東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第53号(平成24年2月29日発行)

インタビュー

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生きることは困ることの連続 でも、困って初めて見えてくる面白い発見もある

大野更紗(おおのさらさ)さんは、2011年に出版され話題をさらった『困ってるひと』の著者で、難病にまつわる様々な「困ってること」の当事者です。傍目には過酷な闘病生活にもかかわらず、大野さん独特のコミカルな描写が、読者を明るくポジティブな気持ちにさせます。
難病が発症するまでは、大学院生として難民問題の研究・支援に没頭する日々を送っていたという大野さんに、難民問題に興味を持つようになった経緯、どんな気持ちで執筆にあたったのか、闘病を通して気づいたことなどをうかがいました。

PROFILE

写真:大野更紗さん

大野 更紗(おおのさらさ)さん

1984年、福島県生まれ。作家・ライター、難病当事者。上智大学外国語学部フランス語学科卒。同大大学院グローバルスタディーズ研究科地域研究専攻博士前期課程休学中。学部生の時、ひょんなことからビルマ(ミャンマー)難民の問題を知り、支援活動に没頭、難民問題を研究する。大学院に進学した矢先の2008年夏に自己免疫疾患系の難病を発病。診断がつかず医療機関を放浪、過酷な検査、壮絶な治療入院の日々…。まさに「アンビリーバボー」な経験をユーモアいっぱいに綴ったエッセイを2010年8月よりウェブマガジンで連載、話題となる。2012年1月、個性的で優れた文筆家に贈られる「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」受賞。現在は、療養しつつ、執筆、イベント企画なども。本人曰く「絶賛生存中」。著書に『困ってるひと』(ポプラ社)。

─ マスク着用のままで、本誌にご登場いただくのは、大野さんが初めてです。まずは、その理由からお話しいただけますか?

写真:インタビュー風景

 取材を受けると、必ずと言って良いくらいに同じこと聞かれます。自己免疫疾患系の難病についての啓発という意味もこめてお話ししますね。私の病気は、「筋膜炎脂肪織炎症候群(きんまくえんしぼうしきえんしょうこうぐん)」という難病です。「皮膚筋炎(ひふきんえん)」という別の難病も併発しています。どんな病気かを簡単に説明すると、本来であれば自分の体を守るための免疫システムが、どういうわけか暴走して自分の身体を攻撃してしまうという病気です。その暴走を抑制する薬を服用しているために、免疫力がとても弱っている状態なんです。それで、あらゆる感染症にかかりやすく、健康な人が「ちょっと風邪ひいちゃって」という程度のものでも、私がかかると重症化してしまう可能性が高い。そんなわけで、常にマスクを着用しています。

 大学院に進学した2008年に発病したのですが、はじめは両腕にしこりと赤い斑点が現れました。「あれ?どこかにぶつけたのかな?」くらいの痛みだったものが、日に日に痛みが増して、それが全身に広がり、布団から起き上がることもできなくなって。体中が真っ赤に腫れ、関節はガチガチに固まり、38度の熱は下がらず、本にも書いたとおり可哀想なイモムシみたいになってしまいました。

インタビュー風景

 原因不明だったので、あらゆる種類の病院を何ヶ所も回って、その度に色々な診断が下されました。「そのうち良くなる」というお医者さんの言葉を信じ、私は薬を飲みながら、難民問題の研究のためにミャンマーとタイの国境ヘの調査旅行を強行しました。でも、症状は良くなるどころか、ますます悪化。肉体的限界で帰国しました。再び病院を転々とした結果、長期入院することになるのですが、意識が遠のくほどの痛い検査が連日繰り返されるわ、入院費はかさむわ、体が動かないために友人たちを頼りきった結果、友人たちを疲弊させてしまうわで、入院後も大変な毎日でした。

─ でも、ご著書からは悲壮感や絶望感のようなものは感じられません。どのような気持ちで書かれたのでしょうか。

インタビュー風景

 この本のもとになった連載を書いたのは、作家の高野秀行(たかのひでゆき)さんの存在が大きいですね。高野さんはタイやミャンマーなどの「辺境」に足を運んでは、その土地の政治や文化、人々について書いているのですが、その表現の仕方がとても面白いんです。たとえば、『ミャンマーの柳生(やぎゅう)一族』(集英社文庫)なんかは、まずそのタイトルが面白いですよね(笑)。ミャンマーの政治的混乱を柳生一族の話になぞらえていて、深刻なテーマであることを忘れてしまうくらいテンポが良く、思わず吹き出してしまう場面が何度もある。同じ問題でも、拳を振り上げて声高に訴えるようなやり方ではなく、こういうふうに楽しく伝えることができるのかと、感心しました。その高野さんの声が、ある日、病室のラジオから聞こえてきたんです。大学時代に高野さんをお招きして、難民問題の講演会を開いたことがあったので、とても懐かしく思うのと同時に、そのラジオでの話がまた面白くて。当時の私は、病気と闘いながら、煩雑な保険制度や行政の複雑な仕組みとも格闘し、社会関係も失って、ひとりきりの状況で、心身ともに疲弊しきっていました。それでふと、「高野さんなら、難民支援をしていた私が、医療難民になって闘っている状況を面白がってくれるかも」と思い、メールを出してみました。そうしたら、数日後に、高野さんが病室まで訪ねてきてくださったんです。リュックを背負い、辺境地に探検に行くときの格好で(笑)。

インタビュー風景

 高野さんに、「どういうものが書きたいの?」と尋ねられて、私は、反射的に、「書くなら、読み物として面白いものを書きたい」と答えました。すると、高野さんが編集者の人を連れてきてくださり、それで、ウェブマガジンで私の連載が始まることになったんです。そのとき、自分のなかで、2つだけ決めたことがありました。1つは、「読み物として面白いもの」。もう1つは、「世代や社会的立場関係なく、どんな人でもどんな読み方でもできるものを」ということ。

 悲壮感や絶望感がないと人に言われることもありますが、もちろん辛いときはたくさんあります。ただ、私自身を「可哀想」とはあまり思っていないんです。「困ったなぁ」と思うことは多々あっても、悲惨だとか悲劇だというふうにはとらえていません。困った状況になると、それを打破するための手段を調べたり考えたりしますよね。自分が「知りたい」と思った答えにたどりつくまでのプロセスは、意外と楽しいものなんですよ。

─ そもそも、難民の研究や難民支援に関心を持ったのはなぜですか?

 アメリカ同時多発テロ事件が起きた2001年、私は17歳の高校生でした。それまで当たり前だと信じていた世界が、歪んでいくのを目の当たりにして、大きな衝撃を受けました。国連とか、国際援助とか、そんな言葉を耳にする機会が増えるなか、国際社会ではフランスの発言が脚光を浴びていました。ちょうど進路を考える時期と重なり、思い込みが激しい性格も手伝って、「これからの時代はフランスかも」と思ったわけです。とりあえずフランス映画を観てみようと思い立ち、レンタルビデオ屋から借りてきたのはヌーヴェルヴァーグ時代のゴダールの作品。時代錯誤も甚だしいのですが、ヒッピーに憧れ、髪を金髪に染めて、アフロにしていました。非行への憧れではないので、べつに不良だったわけではないんです。

写真:病室での大野さん

入院中の病室にて、大学時代の友人と

 それで、上智大学のフランス語学科に入学。でも、ほどなく「あ、ちょっとまちがったな」と気づきました。そのころ読んだ、フランス憲法学の権威の樋口陽一(ひぐちよういち)先生の著書『個人と国家』(集英社新書)に、非暴力民主化運動の指導者であるアウンサンスーチーさんのことが書かれていて、ミャンマーの問題に注目するべきだという主旨の一文に出会ってしまいました。樋口先生のファンだった私は、「ミャンマーを放ってはおけない!」と。私が通っていた大学の近くには外国人が多く住んでおり、難民を支援している弁護士事務所や支援団体もたくさんあったんです。それで、ある方を通して、1人のミャンマー人の男性に会ってお話をうかがいました。政治囚として投獄され拷問を受けたので、日本に命からがら逃げてきたといいます。しかしその人は、平日は早朝から肉体労働をし、週末は軍事政権の圧政下に置かれている母国の人々のために人権活動をしていました。こんな人たちが、日本の経済を底から支えているということ。そして、わざわざ裁判で争わなくては難民として滞在することを許されないのだという現状を知って、ただただ愕然としました…。それ以来、「国連とかの大舞台じゃなくていい。身近にいる人の力になりたい」、そう思うようになりました。

 やがて私は、「問題は根っこから解決しなくては」と思うようになり、自分の目で現場を見たくて、タイとミャンマーの国境にある難民キャンプに通うようになったんです。

─ 難民を「支援する側」と、難病を患い「支援を受ける側」、両方の立場を知り、気づいたことはありますか?

写真:旅行時の大野さん

タイ南部の津波の被災地の村にて

 私は、自分が難病になって初めて、「難の当事者」になりました。私自身、難民と生活を共にし、彼らと同じ気持ちでいると思っていましたが、結局は「難の観察者」でしかなかった。支援者という立場は、いつでもその場所を去ることができる。でも、当事者は決してそこから逃げられない。それに気づきました。困っている誰かを支えるうえで、当事者と支援者、両方の立場を知る自分ならではのやり方を、今、模索中です。

 また、自分や相手の置かれている立場に関係なく、しっかりと対話を重ねることの重要性を知りました。相手の一側面から、相手を判断してはいけないということです。対話を重ねれば相手を多面的に見られるようになるし、「どうして、あんなことを言ったのだろうか?」と、その人がある言動に至るまでの経緯を想像できるようになります。そうすると、より深く相手を理解できるようになりますよね。

─ これからの日本社会には何を期待しますか?

 人間は、人生のなかで、弱者になるときもあれば、強者になるときもある。例えるならクジ引きみたいなものだと思うんです。私の場合は、たまたま難病というクジを引いてしまった。でも、「そのクジの結果はもう二度と変えられないよ」という社会にだけはしてはいけないと考えています。

 日本社会は、たとえば介護の問題など、何か問題を抱えたとき、家族や友人など、できるだけ身近な人たちで形成されるインフォーマルな(公でない)人間関係に頼って解決しようとすることが多い。でもそれを、社会というより大きなフォーマルな(公の)輪のなかで解決していけるようになるといいですね。

 誰かが用意してくれるわけではない。どんな社会にしていきたいかを、自分から進んで意見を交換し、多様な人と共に考え、対話を重ねる。「困る」という実践の中でしか見出だされない最善策が必ずあるものです。そんなふうにしていければ、社会全体がもっと良いほうに向かっていくと思います。

 こんなことを言うと、私の状況を知る人たちは、「強いね」とか「勇気があるね」なんて言いますが、実はまったくの逆。ものすごく心配性なんです。心配だから、自ら調べて、自らの目で見て、自ら行動してみないと安心できない。だから私はこれからも、困るたびに実践を通して、対話を重ね、最善策を見つけていければと思います。

インタビュー/鎌田晋明(東京都人権啓発センター 専門員)
編集/那須 桂
インタビューカット撮影/小河原 俊男

写真:冊子表紙

『困ってるひと』
大野更紗 著 ポプラ社 刊

endogenous soul 大野更紗のブログ
『困ってるひと』続編連載予定です!
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