東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第46号(平成22年6月16日発行)

特集

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矯正施設と社会のかけ橋を目指して ~篤志面接委員の現場から~

矯正施設に収容されている受刑者や少年院在院者に対して、面接や指導、教育をおこない、更生と社会復帰を手助けする民間ボランティアを「篤志面接委員」といいます。東京都狛江市の女子少年院、愛光女子学園で27年間、篤志面接委員を務め、現在も10代の少女たちと向き合い続ける歌手の千葉紘子さんに、犯罪を犯した人たちの更生に必要なこととは何か、更生保護活動をめぐる現状などのお話をうかがいました。

顔写真

千葉紘子さん

1965年3月、山脇学園短期大学卒業。70年4月、大阪万国博覧会「第3回全国カンツォーネコンクール」で優勝。71年7月にデビューし、72年7月、ヒット曲『折鶴』を発売。83年2月、法務省・篤志面接委員委嘱。90年12月、法務省・保護司委嘱。97年7月、総務庁・15期青少年問題審議会委員任命。98年7月、法務省・法制審議会少年法部会委員任命。2001年4月、文部科学省・中央教育審議会生涯学習分科会臨時委員任命。現在、歌手活動をはじめ、篤志面接委員、保護司、(財)全国篤志面接委員連盟評議員、(財)アジア刑政財団評議員、東京家庭裁判所家事調停委員、(財)矯正協会副会長などを務める。

人間の存在や犯罪の理由をあらためて考えさせられた

この仕事を始めたきっかけは?

 少年院の篤志面接委員になる前は、1980年に要請を受け、成人の矯正施設、いわゆる刑務所へ慰問として歌いに行っていました。当時の法務省の矯正局長は「施設を訪ねて歌を歌ったり、話をしてくれたりして、収容者の改善更生に力を貸してくれる外部の人を迎えたい」と強く望んでいたのです。たとえ何万の言葉を尽くしても動かせない人の心にも、時に音楽の持つ力が自然に胸に染み入り、動かすこともある。そんな期待をかけていたとお聞きしました。

 それ以来、何度か刑務所を訪れ、犯罪を犯した人たちと時間をともにするなかで、「人間って何なのだろう?」と考えるようになりました。犯罪被害者の方々が犯人を憎むのは、人として当たり前の感情ですが、犯罪を犯した人たちもまた一人の人間です。そしてわたし自身、どんな事件を起こしてもおかしくない人間の一人なのではないか――そう想像したとき、自分を含めて「人間とはどんな存在なんだろう」「犯罪とはいったい何だろうか」というぼんやりとした思いを抱くようになったのです。

 それから三年後、広島県の貴船原少女苑(きふねばらしょうじょえん)という女子少年院へ慰問に訪れたときに「篤志面接委員にならないか」というお誘いを受けました。この仕事がどんなものなのか、よく知りませんでしたし、自分に務まるかどうかもまるっきりわかりませんでした。それでも「時々訪ねてきて、歌を聴かせてくれたり、歌を教えてくれたり、子どもたちとお話をしてもらえればいいんです」とお聞きしたので、軽い気持ちで「やってみます」と手を挙げたというわけです。だから最初は、まさかこんなに長い間、篤志面接委員を続けることになるとは想像もしていませんでした。

篤志面接委員は、どんな仕事をするのですか?

 その後、東京都狛江市にある愛光女子学園という女子少年院の篤志面接委員にもなりました。わたしの他にも華道や珠算、書道の先生など、何人もの篤志面接委員がいるんですよ。わたしは月に一度、コーラスの指導をしています。でも、一時間なんて本当にあっという間なので、もうあと一時間欲しいなあ、というのが正直なところ。施設の中では好き勝手に大声を出したりしてはいけませんので、子どもたちも大きな声を出せるこの時間を楽しみにしているんじゃないかしら(笑)。

 それから個人面接を続けている篤志面接委員もいます。わたしも週に一回、個人面接をしています。時間は一時間弱、毎週同じ女の子と、数カ月にわたって面接を続けます。こちらから積極的に働きかけるというよりも、とにかく話を聞くことが基本です。時には愚痴をこぼしたり、無駄話のようになったりもしますが、自分のことを話すなかで、本人が気がつくこともたくさんあるようです。

 そしてある段階まで来たら、今度は「そろそろ現実的なことを考えてみてもいいね」と、大人の意見を伝える番です。そのときに、意見の押しつけにならないように「わたしはこう思う」と伝えることを心がけています。もし「あなたはこうだから、こうしなきゃ」と言うと、それがどんなに正しいことでも、言われた本人はつい反抗したくなってしまいますよね。でも、ここは議論をしたり考え方を強要したりする場ではないので、「わたしはこう感じるよ」「こう考えるよ」という“わたしメッセージ”を伝えた上で、本人が「ああ、そういう考え方もあるのか」と客観的に見られるように手助けすることが大切なんだと思います。

千葉紘子さんの写真

 10代の子どもたちの矯正教育は、なかなか進まないように見えて、あるとき目覚ましい変化を見せてくれることがあります。それは自分のことが見え始め、先のことを考えるうちに、自分がこれからどう行動していけばいいのかが少しずつわかってくるからでしょう。たとえば沈うつな顔つきだった子や、やり過ごしてごまかそうとヘラヘラしていた子の目に急に深みが出てきたり、言葉に思慮深さが出てきたり、落ち着きが出てくるなど、「こんなにも変わるのか!」と驚くほどの変化を遂げてくれます。そんな子どもたちの姿を見られるのが、この仕事をしていて一番うれしいことですね。一人の人間の顔つきが劇的に変わる場面なんて、ほかではあまり居合わせることができませんから。

 じつはわたしは幼いころ、教師になりたいと思っていました。自宅の近くにろう学校があったのですが、そこの先生が聴覚障害の子どもたちに接している様子が、とても優しそうで、美しく見えたんです。そんな姿を見て「ろう学校の先生になりたいなあ」と思いました。もしかしたら、幼いころのそんな憧れにも似た思いが、今のこの仕事につながっているのかもしれません。

愛情の不足が自尊感情の欠如につながり子どもを非行へ走らせる

施設の子どもたちと接していて感じることは?

 犯罪はもちろん許されることではありませんし、きちんと償う必要があります。しかし、子どもたちが非行に走る原因は、親の愛情が不足していることとも関係しているに違いありません。

 「あんたなんか産まなければよかった」と親に言われ続けたり、虐待を受けたりした子は「自分は生きていちゃいけないんじゃないか」という不幸な錯覚をしてしまいます。自分自身を大切にする心が持てず、自暴自棄になってしまう。こうした自己肯定感の欠如が、人生を誤らせてしまうのではないでしょうか。実際に、いまわたしが面接をしている子も、「親に愛された記憶がない」と話しています。

 親のひざで甘えて「ここにいていいんだ」と思えたときに初めて、子どもたちは次のステップへと成長していけるんだと思います。逆に、温かい親の愛情を知らない子どもは、次の行動へ移ることができません。人の温もりを求めて右往左往し、ウロウロしてしまった結果、次の一歩を踏み出す機会を失ってしまうのです。

 施設の子どもたちを見ていると、親のひざの上のような“甘え直しができる場所”があって、やっと本来の力が出てくる感じなんですね。「ここで生きていていいんだ」「ここがわたしの居場所なんだ」と実感できれば、自尊感情が生まれます。思いやりを受け、大切にされた経験があって初めて、人は他人のことを思いやったり、自分自身を大切にしたりすることができる。そのことを、わたしは彼女たちから学びました。

 こうしたことは大人でも同じだと思うんです。成人の犯罪者で「一人では死に切れなかった。だから、自暴自棄になって罪を犯してしまった。」と語った人がいました。ひょっとしたらその人は、幼いころ、親に愛されなかった記憶や、満たされなかった思いを大人になってもずっと引きずっていたのかもしれません。それが重大犯罪という最悪の形で現れてしまうのかもしれない。だから「自尊感情の欠如」や「心の居場所が大切」という話は、決して子どもたちだけに限った話ではなく、大人にとっても真剣に向き合うべき問題だと思います。

最近の保護司や篤志面接委員を取り巻く環境について話してください。

 平成二年に保護司になりました。保護司としては、いまは講演などを通して活動をPRするなど、広報的なお仕事を主にしています。

 保護司は仮出所した人の更生を地域で支える仕事です。彼らを自宅に招き入れて面接するのですが、これは世界的にも稀有(けう)な制度だそうです。しかし、そもそもボランティアですし、保護観察中の人を自宅に招き入れることに抵抗があったり、都会の住宅事情では場所の都合がつきにくいなど、特に若い世代のなり手が少ない傾向があります。ただ、最近では、自治体が面接用の施設を用意するケースなども出てきましたので、今後はそういった動きにも期待しています。

 また、篤志面接委員も、高齢化が大きな課題です。現在、全国で1800人あまりいるのですが、年齢層を見ると、60〜70代の方が7割弱を占め、80代以上の方もいらっしゃいます。施設の中で活動する地味な役目ですし、保護司と同じく報酬のない民間ボランティアですから…。けれど、この仕事は特別な資格が必要というわけではありませんし、様々な知識や技能をお持ちの方はそれを生かすこともでき、とても意義のある仕事です。犯罪を犯した人たちが罪を償い立ち直ろうとしている瞬間を志ある若い方々に、ぜひ手伝っていただけたらなあと思っています。

文 山川英次郎

冊子表紙

『あした、青空――少年院の少女たち』

毎日新聞社 刊

千葉紘子 著

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