東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第50号(平成23年7月28日発行)

インタビュー

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「思いやり」とは豊かな想像力のこと~自分自身を自覚することで、他者に思いをめぐらす

私たちは緊急時に、テレビやラジオ、あるいは館内放送や地下鉄の構内放送など、耳からの情報を想像以上に利用しています。しかし、そういった音声情報を得ることが困難な人たちがいることを忘れてはなりません。はたして私たちは、聴覚障がいの人たちの不安や不自由を想像できているでしょうか。
ろう児のための学習塾を運営する一方で、テレビ番組で手話の講師も務めている早瀬憲太郎(はやせけんたろう)さんと、日本で初めて聴覚障がい者で薬剤師になった妻の久美(くみ)さんに、東日本大震災に関すること、お二人のお仕事や、将来の目標など、お話をうかがいました。

PROFILE

早瀬憲太郎さん

写真:早瀬憲太郎さん

1973年奈良生まれ。ろう者。2001年より都立ろう学校の早期教育相談指導員を務め、ろう学校で映像教材を制作したことをきっかけにろう者をテーマとした映画の制作に携わるようになる。全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画『ゆずり葉』(2009)では脚本、監督を務めた。1996年にろう児のための学習塾「早瀬道場」を設立、手話による日本語、国語教育をおこなっている。このほかNHK教育テレビ「みんなの手話」講師、成人ろう者によるろう児の教育活動を目的とした非営利団体「スマイルフリースクール理事長」、日本映画監督協会会員など。

早瀬久美さん

写真:早瀬久美さん

1975年生まれ。ろう者。薬剤師である母の影響により幼いころより薬剤師をめざす。大学卒業と同時に国家試験に合格するが、「耳の聞こえない者には免許を与えない」という薬剤師法の欠格条項により免許申請を却下される。その後、全国の障がい者団体などの協力で欠格条項撤廃運動に尽力、220万人以上の署名を集めた。2001年、法改正がおこなわれ、ろう者として日本ではじめて薬剤師免許を交付される。現在は昭和大学病院薬剤部に勤務、調剤業務や外部関係業務および聴覚障害者外来を担当。著書に『こころの耳 伝えたい。だからあきらめない。』(講談社)ほか。

早瀬憲太郎&早瀬久美blog
外部サイトへ移動しますhttp://hayase.info/

3月11日に東北地方太平洋沖地震が起こったとき、どこで何をしていましたか?
また、そのとき何を思いましたか?

(注)以下、憲太郎さんを(憲)、久美さんを(久)と表記。

写真:インタビュー風景

撮影/小河原俊男

 自宅の近く、横浜市内の歯科医院で治療中でした。椅子に寝かされ、顔には布が被せられていたので、周囲を目で確認することができず、揺れはじめは「なんだか今日の治療は動きが激しいなあ」という感じでした。しかし、いよいよ揺れが大きくなって地震だと気づきました。いつも筆談で対応してくださる医院なので、そのまま横になっていたのですが、パニックでそれどころではなかったのでしょう、しばらくしてから布をどけて周囲を見わたすと、自分一人だけが取り残されていました(笑)。自分の身は、自分で守らなければならないことを、再認識しましたね。

 その話を聞いたときは思わず笑ってしまったのですが、冷静になってよく考えたら、そんな状況で主人の上に物が倒れてきたりしなくて良かったと心から思いました。

 私はというと、都内にある昭和大学病院で仕事をしている最中でした。普段から院内放送が流れるとどんな内容であっても同僚が教えてくれるため、今回もすぐに内容を教えてくれました。放送内容は主に患者さんの安全確保に関することで、私も入院・外来にろう者がいるかどうか、困るような事態になっていないかどうかすぐに確認をとりました。ろう者は、白杖を持っているわけでも、車椅子に乗っているわけでもないので、見た目では聞こえないということをわかってもらいにくく、非常時に必要な情報が遮断されてしまいやすいんです。

 だから、ろう者は、普段からもっと「聞こえないこと」をアピールするべきだと私は思っています。

 よく「非常時に健聴者は何をすればいいですか?」と質問されるのですが、すべてケースバイケースなんですよね。ただ1つ言えることは、聞こえる皆さんには、聞こえることを当然だと思わずに、“自分は聞こえる人”という自覚を持って、聞こえない人の状況や気持ちを想像力豊かに考えてほしいな、と。見える人としての自覚、歩ける人としての自覚、自分はどういう人なのかという自覚ができてはじめて、自分とは違う人が何を欲しているのかが分かると思うんです。

 大きな災害の時だけでなく、相手の立場に立って、行動できる人が増えてほしいですね。以前、主人と2人で電車に乗っていたとき、その電車が停まるはずのない駅に停まったことがありました。何が起きたのだろうと、キョロキョロしながら手話で話していると、近くにいたサラリーマンの方が、自分の胸ポケットからメモ帳とペンをサッと出して、「急病人保護のために緊急停車をしたと放送がありました」と紙に書いて教えてくださいました。こちらから聞く前に教えてくれたことに対して、感謝の気持ちでいっぱいになったことを今でも鮮明に覚えています。

被災地に支援物資として自転車を届けたと聞きました。なぜ自転車を選んだのですか?

写真:インタビュー風景

撮影/小河原俊男

 私自身、自転車が好きで、このことに明るかったこともありますが、被災したろう者の状況を考えて決めました。これは、障がいの有無に関係なく言えることだと思いますが、とりわけ、ろう者にとって、地域とのつながりは、かけがえのないものなんです。聞こえないことをわかってもらったうえで、お互いにコミュニティの一員として、長い時間をかけて築いてきた人間関係は、いざというときにとても頼りになります。しかし、今回の震災は、そうしたコミュニティをも破壊してしまった。あの震災以降、被災したろう者は、頼みの綱である“人とのつながり”が絶たれた状況にあります。携帯メールやFAXは復旧したかもしれませんが、コミュニティは回復できないままなんです。そして、東北人の忍耐強い気質のせいなのか、避難所では、自分がろう者であることを周囲に言わず、そのために助けを求めることができないでいる人たちがたくさんいる。食事の時間や重要なお知らせを告げる放送が聞こえない。気にかけてくれるご近所さんも、話し相手もいない…。でも、自転車があれば、知り合いのところへ会いに行けますよね。そう思って自転車を届けたいと思いました。

お二人はコミュニケーションの問題に関心があるんですね。普段はどんなお仕事をしているのですか?

 私は薬剤師として昭和大学病院に勤めています。ここには「聴覚障害者外来」という専門外来があります。手話であっても、筆談であっても、ろう者が自分の病状を正確に医師に伝えたり、医師が話すことを理解したりすることは、容易なことではありません。海外旅行先で、日本語の通じない病院に行くとなったら不安ですよね? それに似ていると思います。そこで、この専門外来があるのですが、私は、他の薬剤師と同様に調剤全般を担当する一方で、必要があれば、ろうの患者さんに薬の説明をしたり、相談に乗ったりしています。ほかに、昭和大学の学生さんたちに、障がいとは何かということを教える授業をおこなっています。

 私は、聴覚障がい児のための学習塾を開いています。3歳から18歳までの生徒、約40名を対象に、手話で国語の指導をしています。手話と日本語は、単語や文の組み立てが全く異なる別々の言語です。聞こえる人の場合は、耳から入ってくる日本語を自然に身につけ、国語の教科に入るわけですが、ろう児は「勉強」をしないと日本語を習得できないため、日本語(国語)が嫌いな子どもが多いんです。そうなると、周囲とコミュニケーションをとり、理解しあうことも苦手になってしまいます。私自身がまさにそうでした。

写真:学習塾

学習塾「早瀬道場」の様子

 私は一般の高校に通っていたのですが、ある日、女の子から手紙をもらったんです。そこに「あなたのことを考えると胸が痛い」と書いてあって、私は、「彼女は心臓の病気なんだ」と思ってしまったんですね(笑)。「でも、なぜ自分に心臓病の相談を?」と考え悩んだ末に、担任の国語教師にその手紙を見せて相談しました。すると、先生はにやにやして私を冷やかしましたが、「日本語は言葉の表面だけでなく、含意をくみ取らないといけない」と教えてくれました。そのときはじめて、“恋のせいで胸が痛む”という日本語の表現を知って、なんて面白いのだろうと思ったんです。それ以来、日本語をもっと知りたい、国語をもっと勉強したいと考えるようになりました。そして、子どものうちからこの面白さに触れることができれば、コミュニケーションが苦痛ではなくなると思ったんです。手話と日本語、それぞれに魅力があるので、その両方の面白さを子どもたちに伝えていきたいですね。

 ろう者の中には、育った環境によって手話が得意でない人もいます。身近な家族との意思疎通は、互いがあまり努力をしなくても、分かり合えてしまうことが多いので、以心伝心が通用しない他者とのコミュニケーションを重ねることが非常に重要なんです。そうして鍛えられたコミュニケーション能力は、成長してからの社会性にも直結しますから。私自身、聞こえる両親のあいだに生まれ、だいぶ成長してから本格的に手話を習得して、「これまでの自分は、どれだけの情報や感情を、取りこぼしてきたのだろう」と、悔しい気持ちになりました。ですから、主人が言うように、子どものうちから手話の力と国語の力を両方磨くことは、とても有意義なことだと思います。

すでに、さまざまなことにチャレンジされていますが、今後の夢や目標はありますか?

写真:調剤業務

調剤業務の様子

 たくさんあって困るんですが、仕事以外でやりたいことなら、また映画を作りたいですね。あと大好きな自転車競技の一つであるマウンテンバイクのレースで結果を出したいです。上からエリート・エキスパート・スポーツのクラスがあるのですが、エリートに昇格するのが今の目標ですね。ろうの子どもたちは、あれもダメ、これもダメと言われて育つから、夢や希望を持つのが難しいけれど、そんな子どもたちに、夢を追い求める大人のろう者の姿を示したいと思っています。

 私が、国家試験に合格したときには、ろう者は薬剤師になれないという法律の壁がありました。でもその後、皆さんの協力のおかげで法改正され、私は免許をもらうことができました。最初から薬剤師になる夢自体を諦めていたら、今の私はなかったと思います。だから私も、子どもたちが何か夢を持ったときに、障がいを理由に諦めてほしくない。

 私は、1人のろう者として、1人の薬剤師として、パイオニア的存在として活躍の場を広げていきたいですね。将来的には、寝たきりの患者さんや、交通が不便な場所にいる患者さんのために、在宅医療に関わりたいと思っています。

 それから、主人にぜひとも頑張ってもらい、デフリンピック(注)に応援しに行くのも、私の夢の1つです(笑)。

インタビュー/鎌田晋明(東京都人権啓発センター 専門員)
編集/那須 桂

(注)デフリンピック(Deaflympics)とは4年に1度、世界規模でおこなわれる、ろう者の国際総合競技大会。第一回は1924 年にフランスでおこなわれた。オリンピックと同じように夏季と冬季がある。次回夏季大会は2013 年開催予定。

デフリンピック啓発ウェブサイト(全日本ろうあ連盟スポーツ委員会)
外部サイトへ移動しますhttp://www.jfd.or.jp/deaflympics/

追記(2013年7月)

【祝】 早瀬憲太郎さんが自転車競技の監督・選手として、早瀬久美さんがスタッフ・選手として、第22回夏季デフリンピック競技大会に参加することが決定しました!

第22回夏季デフリンピック競技大会

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