東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第48号(平成22年11月29日発行)

特集

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社会とつながる“開いた”アート

「エレベーター・ガール」や「マイ・グランドマザーズ」など、社会の固定観念を揺るがす写真作品のシリーズを制作し、世界中の芸術ファンを驚嘆させた現代美術作家のやなぎみわさん。一児の母として生活し、そしてアーティストとしての創作活動も続けるやなぎさんに、芸術を通して社会に働きかけることについて語っていただきました。

PROFILE

顔写真

やなぎみわさん

 1967年、兵庫県神戸市生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。93年、京都で初個展。以後、96年より海外の展覧会にも参加。おもな作品に、若い女性が自らの半世紀後の姿を演じる写真作品「マイ・グランドマザーズ」シリーズ、実際の年配の女性が祖母の想い出を語るビデオ作品「グランドドーターズ」、少女と老女の物語をテーマにした写真と映像のシリーズ「フェアリーテール」など。09年、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表作家。10年3月、京都芸術センターにてお茶会を模した演劇「桜守の茶会」の脚本・演出。同年11月、東京芸術劇場にて開催された演劇祭「フェスティバル/トーキョー10」でメイド喫茶を模した演劇「カフェ・ロッテンマイヤー」を作・演出した。近年、ビジュアル作品にとどまらない創作活動をおこなっている。

自己完結する作品ではなく人や社会とかかわるなかで新しい創作に挑戦したい

社会とつながる“開いた”アートとは、どういうものですか?

やなぎみわさんの写真

 現代美術に対する日本人の一般的なイメージは、「非日常的なものとして、遠くから眺めるだけの存在」といったところでしょうか。どうしてかと言えば、さまざまな理由が考えられますが、作家の努力不足も大きいのではないかと、わたしは思います。

 内向きの世界だけで作品を作り“ わかる人たち”だけでコミュニティーを形成する。そんな閉鎖的な状況を刺激的だと感じている人が、たくさんいるのです。しかし初めから「わかっている人だけが参加してくださいね」というメッセージを打ち出している限り、現代美術は偏狭で閉じた世界にとどまるだけでしょう。社会と深くかかわり作品を生み出している作家もいるのですが、まだ多くの作家が社会に対して閉じている現在の美術界の傾向を、わたしはとても残念に思っていました。

 そんな時、『THE BIG ISSUE』誌((注)本紙「リレートーク」参照)の第135 号でゲスト編集長をさせてもらい、わたしが興味を持っている社会派アーティストたちと対談できたことは、本当に大きな刺激になりました。

My Grandmothers: YUKA
H 1600 x W 1600 mm
Digital Print
2000

 じつはわたし自身も、どちらかと言えば“ 閉じた”タイプの作家なので、自戒を込めて「人や社会とかかわるなかで、なにか新しいことができないだろうか」と、常々考えています。

 ただ、わたしはいつも閉じているわけではなく、たとえば「マイ・グランドマザーズ」というシリーズでは、一般公募したモデルの女性たちに、半世紀後の理想の自分についてインタビューを繰り返し、その会話から浮かんできた老女像を描き出しました。ですから、これはかなり“ 開いた”作品なのですが、その次の「フェアリーテール」というシリーズは、自分の中の世界だけで作るような感じで、そうやって、閉じたり開いたりしているわけです(笑)。

家族とはフィクションだと思っていた。

家族を持ってみて、親になって知ったことについて話してください。

 幼いころ、わたしの家ではいつも、父が暴力を振るっていました。それで、「わたしが演出家で、好きなように指示を出せたらいいな」と、いつも思っていました。わたしは「家族」という存在をフィクションと思うことで生き延びました。いま目の前にある家族が劇団で、「ミスキャストだから本公演をもって解散します」と言えたなら、どんなによかったことか。

 現在はわたし自身も子どもを産んで家庭を持っていますが、いまも家族はフィクションだと感じている部分があります。ただ、母親になって一つわかったのは、子どもだけが「この家庭はダメだから、ここで解散します」と言うことができる存在だということです。それが次の世代を生きる若い人の特権なのでしょう。

 でも、親のほうは、子どもに対して「悪いけど、解散するわ」とは言えません。どんなに家庭がダメになっても「もう一回やり直しさせて」と謝る。そうやって何度も失敗を繰り返し、ときに子どもに恨まれることもあるのが、親という存在なんでしょうね。親が、こんなにも厳しい立場だったことに初めて気づきました。

 よく「DVは世代を越えて受け継がれる」と言われますが、わたしは絶対に断ち切ることができると思っています。そうでなければ、わたしの家族を含め、つらい経験をしてきた大勢の人たちが救われません。社会を啓発することで、悪しき問題は必ず解決できる。わたしは、そう信じています。

“イレギュラー” な存在を受け入れられる社会になってほしい。

妊娠・出産のときに不愉快な経験をされたそうですね。

 わたしが通っていた産婦人科では、妊産婦にヨガを教えたりする母親教室を開催していたのですが、そこではわたしたちを名前ではなく、「ママさん」とか「ママちゃん」と呼ぶんです。いったいここは飲み屋か?!と(笑)。

 おそらく母親としての自覚を持たせるためなんでしょうね。スタッフをはじめ、妊婦さんたちを含めたみんなに、一致団結した雰囲気がありました。

 助産師さんのなかに、わたしのことを絶対に名前で呼ばない人がいて、わたしはその人に良い印象を持っていませんでした。しかし、いざ出産のときには、その人の手をつかんで絶叫していました(笑)。「おめでとう、ママちゃん」と言われたときは、まいりました〜って。もう敗北感でいっぱい(笑)。

 でも、退院してしばらく経ってから、やはりそれはマズいだろうと思い直しました。とりわけアーティストは冷静で客観的な視点を保っていなくてはならないものです。妊娠・出産は母親個人の尊厳にも深く関わってくることですから、「ママちゃん」ではなく、きちんと名前で呼ぶべきだと思います。

 作品発表のために訪れた海外で知ったことですが、例えば、ドイツや北欧では出産前から保健師が家に来て妊産婦と一対一でカウンセリングをします。そのとき、そばに夫らしき男性がいてもその人にはお構いなし。あくまでも母親となるその女性ひとりと話をするんです。シングル・マザーが多いという事情もあるのでしょうが、そうすることが支援を届ける最善の方法なのでしょう。

 それと面白いことに、スウェーデンの母子手帳には「あなたの子どもは、あなたの子どもじゃありません」と書いてあるんですよ。つまり「子どもは社会全体の財産」という意味ですね。日本は家族の責任で何とかしてください、という社会です。家族制度が壊れているにも関わらず、です。

生きやすい社会とはどういうものでしょうか?

 日本にいると、「女性に与えられている理想像」には、「空気を読め」という無言の圧力を強く感じます。それから、体が不自由なお年寄りや障害を持っている人、妊産婦や子どもなんかもそうですが、全速力で走れない“ 規格外”の存在を排除しようとする力を、すごく感じます。

 わたしはヨーロッパに行くとすごく気持ちが楽になるのですが、それは“ イレギュラー”な人ばかりの社会だからですね。一人ひとりが違うのはあたりまえ。本当は日本だってそうなのですが、そうではないことになってしまっている。一人ひとりが違う、ふぞろいな社会は「効率が悪い」と思うかもしれませんが、彼らにはそれを受け入れる心の余裕があります。

 日本の社会は、みんなで歩調を合わせてなにかを成すという能力に長けています。だけど、そのために個人の名前を奪い一つの型に押し込んでしまうのだとしたら…。きっとそのほうが効率的なんでしょう。でも、そういう社会は一つでも歯車がずれたときには、とてももろいのです。

 そんな世の流れに対して、わたしはいったいなにができているのかと言えば、心許ないのですが、芸術という方法を使って社会へアプローチし、新しいビジョンを提示できたらと思っています。現代美術は理解されにくい部分もたしかにありますが、だからこそ必要なんだと、わたしは考えています。この息苦しい世の中を少しでも変えていくために、社会の固定観念に対して“ 表現”という小石を何度もなんども繰り返し投げてみる。それが美術作家の仕事だと思います。

今後、新しい作品分野に取り組んでいきたいとのことですが。

写真:歌を歌う女性たち

「カフェ・ロッテンマイヤー」での合唱パフォーマンスの様子
おばあちゃんメイドからの歌のプレゼントにびっくり。
メイド喫茶の客のつもりが、いつのまにか演劇に参加させられてしまう。

 今年(2010 年)11 月に都内で、メイド喫茶を模した演劇「カフェ・ロッテンマイヤー」を作・演出しました。一般公募した20 代から70 代までの自称「おばあちゃんメイド」が厳粛な面もちで給仕するというもので(笑)、カフェのお客さんも作品の一部となる、観客参加型の作品でした。

 総勢30 名もの女性がメイドとして協力してくれましたが、子連れで務めてくれた人が2 人いました。応募者の審査のとき、「務まるだろうか…」と一瞬思ったのですが、それこそが“ 排除の論理”じゃないかと思い直して採用した、なんていうこともあったんですよ。

 これまではおもにビジュアルの作品を作ってきましたが、今後は演劇にも真剣に取り組みたいと思っているんです。やってみたいのは現代美術と親和性の高い前衛的な劇ではなく、もっと親しみやすい台詞劇の喜劇です。喜劇は究極の観客参加型作品ですから、それこそ“ 開いた”芸術でしょう。

 来年には……まだ詳しいことは言えないのですが、新しい演劇作品で社会に問いかけてみたいと思っています。ぜひ期待していてください。

文 山川英次郎

冊子表紙

マイ・グランドマザーズ

淡交社 刊

2009年に東京都写真美術館と国立国際美術館で開催された個展のカタログ。「エレベーター・ガール」をはじめとした、ヴェネチア・ビエンナーレ以前の作品を概観することができる。

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