東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第62号(平成26年5月30日発行)

インタビュー

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娘をもう一度、主権者に 成年被後見人の選挙権回復から1年を迎えて

名兒耶清吉さんの長女である匠さんは、生後3カ月で心身の発達が遅いなどの特徴を持つ「ダウン症」と診断されました。匠さんは進学・就職をし、20歳になってからは欠かさず親子で投票に行くようになります。しかし、清吉さんが匠さんの成年後見人(Keyword 1参照)になると、公職選挙法の欠格条項(Keyword 2参照)により、匠さんは選挙権を失ってしまいました。清吉さんは憲法違反を訴え、選挙権を取り戻すために裁判を起こします。勝訴、そして法改正から1年、選挙権回復までの道のりや、今、思うことを匠さんも交えて清吉さんに伺いました。

PROFILE

名兒耶 なごや 清吉 せいきち さん

写真:名兒耶清吉さん

1931年、茨城県生まれ。
2009年、当時47歳の匠さんの後見人として成年後見制度を申請。
被後見人である匠さんの選挙権回復を求めて、2011年に提訴。
2013年、勝訴。
現在、NPO法人おおぞら理事長。

名兒耶 たくみ さん

写真:名兒耶 匠さん

1962年、茨城県生まれ。生後3カ月でダウン症と診断。
1970年、茨城県立友部特別支援学校に入学。
1980年、土浦特別支援学校高等部に入学。
1984年、クリーニング工場に就職するも2年で解雇され、清吉さんの勤める会社に転職、現在に至る。47歳で被後見人となり選挙権を失う。
2013年、50歳で選挙権を回復。

匠さんの人権侵害に、清吉さん自身が3度「加担した」とはどんな場面ですか。

写真:名兒耶清吉さん

撮影/細谷 聡

(注)以下、清吉さんを(清)、匠さんを(匠)と表記

  匠は障害を理由に、地元の小学校への入学を拒否されました。茨城県内には当時、養護学校がなかったのです。“特殊学級”は3年生からで、なおかつ5人以上でないと設置できないことが理由でした。やむなく幼稚園に入れようとしたのですが、障害のある子どもは預かれないと、やはり2〜3の園から拒否されたのです。最終的に許可された幼稚園からは、園から退園を申し出た際には無条件で承諾することなどを言い渡されました。就学を猶与したいのは学校の都合なのに、学校教育法の手続き上、私が就学猶予願いを出し、幼稚園の理不尽な条件を受け入れたのも親である私です。匠に教育を受けさせられない人権侵害の片棒を担いだのと同じことで、これが1度目の「加担」です。

 匠が8歳のとき、県内に初めての養護学校が友部(ともべ)に開校しました。自宅のある牛久から遠かったのですが、匠が教育を受けられるのはここしかないと思いました。匠は寄宿舎へ入舎し、小学部と中学部の9年間、親元を離れて学校生活を送りました。高校は、養護学校が自宅から通学できる土浦に開校されたので助かりました。中学2年生の後半から匠に電車とバスを乗り継ぐ訓練をさせていましたので、高校へは1人でも通学できるようになりました。

 2度目の人権侵害は、高校卒業後に勤めた職場での理不尽な解雇です。障害者就労助成金の交付が終了するころに突然、社長から「経営不振のための人員削減」と告げられました。しかしその1週間後、「業務拡張のため新規社員募集」とのチラシを目にしました。障害者差別が透けて見える手法に納得がいきませんでしたが、退職を承諾したことは、私自身が人権侵害を受け入れたのと同じことだと感じたのです。

 結局、匠は私の職場に就職し、家庭用雑貨製品のパッケージやラベル貼りなどの作業をしています。楽しく仕事をしていると思いますが…?

  仕事は、楽しいです。昔から楽しかった。

  匠は1度始めると根気が続くんです(笑)。

 就学、就労そして3度目の人権侵害への加担が、匠から選挙権を奪ってしまったことです。

匠さんは欠かさず選挙に参加していたのですね。

左から父・清吉さん、匠さん、母・佳子さん。
緑豊かなご自宅にて。

  匠は20歳になってから、27年間、1度も棄権することなく、選挙に参加してきました。期日前投票をしたこともあります。理解のほどはわかりませんが、選挙公報もじっくり読んでいました。私は匠に、「選挙は国民の義務だから行くものだ」「誰に投票してもいい」「誰に投票したかはいわなくていい」、この3つを教えてきました。投票所では、顔立ちからダウン症とわかるため、職員から「偉いですね」「ごくろうさま」などと声をかけられ、匠自身もいいことをしたと感じたようで、ニコニコと楽しそうな笑顔を見せていました。

 しかし、財産管理や計算の苦手な娘のため、私が後見人として、成年後見制度を申請すると、被後見人である匠にだけ選挙ハガキが届かなくなりました。公職選挙法第11条第1項第1号に、被後見人の選挙権を制限することが定められていたからです。手続きのなかで、被後見人になると選挙権がなくなるという説明はされませんでした。知識としてはありましたが、自分の選挙権ではないせいか、私自身、あまり気に留めてもいなかったのです。

国を相手に提訴する決意をしたのはなぜですか?

  ある日、匠が「成年後見なんてなければいい」と言ったのです。つまり、そうすれば選挙に行けるから、というわけです。匠は選挙に行けなくなったことを諦めていたんだと勝手に思い込んでいた自分を恥じました。匠の将来を思って利用した成年後見制度が、大切な選挙権を奪う人権侵害になっていたことの重大さに気づいて愕然とし、何とかしなくてはと思ったのです。

 被後見人と、それ以外の人々の1 票の重さに、違いなどないのです。計算や金銭管理ができないからといって、参政権という国民としての重大な権利が奪われていいのでしょうか。選挙において判断力の弱い障害者が不正に誘導される可能性は否定できませんが、不正誘導した者に厳罰をもって臨むべきで、だから選挙権を奪うと結論することはおかしいのです。匠は27年間きちんと選挙をしていたのですから。

 本当は、成年後見制度を利用する多くの人が、選挙権を失うことに疑問を持っていました。しかし、誰も声を上げられずにいました。いつかは制度が改正されると思っていたからかもしれません。

 私は思い立つとすぐに行動する性格なので、障害者の虐待事件を通して顔なじみだった弁護士さんに相談したのです。そして話し合いの末、2011年2月1日、当時48歳の匠を原告として、成年被後見人の選挙権回復を求めて、東京地方裁判所に提訴しました。その後、さいたま、京都、札幌の各地方裁判所でも同様の裁判が起こされます。知的障害のある人やその親・家族、支援者らでつくる「全日本手をつなぐ育成会」の呼びかけに応じて集まった選挙権回復を求める署名は41万通以上になりました。マスコミにも大きく取り上げられ、傍聴席はいつも満席でした。

提訴から2年半という異例の速さで判決が下りました。

  2013年3月14日、成年被後見人は選挙権を有しないとする公職選挙法の規定は違憲とする勝訴判決が下りました。判決文を読み終えた定塚(じょうづか)裁判長が匠に語りかけてくださった次の言葉は、今でも忘れません。

 「どうぞ選挙権を行使して社会に参加してください。堂々と胸を張って、いい人生を生きてください」。

 この言葉に、涙が出るほど感激しました。傍聴席からは、盛大な拍手が起こりました。

すぐに公職選挙法が改正されたのですね。

支援者らとともに法改正を祝う名兒耶さん
(2013年5月27日)
写真提供:名兒耶 清吉さん

  判決からわずか74日後に、公職選挙法の改正案が参議院本会議において全会一致で可決される急展開は、目を見張る思いでした。

 2013年5月27日、公職選挙法が改正され、匠を含む成年被後見人136,000人の選挙権が回復したのです。直後の7月に行われた参議院選挙に間に合ったため、匠は約3年ぶりに選挙に参加できたのです。その2カ月後には茨城県知事選挙もおこなわれました。

  2回、選挙に行った。楽しかったです。

  県知事選挙で誰が当選したかわかるはずです。

  橋本知事です。一番強かった。

法改正されたにもかかわらず国はなぜ控訴を取り下げなかったのですか。

  違憲判決を受けた国は、法改正されるまでの間に地方選挙が行われた場合、成年被後見人の選挙権をどう扱えばいいか、選挙の現場が混乱するという理由で控訴しました。それが、法改正後には「違憲が一審で確定した例はない」との控訴理由に変わっていました。無為な控訴だと思いました。最高裁まで争う選択肢もありましたが、各地域の原告の親御さんも高齢で、これ以上裁判を続けるのは厳しいものがあります。そこで、すべての訴訟を取り下げる代わりに、国側にも控訴取り下げを要求し、最終的に和解となったのです。

それから1年、今、どんな思いですか?

  この命のあるうちに、娘をもう一度主権者たる国民の一人に復帰させたいという、私たちのささやかな願いは叶かないました。しかし、それで終わりではありません。もっと障害者が参加しやすい投票方法を検討していくべきだと思っています。たとえば文字が書けないなら、候補者名のリストにマルとかバツをつけるだけにするとか、名前を指で複数回示すとか、いろいろな方法があるのではないでしょうか。障害者の家族も、どうせできないと諦めずに、こうすればできるという意思決定支援の方法を考えて、社会が具体的に実行しなければ意味がないのです。

 また、選挙権と同じように、まだ多くの法律に、障害者というだけで一律に権利を制限する欠格条項が残されています。例えば、公務員として勤めていても被後見人となれば辞めなければならないのです。せっかく障害者権利条約を批准しても、国内法を整備しなければ障害者の差別解消にはなりません。それには障害がないと思っている人たちの理解と協力が不可欠です。

 私のように高齢になれば、眼が悪く、耳が遠く、腰も痛むし、物忘れもあります。それらは、視覚や聴覚に“障害”があるといえますし、肢体も不自由で記憶の“障害”があるともいえます。つまり、生きていくなかで“障害”を経験しない人などいないのだと、私は思うのです。こんな発想を頭の片隅に置いていただくことで、今回の選挙権のように、障害があるというだけで人権が奪われることについて、自分とは関係ないと思っている人にも考えてもらえたら嬉しいですね。

インタビュー/林 勝一(東京都人権啓発センター 専門員)
編集/小松 亜子

Keyword 1【成年後見制度】
認知症、知的障害、精神障害などの理由から、判断能力が十分でない人の生活を保護・支援するため、財産管理や法律行為を成年後見人等が本人に代わって行う制度。急速な高齢化や介護保険制度の導入などを背景に、従来の禁治産制度に代わり、2000 年にスタート。

Keyword 2【障害者に係る欠格条項】
障害等を理由に、免許や資格の取得を制限されたり、取り消されたりする法律や地方条例の規定。障害者の社会参加を不当に阻むことのないよう、国は、一律に制限する「絶対的欠格条項」から、条件次第で認める「相対的欠格条項」への変更や廃止を進めている。しかし、障害者欠格条項をなくす会によれば、まだ400以上の法律に障害を理由とした権利制限規定が設けられている。

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