことだと僕は思うんですよね。

 それに、アイヌは別に珍しい生き物じゃないってことを伝えるためにも、僕は自分のアイヌとしての要素を隠したくはない。アイヌだって、皆と同じ空気を吸って、笑ったり、怒ったり、泣いたりしながら、日々を生きているってことを、自然な形で伝えたいと思っています。「自然な形」っていう意味は、「僕はアイヌです」って常に前面に出すことはしないけど、話題が北海道のことや、僕のエキゾチックな顔のことになったときには、その流れの中で話すってことです。こういうことって「負のものを背負っているんです」というニュアンスの「カミングアウト」にはしないほうがいいと個人的には思っているのでね。

ウポポイ(注2)のPR大使を引き受けられた背景には、何か特別な思いがあったのでしょうか?

写真:インタビューを受ける宇梶さん

 「松浦武四郎生誕200年記念事業オープニングイベント」に出させていただいた後、NHK札幌放送局が制作したテレビドラマ『永遠のニシパ』という作品にアイヌ役で出演することが決まり、同時期にウポポイのPR大使のお話もいただきました。トークショーを機に、自分の意思とは関係なくアイヌ関係の仕事をいただいたという感じ。ですから、PR大使のお話をいただいたときも、うれしい気持ちがある一方で、「本当に僕でいいの?」という思いもありました。

 うれしさの理由は、PR大使をさせていただくことで、アイヌのことをより広く深く知ることができると思ったから。また、一人の俳優として、あるいは一人の人間としての歩みの中では、到底出会うことがないウタリたちに出会える機会に恵まれるだろうという期待もありました。実際、そうした交流がすでに生まれてきていて、これは本当にうれしいことです。一方で、僕は子どものころからアイヌに囲まれて生きてはきたけれど、東京で生まれ育ったこともあり、自分の中にアイヌの血が流れているという実感がない。そんな自分が引き受けていいのだろうかという思いがあったのも事実。いろんなことに思いを巡らせる中で、アイヌの世界と、そうではない世界を渡り歩いてきた自分だからできることもあるかもしれないという結論に至り、お引き受けすることにしました。

生い立ちやルーツなどを理由に、悩んでいる人にどう声をかけますか?人との向き合い方でヒントはありますか?

 生きづらい理由が何であれ、「孤独だ」とか「どうせ自分なんて」といった言葉を口にする人たちに、僕は「この地球上に存在するあらゆる生命の中で、笑うのって人間だけなんだってさ」って話をするんです。「笑う」という行為は、誰かに何度も何度も微笑みかけられることで身に付くという話なんですけどね。赤ん坊がいると、周りの大人って赤ん坊の顔を覗き込んで微笑むでしょう?するとそれを真似して、赤ん坊がニコッてする。大人はうれしくてもっと笑顔になる。それを見た赤ん坊もまたニコニコする。微笑みかけるって愛なんですよね。だから、たとえ生きづらさを抱えていても、笑うことを知っているならば、それは誰かに微笑みかけられながら育ったということなんです。つまり、誰もがすでにたくさんの愛をもらっているんだってことを伝えたいですね。

 人と向き合うヒントという意味では、相手がアイヌ民族か否かに関係なく、一人でも多くの皆さんに、アイヌ語の「イランカラプテ」という言葉とその意味を知っていただけたらうれしいです。「イランカラプテ」とは、アイヌ語のあいさつで日本語の「こんにちは」に該当する言葉なのですが、語源的には「あなたの心にそっと触れさせていただきます」という意味なんです。この地球で暮らす、すべての人たちが「イランカラプテ」の心で人と接することができたら、生きづらさを感じる人はいなくなるんじゃないのかな。

いろいろな人が共生できる社会をつくるには、どうするのがいいとお考えですか?

 「民族」とか「人間」という枠組みで考えると、人は、自分に似たものを大事にして、異なるものを排除しがちですよね。でも、その枠組みを「地域」にすると、また違った見解になると思いませんか?例えば、北海道と沖縄って、景色も文化も食べ物も全く違うから、それが魅力になって、たくさんの人がそこに足を運ぶわけですよね。僕は「違い」のことを「彩り」と呼んでいるのですが、極論を言えば「彩りは豊かなほど楽しい」ってことだと思うんです。これと同じように考えれば、「民族」や「人間」における彩り(違い)も豊かなほうが楽しいって思えるんじゃないかな。

 最近、「多様性を認めよう」といった表現をよく耳にしますが、これも「彩り(違い)を楽しむ」ということだと思うんです。相手の色を知ることは、自分の色を知ること。だからこそ、その違いを楽しめる。そう考えると「多様性を認めない人」がいるとしたら、その人は、自身に色がないということになる。言い換えれば、自身の存在を失っていると言ってもいいかもしれません。

 僕は人権活動家ではないので、誰かに何かを啓発するというものではありませんが、僕自身に限って言えば、さまざまな人や文化、自然など、あらゆるものとの「共生」を目指しながら、これからも人と出会い、世界を旅していきたいですね。そういう意味で、ウポポイは「共生」を体感するのに絶好の場だと思います。施設の内容も立地も共生にあふれている場所ですから、機会があれば、一人でも多くの皆さんに足を運んでいただきたいです。

(注1)幕末から明治にかけて活躍した三重県出身の探検家。当時「蝦夷地」と呼ばれていた場所に「北加伊道(後の北海道)」と名付けたことで知られる。著書にはアイヌ民族との交流の様子が多数記されている。

(注2)「民族共生象徴空間」の愛称。日本の先住民族であるアイヌ民族の歴史・文化を学び伝える全国初のナショナルセンター。2020年7月に北海道白老町にオープンした。アイヌ語で「(おおぜいで)歌うこと」という意味がある。

インタビュー/吉田 加奈子(東京都人権啓発センター 専門員)
編集/那須 桂
撮影/細谷 聡

ウポポイロゴマーク

ウポポイ(民族共生象徴空間)

住所
北海道白老郡白老町若草町2丁目3
開園時間
9時~18時(土日祝日は9時~20時)
11月1日~3月31日は17時まで(月曜と12月29日~1月3日は休館)
入場料
大人1200円、高校生600円、
中学生以下無料
公式サイト
外部サイトへ移動しますhttps://ainu-upopoy.jp/

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