東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第34号(平成19年6月15日発行)

特集

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回復者の方々と社会の架け橋に 国立ハンセン病資料館

東京都東村山市にある国立ハンセン病療養所「多磨全生園」。その敷地の隣にあるハンセン病資料館が平成19(2007)年4月にリニューアルオープンしました。
改装のためにおよそ1年半の休館をへて、今回新たに開設された資料館は、ハンセン病問題のこれまでの歩みの中でどのように位置づけられ、また、将来にわたる解決への道すじの中で、どのような役割を果たして行くのでしょうか。新しい展示と、その考え方を中心に取材しました。

リニューアルに至る経緯

資料館外観

 高松宮記念ハンセン病資料館(以下、旧資料館)は平成5年に開館しました。その設置目的は、ハンセン病患者、回復者の「生きた証」を語り継ぐことと、同じ過ちを繰り返さないために、ハンセン病に関する資料を収集・展示することなどを通じて、ハンセン病の問題を社会へ訴えかけていくことにありました。

 「旧資料館は半官半民のような存在で、今回のリニューアルにあたって、改めて国立の施設になったのですが、設置の目的は平成5年に開館した当初のまま継承しています」(学芸員・稲葉上道(いなばたかみち)さん)。

 13年間にわたる旧資料館の活動や、設置理念を引き継いで、今回新たに国立ハンセン病資料館がオープンしたということになりますが、それでは、そもそもなぜ、このタイミングでリニューアルが行われることになったのでしょうか。

 平成13年、ハンセン病回復者を原告団とする国家賠償請求訴訟(らい予防法違憲国家賠償請求訴訟)において、原告側の勝訴が確定しました。強制隔離に象徴される、国のハンセン病政策の転換が遅れたことに関する責任が問われたこの裁判の結果を受けて、「ハンセン病問題の早期かつ全面的な解決」をめざすことを謳う内閣総理大臣談話が発表されました。平成8年の「らい予防法(注)」廃止と並んで、日本のハンセン病問題における大きな転換点が訪れたことになります。この中で、補償に関する立法措置などとともに、名誉回復のための措置として、ハンセン病資料館の充実があげられました。そこでは「ハンセン病問題を解決していくためには、政府の取組はもとより、国民一人一人がこの問題を真剣に受け止め、過去の歴史に目を向け、将来に向けて努力していくことが必要」だという認識が示されています。

注:らい予防法:「らい(癩)」はハンセン病の旧称。その名称が歴史的に多くの偏見をもたらしたことから、現在ではハンセン病に改められている。明治40(1907)年「癩予防ニ関スル件」から、昭和6(1931)年「癩予防法」制定へと至るハンセン病対策において、国による患者の隔離政策が押し進められた。第2次大戦後、「らい予防法」が成立したが、基本的な方針は変わらなかった。なお、ハンセン病資料館では、歴史的言辞として必要最小限の範囲で「らい」の言葉が使用されている。

新しい展示

写真:療養所の再現模型

展示室の中に再現された療養所の雑居部屋

 首相談話で謳われた「資料館の充実」は、具体的には、新館の建設として結実することになりました。新館は、旧資料館につながる西側の敷地に建設され、その2階に旧資料館から常設展示室が移設されました。

 常設展示室のフロア面積はおよそ980m2(平方メートル)で、これは旧資料館展示室の2.6倍の広さになっています。また1階には映像ホールや研修室が配置され、普及啓発のための機能が備えられています。一方、旧館の2階、旧資料館の展示室があった部分は、新たに企画展示室が設けられました。また、図書室など情報提供のためのスペースも拡充されて、同じフロアに配置されました。

 それでは、常設展示の構成と、その中身についていくつか見てみましょう。

 常設展示室は三室にわかれています。展示室1は歴史展示。ハンセン病の歴史を通してみる患者・回復者やその家族への偏見と差別、人権の回復について、パネルや写真を使って説明がされています。展示室2は「癩療養所」。かつての療養所での暮らしを中心に、患者の置かれた苦しい状況や処遇について、再現模型などを交えて展示しています。

 そして、展示室3は「生き抜いた証」として、患者・回復者が厳しい状況をどのように生き抜き、生きる意味を見出してきたのかについての展示です。療養所における文芸活動や文化活動の取り組みとその作品、処遇の改善や名誉回復等をめざして行われた患者運動などが展示されています。このゾーンには「証言コーナー」が設けられており、約40人の回復者の方々による証言映像が新たに集められました。

 来館者は、導線に従って、展示室1でハンセン病問題の歴史について一通り把握した上で、展示室2、3へと進み、問題のより深い理解へと導かれるという流れです。展示室1がセンターに配置され、左右に振り分けられた展示室2、3は、展示通路でつながっているという空間構成は、展示テーマの独立性を保持しつつ、患者・回復者にとって、療養所での生活と、そこで生み出された様々な作品が、密接なつながりを持っていることを象徴的に表しているということができるでしょう。

 「患者・回復者にとって療養所というのは、すべてが凝縮された空間です。例えば、処遇改善の運動を行えば、その結果として、療養所の変化がもたらされますが、これは本人にとって、非常に大切な証し、いわば生きていることの具現です。つまり療養所は、一方で、隔離・差別の忌まわしい象徴であるとともに、患者・回復者にとって自己実現の大切な場でもあるという、相反する面を持っているのです」(稲葉さん)

 展示室2では、葬送について扱った「療養所の中の死」や、入所前の「『宣告』と収容」などがコーナーとして新設されました。「癩病妙薬の石碑」など今回初めて展示される資料もあります。また、これまで公開されていなかった写真資料が展示パネルの中で随所に使用されています。

ハンセン病回復者と社会をむすびつけたい

 オープンしてまだ二ヶ月ですが、来場者から寄せられる声には、入所者の方々を励ますものが多いとのことです。他方、国の責任についての表現が曖昧なのではないかというきびしい指摘もあるそうです。

 「ハンセン病の歴史から引き出せる学びの一つは、同じような構図をもって、私たちがまた別の差別を繰り返してしまうかもしれない、それを防ぐにはどうすれば良いのか、ということです。話が抽象的では自分の問題としてとらえられませんから、何がどこでどう間違えたのか実例を挙げなくては語れません」(稲葉さん)。

 実際に、療養所への患者収容が始まり、やがて隔離政策の強化が行われた時期において、世間的な反応の中には、「ハンセン病患者は療養所にいる方が、社会の偏見にさらされているより幸せなのだ」という思い込みがあったことも事実です。つまり、政策レベルでの責任の所在とともに、社会が、そして私たちが、この問題にきちんと向き合わなければ、本質的な解決というものは見えてきません。

 今後の活動に関して、回復者の方々を『ハンセン病回復者』という集合体として見るのではなく、あくまでも“ひとりひとりの人”として接してもらえるようにと稲葉さんは言っています。

 「例えば、入所者の高齢化など療養所の将来像については差し迫った問題です。現実に起こっている具体的な問題から遊離しない展示をしていきたいと思っています。現在、回復者の方々が高齢のため徐々に亡くなっていく時期にさしかかっています。社会から疎外されたまま迎える死というものが、本人にとってどんなにつらいことか。展示を見た人たちが、自分自身の生き方の問題として、人と人の自然なつきあいやつながりを、もっとつくっていけるような、そのきっかけをこの資料館が作れたらと思っています」。

世間-回復者-家族の間でどのような支援関係が構築されているかの模式図。

世間-回復者-家族の支援関係図 自分が該当する位置から残りの2つの位置にいる人たちへどのような関わり方ができるか考えてみてください

 実際の展示では、《世間》と《家族》の間だけは例が何も紹介されておらず、「支援の事例をご存じの方はお知らせください」とだけ書かれている。

「回復者は家族が差別されることを心配していますし、家族も世間の目を気にしています。これまで回復者の家族に目を向けなかったことで解決していない問題がたくさんあります。『お知らせください』というのは、支援事例が集められず、そうした情報がほしいということと、こう書いておくことで、展示を見た方が自分だったらどんな支援ができるだろうか、と考えてもらえると思ったのです」(稲葉さん)。

取り戻せていないもの

写真:キャプションだけの展示ケース

  展示室3の後半、患者運動を展示した部分に、展示品が無くキャプションだけが入っている奇妙な展示ケースがあります。「社会との共生」や「家族との絆」などと書かれたプレートが意味するところは、これらの事柄は、患者・回復者が未だ取り戻せていないものなので、展示できるものが無いということを象徴的に表しています。

国立ハンセン病資料館

東京都東村山市青葉町4-1-13

電話
042-396-2909
ファックス
042-396-2981
ホームページ
外部サイトへ移動しますhttp://www.hansen-dis.or.jp/

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