東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第49号(平成23年3月23日発行)

特集

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われわれを隔てる「カーテン」とは──「偏見」という名の心の境界線

台本は書かない。事前のリサーチも被写体との打ち合わせもしない。現場では目の前の現実を“ 観察”しながらカメラを回し、編集ではナレーションや音楽、説明テロップを使わない。それが、ドキュメンタリーの原点を追求する想田監督の「観察映画」です。とりわけ精神科の患者にカメラを向けた映画『精神』では、一切のモザイク処理を排して観客に衝撃を与えました。

PROFILE

顔写真

想田 和弘さん

1970年、栃木県生まれ。東京大学文学部宗教学科卒業。1993年からニューヨークに在住、劇映画やドキュメンタリーを制作。ドキュメンタリー映画の第1弾『選挙』(2007年)は、ベルリン国際映画祭正式招待のほか、アメリカ放送界で最も権威のあるピーボディ賞を受賞。また、岡山市にある精神科診療所の患者を見つめた第2弾『精神』(2008年)も、日本公開前より海外映画祭で数多く受賞した。テロップ、ナレーション、BGM等を排除して観客の自由な思考を促す映像表現(観察映画)が、国際的に高い評価を受けている。

(C) 2009 イメージエフ/撮影:丸山光太

偏見とは人の心に存在する、人の作った境界線でしかない

映画『精神』の制作動機とは何だったのでしょうか?

 精神障害の世界にカメラを向けようと思ったのには、いろんな理由がありますが、ひとつは僕の実体験です。

 東大の学生だった頃、『東京大学新聞』の編集長をしていたのですが、不眠不休で仕事を続けるうちに、突然、何もできない状態になりまして。とくに記事を書こうとすると吐き気がする。直感的に「これは身体の不調というより心の不調だ」と思ったので、学内にある精神科に行きました。すると、医者いわく「それは燃え尽き症候群だよ。しばらく休んでなさい」と。

 「燃え尽き症候群」という言葉は、そのとき初めて聞いたんですが、妙にしっくりきたんですね。「オレ、仕事のしすぎで燃え尽きちゃったのか」と。『あしたのジョー』のラストシーンが心に浮かんだりして(笑)。

 そこで他の編集部員の迷惑もかえりみず、即座に編集部を辞めて実家に帰り、一週間くらい朝から晩まで昏々と眠り続けました。そしたら処方された薬も飲まずにケロッと治ってしまったんですが、この体験で精神疾患や患者へのイメージがガラリと変わりました。それまでは、精神科の患者といえば、僕とは何の関係もない異星人か何かのように思っていたんですけど、「自分もなるじゃん!」という。

 でも、世間ではそう考えられてない。たとえば、この出来事を友達に話したら「オマエ、精神科に自分から行ったの?普通、誰かに強制的に連れていかれるところだろう」と言って笑うんですよ。まあ、現実はそうなんでしょうけど、これって変ですよね。だって歯が痛めば歯医者に行くでしょう?なのに、何で心に不調を感じて精神科へ行くのはダメなのか。このとき、精神科の世界と、いわゆる一般社会は「カーテン」によって仕切られているような感じを受けました。

 その後、ニューヨークへ渡り、テレビ用のドキュメンタリー番組を作る仕事に就いてバリバリ仕事をしているときに、また似たような状況に(笑)。そのとき僕は、東京の編集室にカンヅメになってある番組の編集作業をしていたんですが、これがかなり精神的にも身体的にもキツかったんですね。しかも、職場でふと周りを見ると、精神的に疲れている人がゴロゴロいるわけです。実際、精神科に通院している同僚もいたし、どこの部署のだれさんが自殺したとかいう話も耳にする。

 そこでハッとしたんですよ。じつはこの閉塞的で鬱屈した空気は、この職場だけじゃなく、日本社会を覆っている流行病みたいなものなんじゃないか。日本社会そのものが、精神的な危機に直面しているんじゃないか。それでカメラの力で「カーテン」を取り除いて、ちゃんと観てみたいと思ったわけです。

撮影中に特に苦労した点はありますか?

 苦労したのは、患者さんから撮影許可を得ることです。今回、撮影の舞台になった診療所の山本先生は、当事者の意向を尊重する方針の方なので、僕からの撮影の申し出を受けたとき、患者さん主体の「活動者会議」で話し合ってもらったらしいんですね。そのときの結論が、「写りたくない患者さんもいるので、一人ひとりから撮影許可をもらうことを条件に受け入れます」というものでした。

 そこで僕と妻は毎日カメラを携え、診療所の待合室へ出向いたわけです。ところが、そこにおられる方に片っ端から自己紹介して、撮影許可を求めたら、10人中、8〜9人は「ノー」という答えでした。家族や同僚、近所などに病気のことを隠している人が多いんです。あらためて、患者さんたちはさぞやこの社会で肩身の狭い思いをしておられるんだろうなあ、と実感させられました。

 考えてみれば、病気を隠さなくちゃならないのって、相当苦しいと思うんです。だって、足を骨折してるのに、それを隠してみんなと同じスピードで歩かなくちゃならなかったら大変でしょう?でも、精神を患う方々は、そういう思いを毎日されているんだと思います。

 写真:映画撮影の様子

「精神」撮影現場 撮影:山本真也さん

 ただ、『精神』を撮り終えた後、病気についての考え方が変わりました。僕はこの映画を撮るまでは、「病気とは取り除くべき邪悪なもので、治ったときに問題が解決する」と何となく考えていましたが、そうとは限らない。たとえば、菅野さんという患者さんが自作の詩を詠むシーンがあるんですが、その詩を聞いているうちに「この方は、もし病気を経験しなかったら、果たしてこんなに人の心を打つ詩が書けただろうか」と思ったんですね。もちろん、ご自身にとって病気はつらいでしょうし、できれば治りたいとお考えでしょうけど、「病気=ネガティブ一色」ではないんじゃないか、と。

 それは40年間、統合失調症と闘い続けてきた今中さんにも言えると思います。彼の人間や世界に対する深い洞察は、やはり病気の体験なしには醸し出されてこないんじゃないか。誤解を恐れずに言うなら、彼の人生は病むという経験によって、豊かになっている側面もあると思うんですよね。

 写真:映画撮影の様子
写真:今中さん顔のアップ

今中さんの出演シーン

 現在は「患者や障害者=弱者」と自動的に考えてしまう風潮がありますけど、あれもどうなんだろうと。高齢者だって、昔は経験豊かな知恵袋として尊敬されていた面もあったと思うんですけれど、いまは若い世代の支援を受けるべき「弱者」として扱われがちです。病気や障害によって、あるいは年齢を重ねることによって逆に強くなれる面もあるわけでしょう。それなのに「弱者」と決めつけるのは、とても失礼な考え方だなあって、いまは思っています。

 また、精神科の世界と一般社会を隔てる「カーテン」のようなものについて、映画の中では今中さんが「偏見」という言葉で置き換えておられました。あれはとても的確なご指摘だと思います。それに別の角度から僕が付け加えるとすれば、たぶん国境みたいなものなんだろうと思います。つまり、そこに実体としてあるわけではなく、人工的に作られた境界線。宇宙からは決して見えないものです。しかし、人々の心の中には確かにあって、人々が「あたかも存在する」かのように振る舞うからこそ、存在してしまう。そういうものだと思います。

モザイクをかけないことこそが被写体を偏見から守る

精神科の患者さんに「モザイク」をかけなかった理由は?

 まず、映画作家として言わせてもらうと、自分の撮った絵にモザイクをかけることって、この上なく不条理なんですよ。だって、それを撮りたいからわざわざカメラを向けるわけでしょう。後でモザイクで隠すんだったら、そもそも撮る意味がわからなくなる。

 それに、精神科の患者さんにモザイクをかけるのは、作り手の心理から言うと、被写体のプライバシーを守るというより、自分を守りたいからなんですね。その証拠に、本人が「素顔で出たい」と言っているのに、テレビ局が不安になって勝手にモザイクをかけちゃうケースも多いんですよ。もっと言うと、モザイクをかけるのは、被写体との関係を断ち切りたいからなんです。だって、モザイクで顔を隠せば、被写体の人がどんなに自分の描き方に不満があっても訴えられることはないだろうし、「顔を出してないんだからいいでしょ?」という具合に片付けることができますよね。だから撮影が終わったら、被写体との関係もキレイさっぱり切ることができるわけです。

 これって、患者さんを精神病院に隔離したがる心理とよく似ているんですよ。もちろん患者さん自身の治癒のための入院もあるんでしょうけど、いわゆる一般社会が自分たちを守りたいがために入院させているケースも多いわけでしょう。そして、人は見えない存在、遠い存在に偏見を抱くものですから、隔離病棟やモザイクは対象への恐怖やタブーを助長してしまう。

 僕はこの作品を撮りながら、モザイクをかけることが、これまでいかにメディアに責任を放棄させ、堕落させてきたのかを再認識しました。だって、モザイクをかけちゃえば被写体への責任を放棄できるので、おどろおどろしい音楽をつけて患者を化け物のように描くこともできるわけです。逆にモザイクをかけないと、作り手も被写体をフェアに描くよう細心の注意を払わざるをえない。だから、モザイクをかけないことこそが、実は被写体となった人を偏見から守ることにつながるんですよ。

新作が完成したとのことですが…。

 新作の『PEACE』(観察映画・番外編)は、『精神』と同じ岡山が舞台です。というか、『精神』では黒子に徹していた義母や義父の仕事にフォーカスを当てた作品です。したがって『精神』の続編的な意味合いもあります。2011 年夏、渋谷のシアター・イメージフォーラムなど、全国の映画館で公開される予定です。

 そのかたわら、観察映画の第3 弾となる『演劇(仮)』を編集中です。劇作家の平田オリザさんと、彼が主宰する劇団「青年団」に焦点を当てています。300 時間以上カメラを回してしまったので、永遠に編集が終わらないのですが(笑)。それでも、とても面白いものが撮れていますので、ご期待ください。

文 山川英次郎

想田監督の次回作『PEACE』

2011 年夏、渋谷シアター・イメージフォーラムなど、全国で公開予定。

映画のワンシーンの写真

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