東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第66号(平成27年5月27日発行)

インタビュー

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人はなぜ生まれ、どう生きるべきなのか 小説『あん』がハンセン病を通じて問いかけるもの

2013年の刊行以来、版を重ねる小説『あん』。桜通りという商店街にある小さなどら焼き店「どら春」。桜が満開を迎えたある日、店主・千太郎の前に、鉤のように曲がった指をした高齢の女性・徳江が訪れる。生きることに悩む千太郎は、徳江をはじめとしたハンセン病回復者に出会い、人生を問い直していく──。

らい予防法(注1)が廃止された1996年に、ハンセン病を背景にした小説を書こうと思い立ったという著者のドリアン助川さんに、お話をうかがいました。

PROFILE

写真:ドリアン助川さん

ドリアン どりあん 助川 すけがわ さん

1962年、東京都生まれ。詩人、作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て、1990年「叫ぶ詩人の会」を結成、詩の朗読とパンクロックを組み合わせたパフォーマンスが話題となる。明川哲也の筆名で『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』(文春文庫)、『花鯛』(文藝春秋)など、ドリアン助川で『バカボンのパパと読む「老子」』(角川SSC新書)、『ピンザの島』(ポプラ社)など著書多数。現在、語りの道化師(アルルカン)としてライブ活動を展開。

ハンセン病の回復者が主人公の小説を書こうと思ったきっかけとは?

 1995年から2000年まで、僕は「ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!」という深夜ラジオ番組のパーソナリティーをしていました。生放送中に、悩みを抱える10代のリスナーから電話がかかってきて、僕が相談にのるという番組でした。当時はインターネットもなく、1時間に1万コールとか来てしまい、とてもじゃないけど全部には答えられなくて。それで、3か月に1度、今でいうオフ会のようなものをしていたんです。例えば、いじめられている子ばかりを50人ほど集めて「いじめ」をテーマに話し合ったり、僕が伝えたいことを伝えたり。そして必ず最後に、僕は彼らに対して「僕たちはなぜ生まれ、何のために生きているんだろう?」といった根本的な問いかけをしていました。そうすると、皆、判で押したようにこう答えるんです。「社会の役に立たないと生きている意味がない」って。それを否定はしませんが、僕には大きな違和感がありました。だって、極端なことを言えば、「重度の障害で寝たきりの人には生きている意味がないのか?」ということにもなりますから。人間社会なんて、地球全体から見ればポッとできたおできみたいな小さなものでしょう? だから、そんな小さなものの役に立つために生まれてきたと言っていいのか。目的や正義って言葉に一度は疑いを持てよという問いかけが、僕にはあったんです。

 ちょうどその頃、「らい予防法」が廃止され、ハンセン病の当事者たちが、治ったあとも長きにわたり療養所に隔離されていたことをマスコミが伝え始めました。そのときにも僕は「療養所に隔離されてきた人たちが生まれてきた意味ってなんだろう?」と考えました。けれど、自分の答えも出ていなかったその問いを生放送のラジオで声に出すことはできませんでした。ただ、「人間として生まれてきたことの意味、生きることの意味を、ハンセン病をテーマにした小説の中で書こう」と決めたんです。

ハンセン病とどら焼き。この意外な組み合わせはどのように生み出されたのでしょうか?

写真:ドリアン助川さん

撮影/細谷 聡

 まず、元患者さんたちが書いたハンセン病文学を読みました。でも、その内容はあまりにも壮絶で、長期の入院すらしたことがない僕が、この人たちの苦しみを分かったつもりで書くことは無理だし、やってはいけないことだと思ったんです。だけど、胸の中に「書かなきゃ」という焦りはずっとありました。

 僕は2007年頃から道化師として音楽の舞台に出ているのですが、2010年に、不登校の子どもたちの居場所づくりに取り組む団体が解散するとのことで、最後のイベントとしてライブをやってほしいという依頼をいただいたんです。てっきり不登校の子どもたちとその親を相手にライブをするのだと思っていたら、実際には自閉症のお子さんや障害のある方など、生きる上でハンディキャップのある多様な人がいらっしゃいました。じっと聴いていられない子どもたちが会場を走り回るなかでラブソングを歌ったりね(笑)。その会場に「全生園(ぜんしょうえん 注2)から来ました」という3人組がいらしていて。僕は、胸に抱いていた思いを打ち明けました。すると、「療養所に遊びにいらっしゃい」と言ってくださったんです。

 後日、菓子折りを手に行ってはみたものの、ものすごく静かな全生園を前にして「すでに完治しているとはいえ、後遺症が残る元患者さんを直視できるのか?」などと考え始めたら、不安ばかりが大きくなって。そのときの僕の心境は、まさに『あん』に出てくる千太郎の気持ちそのものだったと思います。なんとか意を決して足を踏み入れ、僕はライブに来てくださっていた森元美代治さんにお会いしました。全生園を脱走して大学へ通ったこともある方です。いろんなお話をうかがうなかで、療養所に製菓部があったことを知りました。

 実は、その前年に甲状腺を壊してしまい、僕は、ドクターストップでお酒が飲めなくなっていたんです。気付いたら、それまでは苦手だった甘いものに手を出していて、「甘いものって、こんなに人を穏やかにするんだ」と感動し、「パティシエの小説を書こう!」と思いました。きちんと書くには自分がパティシエになるのが手っ取り早いと思い、製菓学校に通い、そのときの一般教養であんの炊き方を習いました。そんなタイミングで森元さんから製菓部の話を聞いたこともあり「患者ではない僕にも書けるかもしれない」と思ったわけです。

 鹿児島の療養所に上野正子さんという元患者さんがいらっしゃいます。その方の手記に、少女の頃に療養所に入ったことや、甘いものが好きだということが書いてあり、上野さんのような女性をモデルにしようと思いました。これが主人公の徳江です。

多磨全生園にひろがる豊かな森。小説ではその木々の来歴が語られています。

写真:ドリアン助川さん

撮影/細谷 聡

 全生園には患者さんたちが植えた桜並木があります。私たちの周りにある桜の多くはたいてい枝が剪定されていますが、全生園の桜は一切ハサミを入れられていません。それは、「自分たちは囲いから出られなかったから、せめて桜だけは自由にさせてあげたい」という思いからだそうです。ですから全生園の桜はとても大きく、野生味があります。桜以外にも、亡くなった人のお墓代わりに植えられた木があったりと、一本いっぽんの木に物語があるんです。元患者さんと園内を歩くと、木を指して「この人はね、とてもいい人だったのよ」なんて話をしてくれたり。そうやって木々を見つめてみると、病気の後遺症のために自分の外見が変わり、なおかつ療養所から一生出られないかもしれないという極限状態の中で、生きることをあきらめず、人生を全うした人たちに対して、僕は素直に頭が下がります。

 小説『あん』は、本格的に書き始めてから3年がかりで仕上げました。でも、実を言うと、出版直前で某大手出版社からストップがかかってしまったんです。ハンセン病が描かれていることにリスクを感じたのかもしれないし、単に売れないと判断したのかもしれない。いずれにしても、もう世の中には出せないのだと思い、ひどく落ち込みました。それで、僕は森元さんに手紙を書き、自分の思いをお伝えしました。「僕はハンセン病そのものを書いたわけではないんです。人はなぜ生まれ、どう生きるべきなのかをテーマに書いたつもりです。社会から断絶された過酷な環境にあっても、人生をやり遂げた元患者さんたちの中にある『生きる意味』を見出し、それを主人公である徳江の姿を通して描きたかったんです」と。森元さんは「それでいいんだよ」っておっしゃってくださいました。

 その後、ある友人が、ハンセン病文学に関心のある編集者がいると教えてくれて。捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものです。いい人たちに恵まれて『あん』の出版がかない、そして映画化されました。

─徳江の「聞く」という行為が印象的です。

 たとえ、障害があっても、たとえ短い命でも、たとえ隔離されていた人生だったとしても、どんな人にだって生まれてきた意味があるんです。社会で何をやったとか、いくら稼いだとか、そんなことはとても小さな物事の捉え方でしかない。でも現代社会は、雑誌でもテレビでも、「どう儲けるか」とか「時間はこう使おう」とか、能動的であることを推奨しています。でも、人生に意味を見出すときに、必ずしも能動的である必要はないと思うんです。「自分がアンテナになって、この世をまず受け止めてみる」、そんな受け身になることで人生の意味をかえって見いだすことができます。この世の聞こえない言葉を「聞く」ことこそ、本当に豊かな生き方ではないでしょうか。徳江の「聞く」という行為は、僕のそんな考えに基づいているのかもしれません。ただ、療養所に隔離されていた徳江の場合は、聞こえない言葉を聞くこと、つまり思いを馳せることが唯一の、囲いの向こうまで行く方法だったわけです。逆に言えば、それをしないことには隔離された環境に耐えられなかったのだともいえます。

次の世代に伝えていきたいことはありますか?

 世界では、今なお毎年20万人もの人たちが新たにハンセン病を発症しています。そういう意味では、まだ忘れてはいけない病気です。また、徳江のように、国の隔離政策に屈することなく生き抜いた人たちのことを、今の子どもたちにも伝えていきたいですね。どう伝えていくかは僕も思案のしどころですが、まずは『あん』を読んでいただき、映画を観ていただければ、と思います。映画と並行して『あん』の朗読劇も始めます。こちらもぜひ会場に足を運んでみてください。

注1
ハンセン病は「らい菌」により末梢神経や皮膚が侵される感染症。後遺症として顔や手足の変形をのこすことがある。本来、感染力は極めて弱いが、不治の病、恐ろしい伝染病とみなされ、厳しい差別の対象となった。かつては「らい病」と呼ばれたが、今日では「らい菌」を発見した医師の名前にちなんで「ハンセン病」と呼ばれる。1907年制定の「癩(らい)予防ニ関スル件」により患者の収容が始まり、1931年、「癩予防法」によって全患者の絶対隔離が開始される。患者たちは強制的に全国の療養所に収容され、家族や友人、地域から分断された。現在では、適切な治療を受ければ、確実に治る病気となっている。新規患者は日本では年に数人程度だが、全世界では20万人を超える。

注2
現在、療養所は全国に国立13施設、民間1施設があり、東京都東村山市にある国立療養所多磨全生園はその一つ。入所者の平均年齢は80歳を超える。特効薬により治る病気となってもなお、隔離政策は1996年まで続いたため、治癒後も多くの入所者が一生を療養所で送ることを余儀なくされている。

インタビュー/林 勝一(東京都人権啓発センター 専門員)
編集/那須 桂

原作者から映画『あん』について一言!

「樹木希林さんの演技は特に素晴らしく、観る人を爆笑させたり、すすり泣かせたりします。ラストで、とても幸せな気持ちになる映画です。僕が思うに、河瀬直美監督作品のなかでも最高傑作だと思います」

ドリアン助川

ブログ/ドリアン助川 道化師の歌
外部サイトへ移動しますhttp://durian-sukegawa.com/

映画『あん』

映画の一コマ:樹木希林さん

朗読劇『あん』

朗読劇『あん』のチラシ

『あん』

本表紙

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