東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第61号(平成26年2月28日発行)

インタビュー

ここから本文です

「食べる」ことは、人が「生きる」こと 映画『ある精肉店のはなし』

黒々とした大きな牛が住宅街の路地をゆっくりと男性に引かれていく。小さな屠場(とじょう)に入った牛はハンマーでノッキング(専用ハンマーで眉間に衝撃を与える)され、家族総出の手作業で瞬く間に解体される――。映画『ある精肉店のはなし』(2013年11月公開)は、江戸時代以来、七代にわたって屠畜(とちく)・精肉店を営んできた家族の記録です。屠場での仕事に対する差別が今なお残るなか、1年にわたり家族と地域の暮らしを追った監督の纐纈あやさんにお話をお聞きしました。

PROFILE

写真:纐纈あやさん

纐纈あやさん
(映画監督)

1974年、東京都生まれ。映画監督。自由学園を卒業後、半導体を扱う仕事に就くも、3年で退職。「これ」と思えるものを見つけるため、契約社員やアルバイトでさまざまな仕事を体験。2001年、写真家・映画監督である本橋成一氏の事務所「ポレポレタイムス社」に入社。本橋監督の映画『アレクセイと泉』(2002年)及び『ナミイと唄えば』(2006年)の製作に携わる。2006年、同社を退職。2008年、小川紳介監督作品『満山紅柿』を観て映画監督を志す。2010年、山口県の祝(いわい)島を舞台にしたドキュメンタリー映画『祝の島』で監督デビュー。シチリア環境映画祭ドキュメンタリー最優秀賞受賞。2013年11月29日(いい肉の日)公開の本作『ある精肉店のはなし』は監督2作目。

屠場をテーマにしたきっかけは?

写真:纐纈あやさん

撮影/細谷 聡

 私が屠場に出会ったのは、前作『祝の島(ほうりのしま)』を撮影していた2008年のことです。写真家で映画監督でもある本橋成一(もとはしせいいち)さんに連れられて、大阪府松原市の屠場を見学させてもらいました。

 足を踏み入れた瞬間に感じたのは、熱気です。そこで働く皆さんが、700〜800キロもある牛と真っ向から向き合い、全身から汗を流しながら肉にしていく。機械化された屠場ながら、あふれる活気に圧倒されて、言葉もなく食い入るように見つめました。自分の中で勝手につくり上げていた“冷たく、暗く、無機質”という屠場のイメージが、あっという間に変わりました。

 そして、見ているうちに自然と「ありがとうございます」という気持ちが湧いてきたのです。この仕事があるから、私の「食べる」という日常があるんだなって。屠場の仕事を知らないために、差別や偏見が生まれているのは、大きな間違いだと感じました。そして「この仕事を映画にしたい」という強い思いが湧いてきました。しかし、屠場の仕事が昔から被差別部落と深い関わりを持ってきた歴史や、それゆえの差別、また生きものの死を直接映像で扱うということのタブーなどがありましたから、映画にすることは簡単ではないと思っていました。

「北出精肉店」との出会いは?

写真:北出精肉店のみなさん

最後の屠畜作業を終えて。左から北出新司さん、昭さん、静子さん、澄子さん。
撮影/本橋成一

 そんな思いを胸に秘め続けて数年がたった頃、大阪府貝塚市に「すごいお肉屋さんがある」と聞いたんです。それが「北出精肉店(きたでせいにくてん)」でした。北出さん一家は、牛を育て、屠場で手作業による解体処理をおこない、小売までを一貫して手がけていました。今の日本においては稀有な存在ですが、利用する市営屠場の閉鎖が決まっていました。「映画の製作には間に合わなかった」と悔やんでいたとき、閉鎖が1年延期されて。そうしたら閉鎖を惜しむ人たちが屠場の見学会を企画したんです。せめて北出さん一家の屠畜作業の技術を記録したいと思い、カメラを回させてもらいました。

 ナイフ1本で牛をさばく技術は本当に見事でしたが、店主で長男の北出新司(きたでしんじ)さんと、次男の昭(あきら)さんは口をそろえて「何も特別なことではありません」と。屠畜は「生活のための仕事で、生まれたときから身近にある暮らしのひとコマ」だとおっしゃるのです。私は屠場の仕事をどのようなアプローチで描けばいいかを考え続けていたので、この言葉を聞いたとき、屠場を北出さん一家の“暮らしの一部”として捉えられたら、映画にできると思ったのです。

撮影の承諾には時間がかかったそうですが。

 映画には暮らしの中の様々なつながりが映り込みます。ですから、映画を作ることを地域の方々にも承諾していただかなくてはいけないと考えました。

 公開初日の舞台挨拶のとき、お招きした昭さんが「最初は断ったんですが…」とおっしゃったのですが、私は全然断られていることに気づいていなかったんです。むしろ、『いい手応えだな』くらいに思っていました(笑)。確かに、「自分たちは映画にしてもらうほどのものではない」とおっしゃっていましたが、それだけではなくて、家業として誇りをもってやっているけれども、それが映像になって世に出たときにどのように受け取られるかは大きな問題でした。

写真:解体のようす

700〜800キロもある大きな牛がナイフ1本で解体され、「北出精肉店」の店頭に並ぶ。
撮影/本橋成一

 屠場の仕事、あるいは被差別部落に対しての差別や偏見は、この社会にはまだまだ根深く残っています。それ故に、北出さんたちは地域で助け合いながら部落解放運動に情熱を燃やしてきました。北出さんご家族の歴史を語ることは、地域の歴史を語ることでもあります。ですから、地域の皆さんとも話し合いを重ねました。

 初めて屠場を見学したときの印象や屠畜の仕事に対して感じた感謝の気持ちを多くの人に伝えたい。そして、解放運動をしながら差別や偏見と戦い続けてきた歴史も含めて、この地域のことを自分なりに学んで理解した上で映画にしたいとお話しました。

 ふだんは温かく優しい地域の皆さんに「私たちの置かれている現実を中途半端に映画にしてもらったら困る。向き合う覚悟はありますか?」と問われ、「覚悟はあります」とお答えしました。「一生この地域と付き合っていきます。“これが自分たちだ”と思っていただけるものを撮りたい」と。すると、「多分、全然分かってないんだろうけど、分かろうとしていることだけは伝わる。引き下がりそうもないしね」と(笑)、承諾してくださったのです。

被差別部落の問題を描くことは監督にとってどのような意味をもつのでしょうか。

 差別を映像で描くのは難しいことです。実際の場面に居合わせられることはなかなかありませんし、それを撮れればいいというものでもないと思います。私は、前作『祝の島』における原発問題でも、今作の部落差別の問題でも、ある「問題」というフィルターを通して「人」を描きたくないと思っていました。「問題」を問題として理解するのではなくて、私たちはみな誰もが、同じ生活者なのだという視点を持つと、いかに豊かな営みと巧みな技術、伝統、そして温かい結びつきが残っているかが見えてくる。そこから、今まで彼らに向けられてきた差別や偏見とは一体何なのかを問いたいという思いがありました。

 ですからこの映画は北出精肉店の映画ですけど、主人公は一人ではないのです。店主の新司さんの堅実な仕事を支える家族や、ともに生きている地域の人たちを描きたかったのです。徹夜で踊り続ける盆踊りやだんじり祭もただの風景ではありません。世代を超えて地域がつながっている暮らしの一部なのです。そこから徐々に見えてくる差別の問題も北出さん一家や地域が体験してきたことです。水平社宣言や解放運動の歴史の解説を含めて私自身で全てナレーションしたのは、“私が出会った北出さんと地域”という視点を明確に表現したかったからです。

家族が集う食卓のシーンが印象的です。

写真:牛を引いて歩く北出さん

牛舎から屠場まで住宅街の中を牛を引いていく。
撮影/本橋成一

 食卓は映画の中心と位置づけています。食べ物を作り出している北出さん一家は食べることをとても大切にしています。撮影のために貝塚に滞在していると「食事は一人でするものじゃない」と、毎日食卓に呼んでくださいました。いつも「ご飯食べたか?一緒に食べてけ」って。なんともうれしかったですね。それにご飯が本当においしい。北出家ではいつも少し多めに食事を作るんです。突然、誰か来ても食べてもらえるようにという昔からの習慣です。

 私は当初から、「屠場の映画」ではなく「家族の映画」にしたい、北出さん一家の営みを通して人が生きるということを考えてもらえる映画にしたい、と思っていました。これが「屠場の映画」なら、屠場閉鎖後におこなわれた、家畜の霊を慰める最後の獣魂祭(じゅうこんさい)をラストシーンにして終われたかもしれません。でも、家族の暮らしはその後も継続していきます。だからこそ、獣魂祭の後も息子さんの結婚式、おばあちゃんの退院、牛舎の解体といった家族のドラマを撮り続けたのです。

屠畜作業のシーンが2回あります。冒頭と終盤ではまったく印象が変わりました。

 そう言っていただけるとうれしいです。屠畜の作業を中途半端に見せてはいけないと最初から思っていました。ハンマーでノッキングするシーンはほとんどの方が衝撃を受けると思います。しかし1度だけでは“衝撃”のみで終わってしまい、むしろ見せることがマイナスになりかねないと思い、2段構えにしたのです。

 最初は衝撃を受けるかもしれない。しかし、七代にわたる北出さん一家の暮らしや地域の姿を描いた後で、改めて最後に屠畜の作業を見てもらう。そうすることで“衝撃”を乗り越えて、屠畜作業の見事な技術を見てもらえるんじゃないかと。

食べて生きている私たちが忘れていることに気付かされた気がします。

写真:纐纈あやさん

撮影/細谷 聡

 屠畜の仕事をしていると話すと、「かわいそうで、よう見れんわ」「残酷ちゃうん」とよく言われるそうです。仮に“残酷”と言うならそれを食べている自分に対して“残酷”と言っているのと同じはずです。その言葉をその仕事を担っている人に向けるのは間違っています。「食べる」ことの本質や、食べ物がどうやってできているかを実感できないから、まるで他人事のようにそんな言葉が出てくるのだと思います。特に屠畜はできるだけ遠ざけたいもの、見たくないものとされてきたのだと思います。人が生きるということ、そして、自分の命を生かしていくには何が必要かということに気付くために、目を背けてきたこの仕事に一度は正面を切って向き合っていただけたらと思うのです。

 映画監督といっても私には特別な技術はありません。ただひたすら、北出さん一家が大切にしていることを伝えたい、その思いひとつで突き進んだ作品です。

インタビュー/林 勝一(東京都人権啓発センター 専門員)
編集/小松 亜子

チラシ

映画「ある精肉店のはなし」

上映情報

冊子表紙

〈関連書籍〉

このページの先頭に戻る