東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第75号(平成29年8月31日発行)

インタビュー

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ボッチャと、私たち家族の物語

日本代表を目指す息子とともに、家族で切り開く未来

 ボッチャのおかげで今の私たち家族がある──。東京2020パラリンピック大会に向けて注目を集めるパラスポーツ「ボッチャ」。その日本代表を目指す大学4年生の佐藤駿さんを、一丸となってサポートする母・勝枝さん、父・敏英さん、兄・翼さん。ボッチャが家族に開いた未来とはどのようなものか。ある家族の軌跡を通して、パラリンピックが障害者の人権を実現するとはどのようなことなのか考えてみませんか。

PROFILE

写真:佐藤さん一家

佐藤勝枝さとうかつえさん、敏英としひでさん、つばささん、駿しゅんさん

佐藤さん一家のあゆみ

1995年10月28日、翼さん、駿さん誕生。2002年、翼さんは区立小学校の特別支援学級に、駿さんは普通学級に入学。2004年、駿さんが小学3年生のときにボッチャと出会う。2009年、駿さんが東京2009アジアユースパラゲームズに出場。2005年、敏英さんが審判資格を取得。2013年、勝枝さんが東京ボッチャ協会副会長に就任。同年、駿さんがアジアユースパラ競技大会マレーシア2013に出場。現在、駿さんは日本ボッチャ協会強化指定選手(東京都認定アスリート)。

駿さんと翼さんが生まれたときのことをお聞かせください。

(注)以下、勝枝さん:(勝)、敏英さん:(敏)、翼さん:(翼)、駿さん:(駿)

写真:競技風景

狙いを定める弟・駿さん。脳性麻痺により常に緊張状態にある身体を制御するのは想像以上に体力を消耗するという。日本代表を勝ち取るにはミリ単位の精確な投球が求められる。(第18回東京都障害者スポーツ大会「ボッチャ競技」2017年7月22日)
撮影/落合 由利子

(勝) 駿と翼は、出産予定日より3か月早い、1995年10月28日に生まれた双子です。まず、長男の翼が695グラムで生まれ、その3分後に次男の駿が982グラムで生まれました。手のひらから手足がちょっとこぼれるほどの小ささで、体には産毛が生えていました。生後、一時的に体重が減ったときは、もう骨と皮のような状態で、保育器越しに見ているのはとても辛かったです。

(敏) 体は、ちょうど今、話題の赤ちゃんパンダくらいで、指はマッチ棒の細さくらいしかなくて、大丈夫だろうかと不安に思っていましたね。

お子さんに脳性麻痺があることを、どのように受け止めていますか。

(勝) 私が出産する前の時代は、これだけ短い妊娠週数と、この子たちほどの低体重では、命が助からなかったそうです。私が出産する時代では、命が助かっても障害を伴うことがほとんどでしたが、現在の医療技術だと、障害もなく元気な子どもに育つことが多いそうです。「今の医療だったら障害はなかったのに」と落ち込むこともありましたが、もっと前の時代に生まれていた子どもたちは、両親に会うこともできなかったのだと気付き、ようやく現実を受け入れることができるようになりました。

駿さんがボッチャを始めた小学3年生ごろは、どんなお子さんでしたか。

(勝) 脳性麻痺と言っても障害の状態は人それぞれです。駿は知的障害を伴わなかったので、学校や教育委員会と話し合いを重ねて、どうにか普通の小学校に通わせました。しかし、体に不自由があるので、他の子が指を使って足し算を解くのに駿は指が使えません。そんな駿を見て、当時、駿が好きだった女の子が「駿君、かわいそう」と言ったそうです。それが相当ショックだったようで、「お母さん、勉強教えてくれ」って泣きながらお願いされ、親子で毎日3時間勉強したこともあります。

(駿) 僕は、字が上手く書けませんし、定規などの道具も使えないので苦労しましたね。今なら友達に手伝ってもらいますが、当時の小学校ではまだ障害者に対するサポートの意識は根付いていなかったので、親がいないと何もできませんでした。

写真:競技中の翼さんと勝枝さん

補助具(ランプ)を使ってジャックボールを狙う兄・翼さん。母・勝枝さんがアシスタントを務める。(第18回東京都障害者スポーツ大会「ボッチャ競技」2017年7月22日)
撮影/落合 由利子

(勝) ボッチャとの出会いは、家族で車椅子工場に出掛けたときです。小学3年生の駿に、当時のボッチャ協会の理事長が声をかけてくださったのです。どのようなスポーツなのかを知りたいと思い、皆で一度見に行くことにしました。そのとき、ご年配の方に交じって駿と同世代の子どもが1人、ボッチャをしていたのです。

(駿) その子が、昔、僕と入院先が一緒だった友達だったのです。僕は、その友達と遊びたいとの気持ちからボッチャを始めることにしました。学校には障害者はいませんでしたが、ボッチャを始めてからは障害のある人たちとたくさん交流するようになり、こういう世界もあるのだと勉強になりました。

(勝) 同じ練習場には、後に2008年の北京パラリンピック日本代表になる海沼理佐(かいぬまりさ)選手もいました。海沼選手は、障害者が普通学級に通うことも、大学進学もできなかった時代を生きてこられた人です。公務員として働きながらボッチャの選手でもあるという、障害者スポーツの理想形のような人で、ご自身の体験を話してくれたり、私たちの話を聞いてくれたりして、とても救われました。

ボッチャには、最初からご家族で関わってこられたのでしょうか。

(敏) 駿は、8歳でボッチャ協会理事長の特別推薦枠で日本選手権にデビューしました。それを家族で応援に行ってからは、ずっと家族ぐるみで関わってきましたね。試合を見るならルールを知っておいた方がよいと思い、私は審判資格を取り、妻は大会の運営を手伝うようになりました。大会の開催地は毎年変わるので、年に一度の家族旅行のような感覚でしたね。駿が中学生で国際大会に出場するときも「日本代表のユニフォーム格好いい! 欲しいね!」と、ミーハーな気分で家族と盛り上がっていたのです。

(勝) これまでの大会で印象的だったのは「東京2009アジアユースパラゲームズ」です。翼は知的障害も併せ持ち麻痺の程度も重いために出場できる試合はほとんどありません。しかし、練習や試合会場にいつも来ていました。そうした翼を見て、当時のボッチャ協会の理事が大会のボール検査員という役割を翼に与えてくれたのです。こうした温かい部分と、競技として競い合う厳しい部分の両方を感じることができました。

 また、駿はこの大会で、最年少でありながら団体戦のキャプテンを任され、銅メダルを獲得しました。これがテレビで取り上げられたせいか、ボッチャを始める人が増えたのです。それまでは選手が足りず、団体戦を組むことにも苦労していたのでうれしかったですね。

駿さんは、家族でボッチャに取り組んでいることをどう感じていますか。

(駿) 練習を手伝ってくれる両親には感謝しています。僕は毎日、大学から帰宅すると、家で2〜3時間練習をします。すると、たいてい母が付きっきりで練習を見ているので、フォームやボールを投げる位置などについて、2人で研究するのが日課になっています。

(勝) 練習会場を毎日借りることはできないので、普段は家の玄関からリビングにつながる廊下で練習をしています。ボッチャは障害の程度によってクラス分けがあり、駿は手でボールが投げられるBC2クラスです。同じクラスの選手でも、障害が軽い人もいれば、駿のように重い人もいます。ですから駿がBC2クラスで勝つには、きれいなフォームを磨き、投球の精度を高めるしかないのです。家の廊下は車椅子が1台通るだけの幅しかありませんが、まっすぐ投げる練習くらいはできます。毎回、練習する駿を動画で撮影し、それを見せながらあれこれ口を出しています(笑)。

駿さんが所属する「ノーブルウィングス」はどのようなチームですか。

(敏) 2012年のロンドンパラリンピックの後、いくつかの国内大会で負けてしまったのです。「このままではまずい」との気持ちから、廣瀬隆喜(ひろせたかゆき)選手をはじめ一緒に練習していた5人でチームを結成し、競技環境を整えることを始めました。

(勝) チーム名は、日本語にすると「気高き翼」です。リオパラリンピックの銀メダリストで、チームキャプテンでもある廣瀬選手が「試合に出られない翼の名前をチーム名に入れたい」と提案し、皆が賛同してくれたのです。強いだけではなく、常に上を向き、「気高き翼で世界に羽ばたく」との意味が込められています。

(翼) みんなといっしょ。がんばれー!

(勝) 昔から物怖じしない性格なんですよ(笑)。

(駿) 兄はチームのムードメーカーです。小さい頃はケンカしてよく叩かれましたが(笑)。

写真:敏英さんのインタビュー風景

「2020は大きな目標ですが、それで終わりではない。その先の人生を生きていくための経験を積んでほしい」(父・敏英さん)
撮影/落合 由利子

駿さんは、大学卒業後、どのような人生を歩みたいですか。

(駿) ボッチャに関しては、2020年の東京パラリンピックに出場したいです。そのためにも、今、大学4年生ですから、きちんと仕事に就いて、ボッチャと両立できるようにしたいと思っています。

(敏) 親としても、2020東京大会への出場を応援しています。実をいえば、今まで家族でボッチャに取り組んできた環境下で、駿が自立できるか心配でした。ところが先日、ボッチャの合宿に私が付き添うつもりでいたら、駿から「来なくていい」と言われたのです。駿が少しずつ自立していく姿を見ることができた思いでしたね。私も妻もいずれは老いるので、これから一人で生きていく力を身につけてほしいと願っています。

(勝) これからの長い人生を、自らの手で切り開いていってくれたらうれしいですね。2020東京大会が、その自立のきっかけになればと思っています。

最後にボッチャの魅力を教えてください。

(駿) 試合では、対戦チーム同士で多角的な戦略を立てるので、最後の最後まで勝敗が読めません。技術面についても、ただボールを投げるのではなく、さまざまな技があるので面白いですよ。

(敏) ルールが簡単なので、のめり込みやすいスポーツです。見るだけではなく実際にやってみると、たいていの方が熱くなりますね。

(勝) ボッチャは、私たち家族に新しい居場所をつくってくれました。その意味で、ボッチャにはとても感謝しています。ボッチャは、年齢も障害も関係なく、誰もができるスポーツですから、さまざまな理由で外に出ることをためらっている人にも、一歩踏み出すきっかけにしてもらえるのではないかと思います。
 また、体験会などに健常者の方が参加してくだされば、ボッチャに対する理解が深まり、それが心のバリアフリーにもつながると思うのです。そのことが結果として、障害者がよりボッチャに参加しやすい環境をつくることにもなるはずです。ボッチャにはその力があると信じて、これからも家族で向き合っていきたいと思います。

インタビュー/林 勝一(東京都人権啓発センター 専門員)
編集/奥田 みのり、小松 亜子

ボッチャとは?

パラリンピックの正式種目の一つ。ジャックボールと呼ばれる白いボールに向かって、赤と青のボールを投げたり転がしたりし、どれだけ近づけることができるかを競う。重度脳性麻痺者や、同程度の四肢重度機能障害者のためにヨーロッパで生まれたスポーツ。ボールを自力で投げられない選手は、補助具(ランプ)を使ってアシスタントの補助を受けて投球する。日本は2016年のリオパラリンピック団体戦で銀メダルを獲得した。

一般社団法人日本ボッチャ協会

外部サイトへ移動しますhttp://japan-boccia.net/

東京ボッチャ協会(「ボッチャファン」サイト内)

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