東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第66号(平成27年5月27日発行)

特集

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就職差別を根絶し公正な採用選考を 『部落地名総鑑』事件から40年

本人の適性と能力とは全く無関係の事柄を理由に応募者を排除する「就職差別」。基本的人権を尊重した公正な採用制度の確立に向けた労働行政の転換点ともなった『部落地名総鑑』発覚から今年は40年。あらためてその課題について考えます。

『部落地名総鑑』事件とは

 日本国憲法は公共の福祉に反しない限り、自らの職業を自由に選択することを保障しています。本人の責によらない本籍・出生地、家族、生活環境などを理由にして就職の機会が奪われることは、その人の尊厳と自由を侵害することになります。その一方で、企業には経済活動の自由やどのような人材を採用するかの自由は当然認められています。しかしそれは応募者の基本的人権を侵してまで認められる自由ではありません。

 採用選考にかかわる最も大きな人権問題として、同和問題があります。1975年12月、全国の被差別部落の所在地を新・旧地名で示し、住民の職業や世帯数などを記載した『人事極秘・特殊部落地名総鑑』という冊子が販売されていることが発覚しました。上場企業を中心に200社以上が購入していたことが明らかとなったこの事件によって、被差別部落出身であることを理由に、採用選考から排除するための身元調査が蔓延している深刻な実態が浮き彫りになりました。

人の尊厳と平等を侵す就職差別

 事件当時、労働省職員として同和問題を担当していた竹村毅(たけむらたけし)さんは、同和問題に起因する就職差別の解消を進めるためには人権の考え方を理解することが不可欠だと言います。「人権とは誰もが生まれながらにしてもつ普遍的な諸権利の集合体です。その人権の核心は『尊厳』と『平等』です。尊厳を守るとは、その人が望む、その人らしい生き方を保障するということです。そして、差別とはその尊厳を侵し、平等を損なうことです。世の中には様々な区別がありますが、不当な区別、排除等を通じて“区別は差別に転化”します。ILO(国際労働機関)や国連は、雇用や職業における人種、皮膚の色、性、宗教、政治的意見、社会的出身、世系に基づく区別は差別になるから禁止すると条約にうたっているのです」。就職差別を解消する大前提として、こうした世界の人権に対する明確な考え方が日本には根付いていないと竹村さんは言います。

近代化と“身元調査”という企業文化

写真:竹村さん

元労働省大臣官房参事官
竹村毅さん

 なぜ企業は応募者の身元調査をおこなうのでしょうか。竹村さんはそこには江戸時代に由来する日本独自の企業文化があると言います。「身元調査は、江戸時代、武家屋敷に奉公する人の身元を調査し、保証する奉公人請状に起源があります。この請状はキリシタンでないことや逃亡した場合の弁償などを保証することが目的でした。その後キリシタンだけではなく、被差別身分ではないかを調べることに変わっていきます」。

 こうした身元調査制度は明治以降も連綿と引き継がれます。まず、近代的な工場があらわれると現在につながる就職差別が起こり始めます。「例えば富岡製糸場では、工場内で『あの人は新平民だから気を付けろ、付き合うな』と労働者が労働者を差別した記録があります。ストライキまでして新平民、つまり被差別部落出身者を工場から排除しようとしました」。そこで企業は、採用後にこうしたことが起きないように、採用時に面接などでチェックをするようになり、さらにその前の段階、応募書類で排除する仕組みへと採用制度を変えていきます。

 こうして多くの企業が、戸籍謄本や会社独自の応募用紙「社用紙」を提出させるようになりました。「社用紙には本籍や信仰する宗教などのほか、親の仕事や収入、家族構成、資産といったものまで書かせています。手元に『部落地名総鑑』があれば応募書類をみただけで被差別部落出身者を排除できます。『部落地名総鑑』は就職差別の“究極のシステム”です。これほど悪質なものは類をみません」(竹村さん)。

 企業が様々な個人情報を把握し、本人の適性と能力以外の事項で採否を判断する差別の仕組みは、近代化と経済成長を通じて出来上がってきたのです。

『部落地名総鑑』が示した差別の根深さ

 1965年、国の同和対策審議会は答申で、部落差別が原因で就職の機会均等が保障されていないことが重大な問題であると指摘しました。また、社用紙に代わり、差別につながる項目を廃した「統一応募用紙」制度が関西を中心に始まり、1973年、文部省と労働省は連名で高等学校卒業者の就職には統一応募用紙を使用するよう通達を出しました。さらに統一応募用紙がJIS規格の履歴書の参考様式例として添付されるなど、取り組みが進みつつあった矢先の1975年、「部落地名総鑑」事件は起こったのです。  竹村さんは「統一応募用紙は、江戸時代から続く身元調査の因習を断ち切り、就職差別の解消を目的としていました。ところが、それができてすぐにこの事件が起きました。つまり、応募用紙の様式だけを整えても、公正採用選考は確立されないことが明白になりました」と振り返ります。

 この事件は国会でも取り上げられ、労働大臣談話や12省庁連名による経済6団体への要請が出されるなど大きな社会問題となりました。そして、事件は差別解消に向けた様々な施策が本格的に始まるいわば「労働行政の転機」(竹村さん)となりました。

 例えば、一定規模以上の事業所について、「公正採用選考人権啓発推進員」を設置する制度はこの時にできたものです。推進員は、事業主が人事部長など採用責任者から選任します。東京都の場合、従業員が50人以上の事業所が対象となり、職業安定所等と連携して研修を実施するなど、公正採用選考の確立が目指されています。また、「企業の自主的な取り組みを促すために、労働省の働きかけにより各地に同和問題の解決に取り組む企業連絡会が創設されました」(竹村さん)。

人権を尊重する企業文化の確立へ

写真:山岡尚哉さんと竹内良さん

向かって左
東京人権啓発企業連絡会 理事長 山岡尚哉さん
向かって右
東京人権啓発企業連絡会 専務理事 竹内良さん

 そうした企業連絡会のひとつ、東京人権啓発企業連絡会には現在、東京に本社を置く企業を中心に124社が加盟しています。「『部落地名総鑑』事件は発足の原点」と言う同会理事長の山岡尚哉(やまおかなおや)さんは、この事件によって「企業の差別的体質」が明らかになったと言います。「当時は多くの企業で身元や思想信条などを確認し、不適切な採用選考をおこなっていたことは否めません。在日コリアンやアイヌの人々などに対しても差別的な扱いをしていたと思います。企業が社会的責任(CSR)を自覚して、人権問題に真正面から取り組むきっかけとなりました」。

 しかし、不正な身元調査は繰り返されました。1998年に1,400社あまりの顧客企業をもつ大阪の調査会社が企業の依頼を受けて就職希望者が部落出身者かどうかなどの身元調査をおこなっていたことが発覚しました。「顧客企業には会員企業の一部のグループ会社も含まれており、取り組みが根底から問われる深刻な事態」(山岡さん)に直面します。あらためて会員企業に対して組織内の点検を要請し、特別研修会を実施するなど、不断の取り組みの必要性が明らかとなりました。

 グローバル化が進み、ダイバーシティを重視した組織づくりが進む企業において今や、「人権の尊重を経営の基盤に据えなくてはならない時代を迎えています。経営者や担当者が代替わりしても変わらない人権を大切にする企業文化を確立しなくてはなりません」(山岡さん)。

 また同会専務理事の竹内良(たけうちりょう)さんは「応募者の適性と能力のみに基づいた採用基準を設け、予断や偏見を排して『あるがまま』をみようと考えるようになりました。『してはいけない』という行動規範を学ぶだけでは足りない。人権問題に取り組むことで職場がいきいきとするし、企業経営に役立つ。それが社会をより良くすることにつながる」と話します。

 現在、大学生の就職活動では、インターネット上のエントリーシートによる応募が主流になっていますが、ここに記入させる内容は外部からチェックするのが難しく、かつての社用紙と同じ過ちが繰り返されるのではと危惧されています。山岡さんは「新しい採用活動の中で、人権尊重をどう担保していくか」が今日的な課題だと言います。

 「戦後、日本は技術の革新を成し遂げましたが、近代化とともに形作られた人材採用に関する企業文化は革新されていない」と語る竹村さん。「だからこそ根が深いし、それに対抗する新たな文化を築かなければ、少しでもタガが外れたら、あっという間に元に還ってしまう」と警鐘を鳴らします。

 働くことは、生活の安定や社会参加につながる大切なことです。だからこそ、その入口となる採用選考は応募者の基本的人権を尊重し、適性と能力に基づき、公正におこなわれなければならないのです。

インタビュー/林 勝一(東京都人権啓発センター 専門員)
編集/脇田 真也

竹村 毅(たけむら たけし)
1934年生まれ。労働省大臣官房参事官、職業安定局高齢・障害者対策部長等を歴任。
第75、76回(1988年から1989年まで)ILO総会日本政府代表代理。
著書:『入門 企業と部落問題』(共著、部落解放研究所 刊、1987年)、 『CSRと人権─雇用・職業を中心に』(解放出版社 刊、2008年)他
東京人権啓発企業連絡会
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