東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第65号(平成27年2月27日発行)

インタビュー

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本当の自分を伝えられない苦しみを乗り越えて

性同一性障害とは、心の性別と身体の性別が一致していない状態の診断名です。当事者は全国で推計4万6千人といわれますが、社会の理解が進んでいないために差別や偏見を受けやすく、周囲に理解されない苦しみは当事者の自殺につながることさえあります。

杉山文野さんは、女性の身体を持って生まれましたが、幼い頃から自分は男性であると確信していました。死を考えるほど苦しんだ少年期を経て、自伝を出版し、現在はテレビ出演や講演会、当事者のための居場所づくりなど、精力的に活動しています。そんな杉山さんに、お話をうかがいました。

PROFILE

写真:杉山 文野さん

杉山 すぎやま 文野 ふみの さん
( 性同一性障害者、東京レインボープライド 共同代表)

1981年、東京都生まれ。性同一性障害者。女性の身体を持って生まれたが、幼少期より自分は男性だと感じていた。小学生のころからフェンシングを始め、2004年にフェンシング日本女子代表に選出され、世界を転戦した。早稲田大学大学院でセクシュアリティを研究し、2006年にその研究内容と性同一性障害である自身の体験を織り交ぜた自伝『ダブルハッピネス』(講談社)を出版。それが多くのメディアで取り上げられ、テレビやラジオへ出演するようになる。2012年、NHK Eテレ「Our Voice」でMCを担当。2014年、垣根を越えて人々が集うアジア多国籍料理店「irodori」をオープン。現在は「東京レインボープライド」の共同代表を務めるほか、講演活動や歌舞伎町の街づくりなど、さまざまな社会活動に取り組んでいる。

心と身体の性の不一致を自覚したのはいつ頃ですか?

 ものごころがつく頃には自分は男だと思っていました。3歳のとき、幼稚園の入園式でスカートをはくのが嫌で泣いていたのを覚えています。その後、私立の女子校に入学し、はじめて自分が女に属するのだと知りました。非常に驚くとともに、生まれ持った身体が女であることに強い違和感を覚えるようになりました。

 小学校から高校までの12年間、女子の制服で通学しましたが、毎日「女装を強いられている」気分でした。自分が学校の友人たちとは何か違うようだと感じながらも、「変な人」だと思われたくなかったので、だれにも相談できませんでした。当時は今よりも性同一性障害についての情報が乏しく、もちろん学校でそのことについて習うこともありませんでした。テレビでは中性的な男性を「おかま」と嘲笑し、みんなが「気持ち悪い」と言っていました。とても自分の悩みを打ち明けられるような雰囲気ではありませんでした。

生きること自体がつらい時期もあったそうですね。

写真:杉山 文野さん

撮影/細谷 聡

 年齢が上がるにつれ、心は男性として成長するのに、身体は女性として成長していきます。まるで「女体の着ぐるみを身に着けている」かのような違和感は日増しに強くなっていきました。学校では“女同士”としての友人もでき、放課後はフェンシングに熱中して、毎日充実していましたが、解決できない悩みを一人抱え続ける状況に変わりはなく、いつも死んでしまいたいと思っていました。しかしそうせずに済んだのは、僕に大きな愛情を注いでくれた家族のおかげです。そんなに愛されなければ楽に死ねるのにと、思ってましたね。自ら命を絶ったら家族が悲しむ。だから、どんなにつらくても、それだけはできないと思ったのです。

 高校生のとき、ついに苦しさに耐えかねて家族と友人にカミングアウト(告白)したことが大きな転換点になりました。本音で話せる場ができたことで、先の見えない絶望感から少し抜け出すことができたんです。とはいえ、両親に受け入れてもらうまでには、やはり時間がかかりました。僕の親くらいの世代は性的マイノリティの存在はよくないものだと教えられて育ち、正しい知識も持っていなかったから、それも仕方のないことです。しかし、今は情報化社会です。もう「知らなかった」では済まない時代になったと思います。

学校ではLGBT(注1)をどのように教えるべきでしょうか?

友人との写真

女子校に通っていた高校生のときの杉山さん(右から3人目)

 中学生のとき、保健体育の先生に一度だけ「性同一性障害を扱ってほしい」と書いて提出したことがありました。当時は応えてもらえませんでしたが、24 歳で自伝『ダブルハッピネス』を出版したとき、その先生に「あのときはどう扱えばよいか分からなかった」と言われました。また、学校で講演会をおこなうと多くの教員の方が「知らずに生徒を傷つけていたかもしれない」と言います。情報を得られやすくなっているとはいえ、ほとんどの教育現場には、いまだ教員が十分に生徒を指導できるほどの情報は届いていません。

 その大きな原因の一つに、学校教育ではLGBTの話を“性教育”だととらえている点が挙げられます。性の話は子どもたちには時期尚早だというわけです。しかしこれは、自分は何者なのかという“アイデンティティ”に関わる重大な問題なのです。だから保健体育ではない、社会科や人権学習など他の教科の枠組みで教えるべき内容だと、僕は考えています。

 また、LGBT当事者が自殺をすると「心が弱い」など、何かしら本人の側に問題があるかのように語られることが多い点も改めるべきだと感じています。当事者が絶望して自ら命を絶つほど、社会の側に理解がなく、正しい知識が浸透していないのだと知ってほしいのです。こうした発想の転換は、教育現場だけでなく社会全体にも必要ではないでしょうか。

生きることに前向きになれたのはなぜですか?

写真:杉山 文野さん

撮影/細谷 聡

 僕は小学生の頃から「30歳までしか生きない」と漠然と思っていました。高校生でカミングアウトした後も、心のどこかでそう思い続けていました。それほど、この世の中に、僕が生きていける場所があるとは思えなかったのです。

 僕が今日まで生きてこられたのは、正直な自分でいられる場所を増やすことができたためです。これも家族や、僕を受け入れてくれる多くの仲間たちのおかげです。そしてもう一つ大きな要因は、仕事を通じて社会人としての自信を得ることができたことです。

 僕は自伝の出版を機にメディアに取り上げられるようになったため、テレビ業界に就職するよう勧められました。しかし、LGBTの職業がテレビタレントか“水商売”しかイメージできない状況は当事者全体にとってよくないと考えていました。実際にはさまざまな職場で働くLGBTがいるはずですが、当時の僕にはその様子はほとんど見えませんでした。そこで僕は、性同一性障害であることを明かして、就職活動することにしました。だからなのか、なかなか採用してもらえませんでした。最終的に就職したのは社員1,300人の外食産業の会社でしたが、実は最初、面接で落とされたんですよ。でも、社長が僕のことを面白そうな奴だと気に入ってくれたので入社できました。後で聞いたら、LGBTだと承知のうえで採用した前例が無かったから、最初は躊躇してしまったのだそうです。

 仕事はとてもハードでした。いつも心と身体の不一致の悩みが心を捕らえて離さなかったのに、それを忘れてしまうほど忙しかったです。しかし、働けば働くほど、性同一性障害であること以前に一人の人間として仕事で認めてもらいたいと思うようになっていきました。最初は物珍しさから僕に声をかけてくださった取引先が、いつの頃からか能力を認めてくれるようになったときは、すごくうれしかったですね。このときのことは、僕にとって大きな自信となりました。それまでは、性同一性障害が僕のアイデンティティの全てだと思われているようで抵抗がありましたが、仕事で自信を得たおかげで、ようやく「性同一性障害も自分の大切な“一部分”だ」と思えるようになったんです。

退職して、飲食店をオープンしたのはなぜですか?

 さまざまな人が、垣根を越えて集まることのできる場づくりをしたいと思ったからです。僕自身、多くの人との出会いを糧にして、今こうして生きています。たくさんの当事者に会って気づいたのは、ちょっとした出会いやきっかけがあれば、人の生き方は前向きに変わるということです。飲食店なら、当事者とさまざまな人が互いに出会い、家や学校、会社では言えないことを自由に話せる場にできると考えました。

 また、当事者は、家族や友人をLGBTと関わりのある場に連れてくることをためらったり、当事者同士の集まりを敬遠したりすることがあります。しかし、料理屋なら「とりあえずおいしいものを食べよう」という理由で立ち寄れるので、心理的なハードルを下げることができるとも思いました。

 「我らに人権を!」と拳を振り上げ「なぜ分かってくれないんだ!」と叫ぶことは、場合によっては当事者と非当事者の溝を深くしてしまうこともあります。僕が今、世の中に一番必要だと考えているのは「自分のすぐ隣にもLGBTがいるかもしれない」と大勢の人たちに気づいてもらうことです。その意味でも、地域に愛される飲食店を目指すのは、初めの一歩としていいんじゃないかと思っています。

 この考え方は、僕が共同代表を務める「東京レインボー(注4)プライド」にも通じています。東京レインボープライドは、LGBTが差別されることなく、自分らしく前向きに生きていくことができる社会を実現するために設立されました。多くの人たちにLGBTの存在を身近に感じてもらうため、5月のゴールデンウィークを「レインボーウィーク」と銘打ち、さまざまなイベントを開催します。たくさんの人たちに会場へ足を運んでもらえたらうれしいです!

生きづらさを感じている人たちに伝えたいことはありますか?

 多くのLGBTは、本当は親しい人に自分のことを知ってほしいと感じているだろうと思います。けれど言えないさまざまな事情があるんです。それは当事者にとって本当につらいことです。

 かつての僕と同じ苦しみを、今感じている人たちに、「生きていればいいことがあるよ」とか「つらいだろうけど何とかなるよ」だなんて、軽率なことはとても言えません。しかし、それでも僕は33歳になり、素敵なパートナーにも出会うことができて、毎日幸せに暮らしています。僕のような人生もあるのだと、一つの例として知ってもらえたらと思います。

 つらい状況にあると、人生すべてを悲観してしまいがちです。みんなにぜひ伝えたいのは、考え方の違いで、見えてくる世界も変わるということです。

 たとえば、同じ状況でも「もうこれだけしかない」と思うか「まだこんなにたくさんある」と思うかで、気分は変わるものです。「自分にはあれもない、これもない」とネガティブなことに目を向けるのではなく、「あれもある、これもある」と、良いことを見つけるように、ポジティブに考えてみてはどうでしょうか。そうすることで、先の見えなかった人生が開けてくることもあるのではないかと、僕は思っています。

インタビュー/鎌田 晋明(東京都人権啓発センター 専門員)
編集/小松亜子
取材場所/irodori

用語解説

NPO法人 虹色ダイバーシティによる『LGBT基礎用語』を基に一部加筆修正しました。

(注1)【LGBT】
レズビアン[lesbian](女性同性愛者)、ゲイ[gay](男性同性愛者)、バイセクシュアル[bisexual](両性愛者)、トランスジェンダー[transgender](身体の性と性自認が一致しない人。性同一性障害を含む)の頭文字。性的マイノリティのこと。
(注4)【レインボー】
性の多様性を表わす虹色はLGBTのシンボル。赤、橙、黄、緑、青、紫の6色で構成される。
冊子表紙

『ダブルハッピネス』
杉山文野 著 講談社 刊

杉山文野 公式ホームページ
外部サイトへ移動しますhttp://fuminos.com/

東京レインボープライド2015

東京レインボープライドロゴ

(注) 4月25日(土)から5月6日(水・祝)までを“レインボーウィーク”として、都内を中心とした全国でさまざまなイベントをおこないます。詳細はホームページにて。

irodori(アジア多国籍料理店)

irodoriロゴ

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