東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第35号(平成19年9月30日発行)

特集

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いのちを守り、育てるスープ

料理家・随筆家の辰巳芳子(たつみよしこ)さんは、父親の介護を通じて病院食に疑問を抱き、スープの持つ力に開眼したそうです。辰巳さんは、自らの料理哲学に基づいて、高齢者や病人の方はもちろん、子どもから大人まで、「生きていきやすい食べ方」を追究し、そこに「いのちを守り、育てるスープ」の存在を見いだしました。そんな辰巳さんの言葉には、現代の食に対する、強い危機感が込められています。

PROFILE

顔写真

辰巳 芳子さん

 1924年、東京生まれ。料理家・随筆家。「良い食材を伝える会」「確かな味を造る会」「大豆100粒運動」代表を務める。料理研究家の草分けである母・浜子氏の味を継ぎ、国内外のシェフのもとで研さんを積む。父の介護を通じてスープに開眼、スープサービスに力を注ぐ。著書に『いのちの食卓』(マガジンハウス)、『あなたのために いのちを支えるスープ』(文化出版局)、『いのちを養う四季のスープ』(NHK出版)など多数。

生きていくために必要な食べもの

まずはじめに、スープとは何かということをおたずねします。

 スープとは、端的に言いますと「最も母乳に近いもの」です。これはもともと、栄養学者の江指隆年(えさしたかとし)さんがおっしゃっておられたのですが、本当にうれしい言葉です。母乳には様々な栄養が備わっていて、免疫力がつきます。それに摂取・吸収しやすいという面もあります。スープとは、まさにそういうものなんですね。

 とても残念なのは、日本人は家庭ではなく、レストランやホテルの食事でスープを知ったこと。そのため、スープに対する解釈や概念を誤ってしまった。私の言うスープとは、レストランなどでお金を払っていただくものとはまた別のものです。人々の命を守り、育て、活力を得て、志を達成せしめていく。そういうものです。栄養面はもちろん、味もよくて心も満たしてくれる。それを全部備えているのが本来のスープです。

 ちょっと考えてみてください。西洋のスープの発祥はやはりポトフです。「ポ」は鍋のこと、「フ」とは火のことですから、火にかかった鍋という意味ですね。どこの国にもポトフがありますが、どれもその国らしい素材が中に入っているでしょう。フランスでは、お肉とジャガイモに加えて、ニンジンやキャベツ。これがスペインに来ると、豆がたくさん入ります。それからロシアに行くと、ビタミンが豊富なビーツが入ります。そしてサワークリームなどでリッチに仕上げます。厳しい気候をしのぐためですね。もちろん、日本にも日本のスープ・汁物があります。お豆腐のおすましからさつま汁に至るまで、どれひとつとってみても、わたしたち日本人が生きてきた道筋をたどることができる食べものです。炉端で野菜を切って、出汁になる材料と、味噌でもしょうゆでも自分たちで作った調味料を加える。家族みんなでそれを食べていた様子を想像してみてください。21世紀にそれを食べられる人がいたら、最高の幸せです。現状は程遠いですね。

 それぞれの民族が受け継いできた食というもの、人が生きるために食べなければならないものは、必ず質実剛健に行き着きます。決して口当たりがよく、おしゃれなものじゃない。そういうものが、実はいまの日本人は苦手になってしまいました。日本だけではありません。ドイツでも口当たりのいい食べものが増えて、黒パン離れで困っているそうです。千年かけて育ててきた民族の食というものを大事にしてほしいのですが…。

各地で食育(しょくいく)の取り組みは盛んになってきていますが。

マイクを持って講演する辰巳さんの写真

 取り組みの内容は別にして、昨今の食育というのは、まだ「食」そのものの位置づけをしていませんね。食というのは、教育の一環じゃない。教育の母胎なんです。そして、母胎と言い得る質実剛健な、食べるべき要素を含有しているものを骨子に立てなければだめだと思います。学校給食にしても、以前よりはよくなったという尺度で評価していませんか。「口あたりは悪いけど、食べたら意志の強い、何でもやり遂げられる人になれるから、これをよく噛んで食べよう」。こういう理念が食育や給食の根本にあるべきです。子どもには子どもの権利があります。生きていく権利、よい大人になる権利です。白米の給食を胚芽米に変えるだけでも、状況は変わってきますよ。

 一昨年から、「大豆100粒運動」というものを始めました。まず小学生が両手いっぱいに大豆を持ってみる。それがだいたい100粒です。そして一粒の豆からどれくらい収穫できるか体験してみる。収穫したら煮豆を作って食べてみる。お豆腐にはどれくらいの豆が必要かを知る。もっと収穫できるようになったら、お味噌も作ってみる。こうした運動を、野火のように静かに全国へ広げていくのが「大豆立国」の構想。まず長野県の小学校から始めました。いま日本の大豆自給率は5%くらいです。大人の社会では、大豆を増産しようと言っただけで、複雑な話ばかり出てきてなかなか進みません。でも、子どもたちが「自分の作ったものを自分たちで食べたい」と言ってみたらどうでしょう?豆を通して食文化や自給率の間題、安全性の問題などに触れることができれば、食をめぐる環境は必ず変わるはずです。ですから、この運動のメッセージを、「大豆100粒運動」の趣旨ではなくて、「意志」として表明しました。みなさんにもぜひ考えてほしいと思っています。

スープ実践の場としての病院

「病院でスープを」― 提唱されたきっかけは何ですか?

 器に入ったスープの写真

新たまねぎのぽったらスープ

 私の父が半身不随で入院した時、どの病院でも、おいしいおつゆが出てこなかったんです。例えば煮干しくさい、卵を落としただけのおつゆが、父の枕元に置かれていました。母(浜子さん=料理研究家)のおいしい料理をずっと食べてきた父が、発作で苦しんだ後に、それを食べなければならないのはとても気の毒でした。あれこれと作る必要はありませんが、少なくとも、重篤な患者の口に、おいしいと感じられるものが必要だと思いました。

 長い病気で衰えた人にとって、「はい、お粥」「はい、お魚」「次はおつゆ」と次々に食事を進めるのは、とても負担になります。途中で食べ疲れて胸が上下してしまうから。でも、スープをゆっくりと飲んでいけば、弱っている人でも骨が折れません。食べる人も楽、与える人も楽です。スープは、素をまとめて作っておけば冷凍しておくこともできるので、何種類ものスープを巡回させていくことができます。そうすれば調理する人の負担も軽くなりますし、費用も浮かせることができるはずです。魚も野菜も一緒に入れた、主食としていただけるスープ以外にも、たとえばシイタケのスープや玄米のスープ、野菜を炊き出したスープなどを、お茶代わりに毎日飲んでもらう。すると、病院食だけの患者さんとは健康状態がまるで違ってくるんですよ。具体的には床ずれができにくくなったりとかね。私も、ずいぶんいろいろと作って父の元へ持っていきましたよ。病院からは嫌がられましたけど(笑)。

 その後、鎌倉の訪間看護クリニックがはじめたスープサービスを8年ほどお手伝いして、その必要性を確信しました。ここの武田先生は、44年間アメリカで医療に従事していましたから、サービスの導入を即座に判断してくださいました。賛同してくれる方も増えて、昨年の春には、築地の聖路加国際病院の小児病棟でスープサービスを行い、夏からは高知県の近森病院で、栄養士さんや地元ホテルのシェフの方たちの協力を得て、患者の症状に応じたスープの提供を継続的に行えるようになりました。

 このような流れが全国の病院に広がっていくことを目指していますが、まだまだ日本のお医者さんは、食が病状を好転させるという意識が弱いと感じています。「食は呼吸と等しく、命の仕組みに組み込まれている」という考え方が、もっともっと普及していくことが大切です。とくに終末医療の現場では、人間の尊厳を保ちながら人生を終えていくようにしなければいけません。人生の閉じ方は、一生分の幸と不幸を左右することにつながりますから。

 私が自宅で開いているスープ教室に、なぜ皆さんが続けていらっしゃるか。繰り返し似たようなことを続けながら、私が今お話ししたようなことを話す、それを聞きに来ているんです。だから私は教育だと思っています、生きていくことの。みんなが生きていきやすく生きないとだめ。生きていきやすいということは、一つの権利ですよ。スープっていうのは一生を通しての、生きていきやすい食べ方なんです。

文 山川英次郎

「大豆100粒運動」の意志

生命は、もろいものです。

とりわけ、幼い生命は大変傷つきやすいものです。

それは、どれ程見守っても充分とは言えぬほどのものです。

この命を大切に致したく、手はじめに、この国の大豆を再興することから手をつけました。

方法の第一は、学童が掌一杯、約100粒の大豆を播き、その生育を観察・記録し、収穫を学校で揃って食べることを奨励・拡大することです。

第二は、各風土の特質ある大豆、即ち、在来品種とその食方法を調査・発見し、復活・振興をうながし、援助することです。

これは誰にとっても、興味つきぬ命題で、生き甲斐にさえつながりましょう。

第三は、大豆再興が、地域の着実な「底力」となるよう、情報交換し、「合力」することです。

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