東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第88号(令和2年11月27日発行)

インタビュー

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「面倒くさい」と言える権利

─ アルビノ研究は「自分探し」の旅

PROFILE

矢吹康夫さん顔写真

矢吹やぶき 康夫やすお
社会学者/アルビノ当事者

1979年生まれ。立教大学大学院社会学研究科博士後期課程満期退学。博士(社会学)。日本学術振興会特別研究員などを経て、現在、立教大学社会学部助教。 日本アルビニズムネットワーク・スタッフ。主著に『私がアルビノについて調べ考えて書いた本』(2017年/生活書院)、共著に『排除と差別の社会学(新版)』(2016年/有斐閣)などがある。

「私の取り扱い方がおかしいぞ」という感覚の芽生え

写真:インタビューを受ける矢吹さん

 物心ついてから長らくの間、私が知っている私は「他の人とは違って、体の色素がなく金髪で、目が悪くてまぶしくて、日焼けをするとやたら痛い」というような認識でした。どうやら「普通」とは違うようだと気づいてはいたけれど、それに名前がついていることは知りませんでした。私が「アルビノ(注1)」という言葉に出合ったのは20歳のころです。

 自分が他の人とは違うと気づかされる場面は幼少のころからたくさんありました。例えば、道を歩いていると、見ず知らずの子どもに「ハロー、外人」と声をかけられます。高校生の時にはファミリーレストランのアルバイトの面接で、髪の色を理由に落とされました。とても憤慨したのを覚えています。当時から「なんだか、私の取り扱い方がおかしいぞ」という感覚はありました。

 珍しがられるという意味では、地域差はあります。私は岡山で生まれ育ち、学生時代を京都で過ごし、その後、東京に移り住み現在に至ります。岡山では、見知らぬ人にジロジロ見られることが多く、いつも不満をむき出しにしながら歩いていた記憶があります。しかし、京都には外国人観光客や留学生が多く、また東京は多様な人や生き方が受容されるところであるためか、岡山にいたころのように、街中で珍しい存在として扱われることはありません。それでも、外国人や美容関係の人だと勘違いされることはままあります(笑)。

 医学的にはアルビノは、治療すべき対象とされています。しかし、定期的な通院が必要ではないにも関わらず、「現代の医学では治療法がここまで進んでいます」といった発表に触れると、首をかしげたくなります。「なぜ、このままでいてはいけないのですか?」と。ありのままの存在を否定されているように感じてしまうのです。

「私が生きづらいとしたら、
それは決して私のせいではない
社会に問題があるのだ」と
気づいてからいくぶん楽になった。

「私はいったい何者なのか?」納得できる本は一冊もなかった

 大学生になって「アルビノ」について調べるようになったのは「自分は何なのか」という好奇心からでした。しかし、手に取る文献には全くといってよいほど自分のことは書かれていませんでした。私が納得できるような説明が書かれた本は一つも見つからなかったのです。私がアルビノ研究を始めたのは「自分探し」と言えるでしょう。自分のことを言語化し、説明してくれるものを求めてこれまで研究を続けてきました。

写真:矢吹さん著書書影

 そこに至る大きなきっかけとして、「障害学」との出合いがありました。まず、障害の社会モデルがいう「障害者が経験する問題は、身体ではなく障害者を排除する社会に原因がある」という考え方に出合ったとき、私の中で何かが変わった気がします。「私が生きづらいとしたら、それは決して私のせいではない。社会に問題があるのだ」と。自分に原因があるのだからと我慢をして沈黙するのではなく、社会的な問題として捉える。それを言語化するための新しい視点を得られたことで、生きていくことがいくぶん楽になった実感がありました。また、大学院進学に際して、指導教員に社会学を薦められたことも転機になりました。『スティグマの社会学(注2)』と『「曖昧な生きづらさ」と社会(注3)』という2冊の社会学の本は特に示唆的で、弱視だとバレないように見えているフリをする印象操作の話や日常生活でカチンときた出来事を話しても取り合ってもらえないなど、社会学でいうところの「問題経験」など、共感できるエピソードが紹介されていました。アルビノが主題の本ではないにも関わらず、私が常々抱いていた違和感や経験を言語化してくれていて、社会学の道へ進む動機となりました。

 前述したように、私が知りたかった「アルビノ」については、全く文献を見つけることができず、すぐに自分で研究を始めました。著書『私がアルビノについて調べ考えて書いた本(注4)』では、13人のアルビノ当事者から聞き取ったことを記しています。「アルビノの人はこんな人」という固定観念を持って欲しくはありません。他の人たちに個性があるように、アルビノの人たちにもそれぞれ個性があり、いろいろな生き方があるのだということを知ってほしいのです。

「自分だけではない」当事者の会が孤立から救う

写真:矢吹さんのバストアップ

 20歳のころ自分の身体は何なのだろうかとインターネットで調べたときのことです。その流れで「アルビノのページ」(現在は閉鎖)というウェブサイトにたどり着きました。2人のアルビノの子どもを育てている親が開設したサイトです。ここで、当事者たちが交流する掲示板に入り浸るようになりました。日々の愚痴や笑い話を書き込むと共感のレスが返ってくる。この交流にはとても大きな意味がありました。

 インターネットが普及する前は、自分以外のアルビノ当事者に会ったことがないという人がほとんどでした。つまり、孤立した状態です。孤立していた人々が語り合う機会、交流する場をインターネットが提供してくれたという経験は、後々、当事者たちによるコミュニティが発展していく過程で大きな意味を持ちました。そんな中で、私は2008年に「日本アルビニズムネットワーク(JAN)」の設立に関わりました。このJANには代表者がいません。それぞれのメンバーがそれぞれの立場でゆるやかにつながっているのが、活動のあり方そのものになっています。関西を拠点に活動している「アルビノ・ドーナツの会」という別のアルビノ団体では、子どものころに会員として参加していた若いアルビノ当事者が運営側のメンバーとして参加しているそうです。つまり、会に参加することは、子どものころから同じ境遇の仲間とつながっているということです。私の子ども時代とはずいぶん環境は変わってきています。

 JANはそのように「つながり」を育むことを中心とした会ではありますが、医療や教育など確実に伝えるべき情報は、当事者や保護者に向けて発信しています。最も情報を求めているのは、アルビノの子どもを持つ親です。特に小学校に上がるころになると、普通学校に入学するか盲学校に進むか、悩む方が多いのです。そこをしっかりケアしないと、教育の機会を失ったり学校が楽しくなくなったりしてしまいますから。

要するに私はアルビノのままで
そのままの存在として生きていきたい。
特別な苦労もせず、珍しがられもせず
多様な人々の中のひとりとして。

「こんな人もいるよね」とただ存在を認めてほしい

写真:講師と聴講者

日本アルビニズムネットワーク(JAN)の講演会の様子

 サハラ砂漠以南のアフリカでは「アルビノ狩り」と呼ばれるアルビノに対する暴力的な事件が発生しています。アルビノの体の一部を使った呪術的な儀式を行うとお金持ちになれる、選挙で当選できるといった理由で、殺されたり腕を切られたりする。2008年ごろに報道されたニュースから一気に注目されるようになりました。これは海外の衝撃的な事件に限ったことではなく、根っこにあるのはアルビノに対する無知や偏見だと私は考えます。表れ方が違うだけで、日本においても「無知や偏見によって当事者が不利益を被る」という意味では同じだと思います。

 世間は「苦難を克服したアルビノ」か「楽しく生きているアルビノ」という両極端な人しか知らないわけです。なぜなら、そういう人しかメディアに出てこないので。私は普通に生きているアルビノにアプローチしたかったから、自分で研究して本を出版しました。いつだってモデルが二つしかないのは、当事者にとってはしんどいです。アルビノにもいろんな生き方があるということを示したかったのです。今のままでも苦労せずに生きられる社会であれば、私たち当事者が変わる必要はないはずです。

 当事者にとって「リスクを引き受けて戦うか、現状を受け入れて我慢するかの二択」しかないのは難儀なことです。いろいろな生き方の人がいる中で、アルビノも存在しているのだと知ってほしい。深く理解してくれなくて構わない、ただ「こんな人もいるよね」という程度でいいので、存在を認知してほしいのです。

 当事者は何かできないことがあると、自分でどうにかしようと頑張ってしまいます。当事者が努力しなければならないような社会では、当事者にばかり負担を強いるようでとても辛いです。誤解を恐れずにいうと、当事者は、もっと面倒くさがっていいのではないでしょうか。助けを求めたり、もっと気軽に不平を言ったりしてもいい。努力することがすべてではなく、いろいろな処し方があることをもっと知ってほしい。当事者が今のままで普通に生活ができる世の中になってくれれば社会全体のあり方も少しずつ変わって行くのではないでしょうか。

(注1)アルビニズム(白皮症)とは、メラニン色素合成の減少や欠損が原因の遺伝性疾患。民族や性別に関わらず、世界的に見られる。多くの場合、白い肌や髪を持ち、視力障害を伴う。直射日光に弱いため紫外線ケアを怠ると皮膚がんり患の危険性が高い。欧州や北米では1万7000人に1人、サハラ砂漠以南のアフリカ、特にタンザニアでは1400人に1人の割合で表れると言われている。(東京アルビニズム会議資料より一部抜粋)。国際的に「albino」は蔑称として認識されており、近年は「person/people with albinism」という表現が主流であるが、日本におけるカタカナ表記の「アルビノ」に差別的な意味合いはない。当事者たちが自らを表現する言葉として積極的に選び取ってきた歴史があることから、本文ではカタカナ表記での「アルビノ」という呼称を使用。

(注2)『スティグマの社会学──烙印らくいんを押されたアイデンティティ』アーヴィング・ゴッフマン著(2001年/せりか書房)

(注3)『「曖昧な生きづらさ」と社会──クレイム申し立ての社会学』草柳千早著(2004年/世界思想社)

(注4)『私がアルビノについて調べ考えて書いた本──当事者から始める社会学』矢吹康夫著(2017年/生活書院)

インタビュー/吉田加奈子・坂井新二(東京都人権啓発センター 専門員)
編集/杉浦由佳
撮影/momoyo

DVDジャケット

「障害や見た目問題」を知るための矢吹さんおすすめDVD

DVD『BBC みんなと違う私たち』(丸善出版株式会社)

WEBサイト:外部サイトへ移動しますhttps://www.maruzen-publishing.co.jp/video/

本作品は学校・企業・官公庁・研究機関などの法人・団体にのみ販売されています。家庭内視聴を目的とする購入希望者(一般個人)には販売されていません。東京都人権プラザ2階図書資料室では2021年1月ごろより配架予定です。視聴ご希望の方は、事前に東京都人権プラザ(電話03-6722-0123)までお問い合わせください。

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