東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第56号(平成24年11月27日発行)

コラム

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ハンセン病の歴史に向き合う全生園に開園した保育園の取り組み

約一世紀にわたりハンセン病患者を強制隔離してきた日本。感染力が弱いことが分かっても、治療法が確立されても、政策は改まりませんでした。元患者の尊厳回復への歩みは始まったばかり。多磨全生園(たまぜんしょうえん)に開園した花さき保育園の取り組みが、私たちに教えてくれることとは?

写真:施設外観

 「おててどうしたの?痛くない?」
 「おばあちゃん、昔ね、病気になっちゃったの」

2012年7月、東京都東村山市にある国立療養所多磨全生園の敷地内に開園した花さき保育園。そこへ後遺症で指を失った元患者の方が訪れたときの一コマです。小さな園児がお年寄りに話しかける。そんな当たり前の日常をハンセン病患者は約一世紀にわたり奪われてきました。社会から隔離された上に、子孫を残すことを禁じられたからです。

 「らい病」と呼ばれ、古くから恐ろしい伝染病、遺伝病として忌み嫌われてきたハンセン病の患者は、明治時代以降、療養所へ強制的に隔離されました。1940年代に特効薬が開発され、治療法が確立されてもなお、日本は法律を存続させました。1996年、ようやく「らい予防法」が廃止され、長い人権侵害の歴史に終止符が打たれました。社会は元患者の尊厳を回復するための第一歩を踏み出したのです。

顔写真

森田 紅さん

 多磨全生園の入所者は現在243名、平均年齢は83歳です。「当事者がいなくなればハンセン病の歴史は忘れ去られてしまう。しかし事実を肌で感じた子供たちが育ってくれれば、歴史は将来へ引き継がれる」という関係者の思いが、同じ市内にあった保育園の移転へとつながりました。

 入所者は、後遺症はあっても病気は完全に治癒しています。しかし、いまだに差別や偏見が根強く残っています。移転の案が出た当初、保護者の中には躊躇する方もいたそうです。「丁寧に説明し、皆さんの理解を得ることを大切にしました」と話すのは園長の森田紅(もりたこう)さん。

 開園前の6月、入所者数名が保育園の見学に訪れました。そのときの様子を森田さんは次のように話します。「自分たちが子供に会うと親御さんに悪いって気を遣われて、開園前にいらしたんです。『こんなに小さいイスがあるのね』と驚く姿に、子供を産み育てることが許されなかった歴史を感じました。高齢で外出がままならない方にも、保育園からにぎやかな声が全生園に響き渡ることで、子供の存在を近くに感じてもらいたいですね」。

写真:施設庭先

 森田さんは10月の保育園だよりで、保護者に向けて初めてそんな気持ちを綴つづりました。するとあるお母さんが多磨全生園の敷地内にある資料館に行ってくれたのだそうです。「子供を通して保護者が関心を持ってくれることが嬉うれしい」と森田さんは言い、さらに次のように考えています。「保育園の活動を通して、ハンセン病の歴史に向き合いたいと思っています。そして保育園を、全生園と地域、子供たちの交流の場所にしたいです。入所者の方にとって、子供を持てなかった過去を思い出すのは辛いことだと思うのです。ですからそうした気持ちを受け止めながら、急がず少しずつ前に進みたいです」。

 木のぬくもりを感じる園舎と小道の間にはベンチが二つあります。そこに腰掛ければ、床から天井まである大きなガラス窓越しに子供たちの声や姿を感じることができます。「入所者の方と子供たちが、日常を同じ場所で過ごす。ハンセン病の歴史を語り継ぐ始まりの地点に、やっと立ったに過ぎないのです」(森田さん)。

 手探りしながら交流を進める花さき保育園の姿は、ハンセン病の歴史にこれから私たちがどのように向き合っていけばよいかを教えてくれます。

インタビュー/林 勝一(東京都人権啓発センター 専門員)
編集/小松亜子

豊富な実物資料、映像などでハンセン病の歴史を学ぶことができます。

国立ハンセン病資料館(国立療養所多磨全生園内)

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