TOKYO人権 第19号(平成15年9月1日発行)
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住井すゑさんの小説「橋のない川」は、同和問題を背景に、人間の尊厳と平等を描いた大河小説です。この小説は、ベストセラーとなったので、ご存知の方も多いと思います。また、この小説で同和問題を知った方も少なくないと思います。昨年は、「橋のない川」の著者であり、多くの文学作品を書かれた住井すゑさんの生誕百年にあたる年でした。これを記念して、東京都人権プラザ展示室では昨年12月から特別展を開催しています。展示の一部を、誌面を通じてご紹介します。
写真提供:ヤマモトヨウコ
(展示パネルから抜粋)
住井すゑさんは、1902(明治35)年、奈良県に生まれました。
女学校中退後、在学中に独学で得た資格で小学校の教師を1年間つとめます。
17歳で講談社の記者に応募し、採用になり上京します。そして仕事の合間に童話も書くようになります。
講談社を1年で退職した後は執筆活動に専念します。
19歳で農民文学者の犬田卯さんと結婚します。卯さんとは考え方に共通するものがあり、以来一貫してその農民の立場に立った文学運動を支援することになります。
20歳のとき、全国水平社創立大会があったことを知り、水平社宣言を読んで感動します。
1935年、33歳のとき、卯さんの持病-ぜんそく-が悪化したことなどから、療養を兼ねて卯さんの郷里である茨城県牛久村(現在の牛久市)に転居し、執筆と農耕の生活に入ります。
1957年、55歳のとき、卯さんが逝去します。
そして、1959年、すゑさん57歳のとき、雑誌「部落」の1月号で、すゑさんのライフワークでもある「橋のない川」の連載が開始されます。
「橋のない川」は、中国語、英語、タガログ(フィリピン)語に翻訳され、映画化もされています。当初、1973年の第6部で一応完結する予定でしたが、すゑさんはその後、1992年に第7部を執筆し、さらに第8部も刊行する意欲を語っていました。
しかし、1997(平成9)年1月、入院。同年6月16日、すゑさんは、牛久沼に近いご自宅で逝去されました。4人の子どもを育てながら、卯さんとともに農民文学運動を続け、「橋のない川」で被差別部落の人々を描き「人間平等」の思想を貫いた95年の生涯でした。
この特別展は人権プラザ第2展示室で実施しています。住井さんの20代から晩年までの写真パネル、関連年表、外国語版を含む著作など、多数の資料で住井さんの生涯が綴られています。
眼鏡、万年筆、湯呑など住井さん愛用の品々、また「橋のない川」の構想図や自筆原稿なども展示しています。写真パネルと合わせて、在りし日の書斎の雰囲気を感じていただけたらと思います。
午前9時00分〜午後5時00分(年末年始を除き土日祝日も開室)
案内図は最終ページの地図をご覧ください。
お問い合わせは 電話:03-3876-5372
(財)東京都人権啓発センター普及情報課まで