東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第37号(平成20年3月28日発行)

特集

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変わりはじめた“ドヤ”の街 山谷のホスピス「きぼうのいえ」

台東・荒川両区にまたがる、通称“山谷(さんや)”地区。日雇労働者が居住する簡易宿所が密集している、いわゆる“ドヤ街”です。戦後の高度成長にともなって、全国有数の“寄せ場”(仕事を探すために集まる場所)として発展しましたが、昨今は、日雇労働市場の縮小、働く人たちが高齢化したことなどにより、その様相は大きく変わりつつあります。
多くの簡易宿所が廃業を余儀なくされ、跡地にはマンションが次々に建っています。一方、地域の生活保護受給率は東京都全体の平均を大きく上まわっており、いまや山谷は“福祉の街”の様相を呈しています。
在宅ホスピスケア対応型集合住宅「きぼうのいえ」は、この山谷地区の一角に建っています。施設長の山本雅基(やまもとまさき)さんと美恵(みえ)さん夫妻がはじめた取り組みを取材しました。

在宅ホスピスケア対応型集合住宅

建物入り口写真

 東京オリンピック開催前夜の昭和38(1963)年、山谷地区には222軒の簡易宿所が営業、そこに約15,000人の日雇労働者が宿泊していたといいます。しかし年々その規模は縮小し、平成19(2006)年には162軒に4,550人強と、ピーク時の約3分の1に。

 高齢化も著しく、昨今では60歳代の宿泊者が68%以上と、東京都全体の人口比(23%強)に比べてもかなり高くなっています。当然そこにはさまざまな高齢者福祉のニーズが発生してきています。

 「きぼうのいえ」が掲げる“在宅ホスピスケア対応型集合住宅”とは、山本雅基さんの造語で、わかりやすく言えば “ホスピスケアの受けられる独居用アパート”です。

 ホスピスとは末期がんなど積極的な治療がもはや不可能な人が、痛みや苦痛を取り除く医療的なケアを受けながら余命を人間的な環境で過ごす場です。よく知られているのは、病院に付属した施設としてあるものでしょう。それらと同等のケアを自宅で受けるものを「在宅ホスピス」といいます。その場合の医療的ケアは往診ですが、それ以外の一般的な介護には家族の働きが必要です。したがって、身寄りの無い一人暮らしをしている人が自宅でケアを受けるのは非常に困難です。

 しかし、そういった在宅ホスピスケアを“余命が限られており、経済的に困窮している、身寄りが無い”人たちにこそ提供しようというのが、きぼうのいえの取り組みです。こうした活動をしているのは、おそらく日本で唯一ここだけでしょう。平成14(2002)年の秋に施設を立ち上げ、この5年半で57人を看取ってきました。

 当初、山谷地区以外にも建設地をあちこち探しましたが、結局ここに落ち着きました。それは、きぼうのいえの先進性が、よそでは受け入れられなかったからということもあります。山本さんはこの施設をはじめようと思いついたころ、「一番支援の必要な人たちは簡易宿所や川沿いのブルーテントに住んでいる、だから山谷に建てよう」と素朴に考えていたといいます。しかし、取り組むべき課題の本質はもっと違うところにあったようなのです。

人間にとって一番大切なこと

写真:室内

居室の様子。4.7畳に、介護用ベッド・洗面台・ナースコール・ビデオデッキ付きテレビ・冷蔵庫・タンス・エアコンを備える。

 入居者は福祉事務所や病院の医療ソーシャルワーカーから紹介されてきます。「ホームレスのための施設」と誤解されることもありますが、路上生活の経験者は入居者の65%で、あとの35%は居宅のあった人たちです。性別、職業、抱える事情も、それぞれに異なります。

 「入居してくるのは、これまでの人生で辛酸をなめてきた人たちですから、みんな始めは他人を信用しない険しい目をしています。わたしたちは、その凍土のように凍った心をとかそうとしているんです」(山本さん)。

 一般的なホスピスの入所者には家族があり、そこで求められるのは家族の働き以外の専門的医療措置が主です。それに対し、きぼうのいえの焦点は少々異なっています。きぼうのいえでは余命がまだ長くある早い段階での入居をすすめており、一般的なホスピスに比べ平均滞在日数が長くなります。その理由を、山本さんは「構築されていなかった家族や友達といった人間関係を亡くなる前に作り上げる」ためだと説明します。

 「人間にとって一番大切なことは何か…愛とかきずなとか、人との心のふれあいの優しさ暖かみを、しみじみと実感してほしいのです。そのためには、それなりの時間とスタッフとの関わり合いの濃さが必要なのです」(山本さん)。

 きぼうのいえでは、延べ39人のスタッフとボランティアが日夜、介護にあたっています。運営費は入居者の生活保護費から充当していますが、常に赤字の状態。介護一般の大変さに加えて、スタッフたちが家族の役割も務めるのですから、言葉では言い尽くせない苦労があるはずです。にもかかわらず、山本さんをはじめ、介護にあたる人たちの表情は意外なほど明るく活気に満ちています。

 だいぶ前に亡くなった入居者で、詐欺を生業として生きてきた男性がいました。その人は末期がんで入居してきましたが、きぼうのいえをもうけ主義だと疑ってかかり、具合が悪くてもスタッフの世話を受け付けませんでした。しかし“家族”だからこそ、介護にあたるスタッフたちはときに入居者の耳に痛いこともあえて言います。それで衝突することもあるのですが、それがむしろ“人間関係を作り上げる”ことにつながったようです。元詐欺師の男性は、人間は利得だけで動くものだという信念を改めるそぶりは見せませんでした。にもかかわらず、最期の時にはスタッフの手を握って感謝の言葉を述べました。「ありがとう」と言って亡くなっていったのは、きぼうのいえでは彼が初めてだったといいます。

 凍てついていた心がとけだし、いつのまにか離れがたい家族のような関係になっていく。そうした奇跡的な場面に立ち会うことの、言葉に言いあらわせない喜びが、きぼうのいえの活力源なのでしょう。

街の未来

 今後、山谷の街はさらに変化をとげていくでしょう。現在、山谷に住む人たちの平均年齢はおよそ65歳です。高齢の彼らが病気になって、いったん病院に入院し、そして退院してくる場合、以前に住んでいた簡易宿所に戻って生活するのはとても困難でしょう。そうした人たちの受け皿となる施設や取り組みは、まだ緒についたばかりです。

 「今、考えていることがあります。一つ目は、同じような施設をもういくつか建てること。山谷のお年寄り約3500人に対して、うちに入居できるのはたったの35人ですから、この割合をなんとかしたい。もう一つは、“ドヤに在宅”したままホスピスケアを出来るようにしよう、と。これは既に始めているのですが、簡易宿所へホームヘルパーを派遣しています。つまり、“ドヤ街にホスピスを”建てるのではなく、“ドヤ街をホスピスに”してしまおうという取り組みです」(山本さん)。

 高齢化も街の変容も止められはしません。しかし、逆に、山谷地区において先進的な福祉を試みていくことはできるのではないでしょうか。

 最後に「これまで山谷の街に平安が訪れることはなかった。けれども、光が差してくるのはむしろこれからだと思います」と山本さんは力強く語ってくれました。きぼうのいえの今後の取り組みに注目していきましょう。

冊子表紙

『東京のドヤ街・山谷でホスピス始めました。』

山本雅基 著 実業之日本社 刊

特定非営利活動法人
山谷・すみだリバーサイド支援機構 きぼうのいえ

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