東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第74号(平成29年5月31日発行)

特集

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イスラムは怖い? となりに暮らすイスラムを正しく理解し、共存するために

「イスラム国」によるテロに見舞われているヨーロッパ各国では、イスラム教徒を排斥、排除する声が高まっています。しかし日本に暮らす私たちは、イスラム教やその社会について断片的な知識しかないまま、イスラム教は怖いという思い込みにとらわれてはいないでしょうか。なぜこのような事態になっているのかを知ることで、共生に向けた理解を深めることが必要です。

イスラム教とは

 いまや世界人口の4分の1にあたる15から16億人がイスラム教徒(ムスリム)(注1)で、近い将来、3分の1に達すると予想されています。日本を含めて、今後、イスラム教徒とかかわることなく暮らすことはできません。しかし“イスラムは怖い”というイメージが流布しています。はたして本当に“怖い”のでしょうか。

 「もしイスラム教が人を不幸にする宗教だったら、これほど広がることはないはずです。テロ事件が多発している現状だけでイスラム教を議論するのは間違っています。そこに至る歴史や、彼らの考え方を学ぶことが必要です」。そう話すのは、30年以上、西欧社会のイスラム教徒であるトルコ移民に向き合ってきた同志社大学大学院教授の内藤正典(ないとうまさのり)さんです。

 そもそもイスラムとはどのような意味なのでしょうか。「イスラムとは『唯一絶対の神であるアッラーに従うこと』を意味します。つまりイスラム教とは、イスラムを『する』宗教なのです。この『神に従う』というところを『神への絶対服従』と捉えられることが多いのですが、それは誤解です。イスラムにおいて神の下にある人間は平等です。そして神に従うということは、すべてを神に委ねることになります。物事の結果は神の意思としてすべて受け入れる。あれこれ言っても仕方ないし、それは神の領分なのだから触れないでおこうという感覚なのです」(内藤さん)。

主な国のイスラム教徒(ムスリム)人口

人口分布図

2010年の推計人口。2010年には16億人を占め、世界人口の4分の1に達した。
出典:『ムスリム旅行者おもてなしハンドブック』(東京都産業労働局観光部振興課/平成26年10月)を元に一部改変

イスラムの知恵と価値観

 イスラム教は砂漠の民の宗教ではなく、都市の商人の宗教として生まれたものです。そのため、教えの中には商売に関するものもあります。例えば「儲かったときには自分の才能で儲けたと思わず、神に対する貸付というかたちで貧しい人に分け与えなさいというものです」(内藤さん)。これは、事業に失敗してしまった人への救済の意味もあり、格差拡大を防ぐ公正なルールとして、非イスラムの社会でも参考になります。また、イスラム教徒の女性が身につけるスカーフやヴェールをめぐり、フランスでは公共の場所での着用の是非が議論されていることについて、内藤さんは次のように言います。「スカーフやヴェールでなぜ隠すのかというと、夫や家族以外の異性の視線をさえぎるためであり、髪の毛やうなじが性的な羞恥心の対象だからです。たしかにその羞恥心はイスラムの規範からきているのですが、本人が『恥ずかしい』と思っているのに、西欧的な感覚で『外せ』というのはおかしなことではないでしょうか」。

 そのほかにも、子供や高齢者を大切にし、困っている人がいれば必ず何かしようとするなど、イスラム教の信仰に基づく行動は、「社会を不幸にするとは考えられないものばかりです。だからこそ、イスラム教は膨大な数の信仰者を集めているのでしょう」(内藤さん)。

西欧社会に翻弄される移民たち

顔写真

同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授 内藤正典さん

 それでは、なぜそんなイスラム教徒と、凄惨なテロが結びつくのでしょうか。それには、西欧社会におけるイスラム圏からの移民問題があります。まずはその歴史を振り返りましょう。

 西欧諸国がイスラム圏から移民を受け入れ始めたのは半世紀以上前のことです。第2次大戦による労働力不足を安価に埋めることが目的でした。冷戦中は東欧圏からの受け入れができなかったため、各国は欧州に隣接するトルコのほか、旧植民地の国々から労働者を受け入れたのです。

 しかし、第一次石油危機が起こった1973年ごろ、景気が後退した西欧諸国は、一斉に外国人労働者の受け入れを止めます。ところがそれで移民がいなくなったかというと、逆に大幅に増えました。イスラム教徒は家族の絆を大事にしますから、単身で出稼ぎにきていた労働者の多くが「今後、会えなくなるかもしれない」と、母国から家族を呼び寄せたためです。こうして、西欧諸国にイスラム圏出身の移民によるコミュニティが出来上がっていきました。

 「80年代後半、冷戦が終結に向かうと、欧米では、『文明の衝突』(注2)という書物を代表とする、共産主義の次の“敵”としてイスラムに目を向ける主張があらわれ始めます」。しかし、この段階ではまだ、市民の多くは「隣人」として働いていたイスラム教徒に敵意を向けてはいなかったと言います。

 しかし、2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロの後、状況が一変します。欧米ではイスラム教徒を「暴力的で危険」「個人の自由も人間の主体性も認めない」として差別、排斥する動きが急激に強まりました。西欧諸国でテロが相次ぐ現在、ますますその流れが加速しています。

 このようにイスラム圏から西欧諸国に移民した人たちは、何世代にもわたり住み続けていても、「景気が悪くなると仕事を奪っていると言われ、彼らが暇そうに駅で集まっていれば、社会保障の恩恵に預かっていると批判を浴びるなど、受け入れた国側の都合で歓迎されたり、排除されたりする不安定な存在であり続けています。さらに『危険』だと敵意を向けられ、虐げられる日常が続くなかで、自分たちの居場所や頼りにするものを見出すことも難しい彼らは、受け入れ国の社会に同化せず、イスラム教徒として再覚醒していったのです」(内藤さん)。

「イスラム」と共存するために

 「イスラム国」はこのような背景を突いてきました。インターネットを駆使して差別的に扱われているイスラム教徒を扇動し、テロリストにリクルートするのです。実際に扇動に乗る人は少数ですが、イスラム教徒が世界に15億人いると考えれば、計算上10万人に1人でも1万5千人がテロリストになってしまいます。

 イスラム教は約1400年前に誕生して以来、ずっとキリスト教やユダヤ教といった異教徒と隣り合わせでした。そのため、共存のための伝統や知恵を積み重ねてきました。しかし「『コーラン』と預言者の言ったことやおこない(スンナ)のみに依拠する『イスラム国』は寛容さや共生の知恵に学ぶ気がありません。それが大きな問題なのです。さらに、軍事的に『イスラム国』を掃討しても、欧米諸国がイスラム教徒への敵視をなくし、差別や排除をやめないことには、また同様の集団が表れるでしょう。また一方で、イスラム教徒の母国が、彼らが西欧へ移民しなければならないような、イスラムの公正と正義にもとづく安心した国でないことにも責任があるのです」と内藤さんは話します。

 イスラムの規範と近代西欧に生まれた思想との間には、どうしても交わらない部分があります。「ですから、お互いに自分たちの価値観を一方的に押し付けているようでは、共存の道は開けないのです。西欧社会にとって重要なのは、イスラムの価値体系が、自分たちの価値体系と根底から異なっていることを理解することです」(内藤さん)。

 今後、東京でも私たちは観光客をはじめとして、イスラム教徒と接する機会がますます増えることが予想されます。そのとき、偏見に基づく差別をおこなわないためにも、イスラム教徒たちがどのような価値観に基づき、どのような行動をしているのかを正しく理解することが、不可欠なのです。

インタビュー/林 勝一(東京都人権啓発センター 専門員)
編集/脇田 真也

(注1)イスラム教徒はアラビア語で「ムスリム」(女性はムスリマ)と呼ばれる。

(注2)著者はアメリカ合衆国の政治学者S・ハンチントン。文明が異なれば互いに衝突する。東西冷戦後、西欧、イスラム、儒教など文明の対立が紛争の要因となると主張。1996年刊行。

はじめの一歩!

“イスラムは怖い”という思い込みを解くために

冊子表紙

『となりのイスラム
 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代』

内藤正典/著
ミシマ社/刊
2016年7月

イスラム世界と西欧世界がこれ以上、対立し、暴力の応酬に陥ることを避けるためには、どんな知恵が必要なのかを考えてみませんか。

冊子表紙

『ムスリム旅行者おもてなしハンドブック
 日本とイスラムをつなぐための3つのこと』

東京都産業労働局観光部振興課/発行
2014年10月

この冊子のPDFデータは下記URLで見ることができます。
外部サイトへ移動しますhttp://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.jp/tourism/kakusyu/handbook/pdf/msrim.pdf

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