東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第36号(平成19年11月28日発行)

特集

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IDバスケットボールを通して社会で生き抜く力を育てたい

今回のゲストは、ID(注)バスケットボール日本男子代表チームのヘッドコーチを務める小川直樹(おがわなおき)さんです。現役時代はバスケットボール日本リーグの名門NKK(日本鋼管)の一員としてプレイし、日本代表の花形選手として活躍した経歴を持つ小川さんですが、どうしてIDバスケットボールと関わることになったのでしょうか? また、これまでの障害者スポーツのあり方や、厳しい指導法に込めた選手たちへの思いについて、お話をうかがいました。
(注)IDとは、Intellectual Disability = 知的障害のこと

PROFILE

顔写真

小川 直樹さん

1965年生まれ。
1988年 日本体育大学卒業。大学4年時に学生無敗記録を達成。
1988年 日本鋼管(NKK→現JFEホールディングス)入社。第25回・第27回日本リーグ優勝。
1998年 NKK退社。
1999年 日本FID(注)バスケットボール連盟理事就任。
シドニー・パラリンピックIDバスケットボール日本代表コーチ。
2006年 横浜市で開催された「デンソーカップ(INAS-FID)バスケットボール世界選手権大会」ではコーチ、大会事務局を兼任した。
現在は日本FIDバスケットボール連盟理事長、IDバスケットボール日本男子代表チーム・ヘッドコーチを兼任。
(注)For persons with an Intellectual Disability = 知的障害を持つ人

選手に“勝つ喜び”を伝えたい

IDバスケットボールと出会うことになったきっかけを教えてください

 私がIDバスケットボールと出会ったのは平成10(1998)年のことです。関係者の方に誘われて、全国大会を観戦したことがきっかけでした。私はその時まで障害者との接点がほとんどなく、知的障害についての知識は全くありませんでした。IDバスケットボールどころか、障害者スポーツについて考えたこともなかったんです。

小川さんインタビュー風景

 その大会でひとつのシーンを目にしました。試合の中で、相手ボールをカットし、そのままドリブルシュートを決めた選手がいました。そのとき彼は、チームのスタッフに向かって歓喜のあまり雄叫びを上げたのです。ベンチから大声で「早くディフェンスに戻りなさい!」と注意されるまで、ずっと叫び続けていました。私は、強く心を動かされました。彼だけでなく、他の選手もみんな、バスケットボールができるという喜びに満ちた表情でプレイしているように見えました。

 プレイヤーとして長年バスケットボールを続けてきましたが、トップリーグはどうしても勝利至上主義ですから、そこではシュートを決めて楽しいというよりも、プレッシャーの方が大きかった気がします。もちろん、そうした厳しさが必要な世界だったからですが、そのために、私はバスケットボールの本来の楽しさを見失いかけていたのかもしれません。この一件が、バスケットボールを始めた中学一年生の頃の純粋な気持ちを思い出させてくれたのです。

 また、一方で私が感じたのは、彼らに勝つことの喜びを教えたいということでした。当時、私が接した選手や関係者は試合の結果を全く口にしませんでした。知的障害者に勝ち負けを教えることはタブー視されていたと後で関係者から聞きました。

 スポーツをおこなう上で私はそのことに違和感を覚えました。「障害者だから勝ち負けは関係ない」とはどうしても思えなかった。それがないならばレクリエーションでも構わないわけです。「負けて知るくやしさ」と「勝つことで知る喜び」は必ずあるはずです。その部分を彼らに伝えてあげたい。また、そうすることで、長年バスケットボールに携わることができた恩返しをしたいとも思いました。

 実業団の選手として10年間プレイした後、関東実業団のコーチをしていました。IDバスケットボールが2000年のシドニーパラリンピックでID部門初の団体種目として正式に採用されることになり、状況が大きく変わりました。この大会にそなえて日本国内を統括する競技団体を設立することになり、私はその協力依頼を受けました。

 自分の進むべき道を熟考し家族とも相談をした上で、IDバスケットボールの世界に身を投じることに心を決めました。

チームを指導していくうえで、どんな取り組みをおこないましたか?

 横浜市内にあるグループホームの職員として勤務しながら本格的に活動をスタートしました。知的障害のある人たちと共に生活をすることは貴重な経験でしたね。私が担当したホームには代表選手もいて、コートだけではない生活の部分を一緒に考えていくことができたからです。

 基本となる栄養管理では、好き嫌いや、炭酸飲料をたくさん飲んだり、深夜にインスタント食品を食べるといったことをなくしていくことから始めました。

 グループホームの利用者の多くは、幼少時に箸を使う機会が少なかったということあって、指先の感覚が未発達で、ものをうまく掴めないということもわかりました。このことが、ボールをキャッチする際の困難につながると気づいて、食事の仕方にも気をつけるようになりました。

 また、出されたものを無言で食べるのではなく、みんなで食事することの意味や、日々食事ができることのありがたさについて考えてもらいたいと思い、そうした話もしました。生活習慣を改善するには粘り強く、こつこつとおこなう必要がありました。

 初めて代表チームの合宿に参加した時のことです。普通は練習を始める前に各自ウォーミングアップをするものなのですが、なぜか大半の選手がコートに出てこないで、ベンチに座ったままでした。その理由はすぐにわかりました。彼らはシューズの紐が結べないので、支援する人が結んでくれるのを待っていたのです。これから始まる指導の難しさを痛感させられるできごとでした。

 「誰かに何かをやってもらって当たり前」という感覚が、選手と支援者双方にあるうちは、国を代表して勝利を目指すチームを作ることなどできないと思いました。生活習慣だけではなく、全体的な意識改革が必要だったのです。

写真:肩を組む二人

'06INAS-FIDバスケットボール世界選手権日本男子代表選手の中川雄一郎さんと
(注)撮影協力 つばさクラブ

 ある時、海外遠征先で大きなショッピングモールに選手を連れて行き、自分たちで昼食をとるように伝えました。大半の選手がファーストフード店で、身振り手振りで食事をとることができましたが、こうしたことを初めて経験する選手の中には、怖じ気づいてしまい、いっこうに食事がとれない者もいました。我々スタッフは柱の影から状況を見守りながら、最後には中心選手にヘルプするよう指示をして、やがて全員が食事をとれるようになりました。知的障害のある人たちは自分で物事を解決することに不慣れですが、ひとつの成功経験をすることで、自信を深めていきます。この時の試みは意識改革を進める中での大きな賭けでしたが、選手たちは今では自己選択し、相手とコミュニケーションが図れるまでに成長しました。

 成功すれば前向きな発想につながって、次の目標設定ができるようになる。そういうことは我々と同じなんです。彼らはできないのではなく、やらせてもらえない環境で育ってきました。障害の程度に応じてサポートするだけで、後は自分たちで解決する能力を身に付けることができるのです。

社会で通用する人材に育てたい

小川さんの指導が厳しすぎるのではないかとの批判もあるようですが?

 日本でのIDバスケットボールの競技人口は1千名強ですが、代表チームに参加できるのはそのうちわずか10数名です。彼らは日の丸を背負って世界と戦うわけですから心・技・身体のハイレベルのバランスが求められます。「勝ち負け」を決めるスポーツの世界は決して甘くはありません。戦う集団を作り上げる中で、時に厳しい指導も必要となります。

 選手として最高のパフォーマンスができるように指導してはいますが、できないことをやらせようとしているわけではありません。

 私は、競技を通じての人間形成の部分を重視しています。

 一歩社会に足を踏み入れれば厳しい現実が控えています。選手の多くは障害者雇用で一般企業に就労していますから、職場での評価は無視できません。「仕事はいい加減でバスケットボールは一生懸命」では話にならない。競技での他者との連携や、自分自身で状況判断をする力は社会生活上必要とされるのと同じものです。決してひとりで生きているのではないということを、競技を通じて学んでいるはずです。私は選手たちにバスケットボールという競技を通じて力を身に付け、今まで以上に社会の中で活躍してもらいたいのです。

 障害者スポーツと言えば、バスケットボールの中では車椅子での競技がよく知られています。「車椅子バスケットボール」は関係者の方々の努力によって40年という長い月日をかけ発展してきました。一方、日本でのIDバスケットボールの歴史は浅く、社会での認知もまだそれほど進んではいません。

 海外遠征や世界大会に参加するための費用を調達するために、スポンサーを募りに全国を歩きました。2006年に日本で開催した知的障害者のバスケットボール世界選手権では10数社にスポンサーとしてご協力を頂きました。しかしその一方で「知的障害そのものの認知度が低いので、広告効果が見込めない」という意見が多く聞かれたのも事実です。経済大国であっても知的障害に対する理解はまだまだであることを感じざるを得ません。

 当初は多くの支援を必要としていた彼らも競技を通じ多くの経験を積んで社会の中で立派に活躍しています。是非そのことを多くの方々に知って頂きたいという強い思いを胸に、今後も精力的に活動を続けていきたいと思っています。

文 山川英次郎

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