東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第32号(平成18年11月28日発行)

特集

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人はHIVウイルスより強いんです。

HIV感染者・エイズ患者が増加しているにもかかわらず、世間の関心は逆に薄れつつあるようです。そこで今回の特集1では、この病気が出現した頃から精力的に民間活動をなさっている池上千寿子さんをお迎えし、HIV / AIDSの問題に取り組くむことになったきっかけ、NPO法人「ぷれいす東京」を立ち上あげた経緯やその活動、日本の現状と展望などについてお話をうかがいました。

PROFILE

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池上千寿子さん

1946年、北海道生まれ。69年、東京大学教養学部教養学科卒業。ハワイ大学でセクソロジーを学んでいた頃にエイズと出会い、現地で民間活動に参加する。91年に帰国。92年より東京都エイズ専門家会議委員。94年、HIVの予防啓発、HIV陽性者へのケアを目的とするNPO法人「ぷれいす東京」を設立し、代表となる。2005年、社会的に目覚しい活動をしている女性に贈られる「エイボン教育賞」を受賞。2006年度「第20回日本エイズ学会学術集会」では、女性として初めての会長職を務める。おもな著書に『エイズを知る』(角川書店・共著)、『アダムとイブのやぶにらみ』(はまの出版)、『エイズ――性・愛・病気』(現代書館・共著)、『性ってなんだろう』(大修館書店)など。訳書に『セイファー・セックス・ガイド』『文化としての妊娠中絶』(以上、勁草書房)など多数。

エイズ患者に接して他人事とは思えなくなった。

HIV / AIDSの問題に取り組くむことになったきっかけを教えてください。

 セクソロジー(性科学)を学ぶため、1982年にミルトン・ダイアモンドという有名な教授がいるハワイ大学の「性と社会太平洋研究所」へ留学したことがきっかけです。ちょうどそこで学んでいた頃、アメリカ本土ではゲイ(男性同性愛者)たちが襲われているという話を耳にしました。しかも新しい病気だけではなく、人間からも襲われている、と。

 当時、エイズは実態がよくわかっていなかったために「悪い行為の結果だ」という間違った認識が社会に広がり、ゲイの人たちが攻撃の標的にされてしまいました。本土では若い男性同士が仲良くしているだけで襲われるというような事態も実際にあったようです。まさに人災です。人は怖いと、心から思いました。

 それでも、この病気はセックスと血液が原因で感染するらしいということがわかってくると、ゲイもヘテロセクシュアル(異性愛者)も関係なくあっという間に地球上に広がるだろう、そして本土からハワイへ来るのは時間の問題だろうということが、簡単に予測できました。そこで、ウイルスがハワイに上陸するまでの限られた時間にできることをやろうということで、ゲイの医師や日系の看護師さん、セクソロジーの先生、S T D( 性感染症)の専門家など研究所で出会ったさまざまな人たちとともに民間活動を開始しました。

 エイズという病気に対して、社会全体がヒステリーを起こしてしまうのを防ぐため、社会環境を整えることが先決でした。そこで電話相談や地域への情報提供から始めたんです。そして実際に患者さんが出た時のことを想定して心理的ケアのシステムを整備したり、安心して集まれる場所を確保したりしました。そんな努力の甲斐あってか、1983年にハワイで初めて患者さんが出たときも、医療側はすんなり受け入れることができました。

 ただ、セックスと病気が絡むと、途端に人は冷静な態度がとれなくなってしまう。これはいったいなんなのだろう―そんな疑問が、その後もずっと自分の中でくすぶり続けていくことになりました。

ハワイで初めて日本人のエイズ患者に出会ったときのことを聞かせてください。

 1985年、ある日本人の患者さんの通訳として医療チームに加わることになりました。彼は同性愛者ではなく、輸血の経験もない。麻薬注射の回し打ちもしていないため、感染経路はセックスだろうと判断できました。ところが「ぼくはゲイじゃないからエイズのはずがない」「セックスだって、3年くらいしていない」と言うのです。だからエイズに関する情報を提供しつつ、個人的な事情までいろいろとお聞きしました。別れた奥さんと子どもがいること。養育費を稼ぐために一生懸命、働いていたこと。離婚後に付き合った女性とは別れたこと―そんな話を聞いているうちに、ウイルスの側から見たら彼とわたしは全く同じ条件だったことに気づきました。わたしもエイズの知識がなかった時は、予防無しのセックスも経験した。でも結果としてたまたま彼は感染し、わたしは感染しなかった。ただそれだけの話。当たり前ですが、HIVウイルスはその人を見て選んで感染するかどうかを決めるわけではありません。

 しかし、世間はウイルスを持っている人に対して少なからず偏見の目を持っています。実際、アメリカでは性感染した人をギルティ(有罪)、輸血で感染した人をイノセント(無罪)と呼んでいました。どう考えても、これはおかしい。このとき初めて、これはわたし自身の問題なのだと認識しました。

 やがて彼に対して医学的に施すべき手段がなくなりました。当時はまだ有効な薬が開発されていなかったからです。そこまで来た段階で「なにがしたいですか?」とお聞きすると「日本に帰りたい」という答えが返ってきました。実家にいる母親には苦労ばかりかけたので、せめて最期くらいは実家へ帰りたかったようです。ところが、次にお会いしてみると「帰国は諦めました」と言うんです。当時の日本にはエイズ患者を受け入れる病院が東京にしかありませんでした。アメリカへ行っていた息子がやせ細って帰国し、そのまま寝たきりで郷里から離れた東京の病院で死んだとなれば、これはもうエイズに決まっている。自分の最期のわがままを通せば、母親を世間の好奇の目にさらすことになってしまうだろう―そのことをとても気にしていました。自分の死後、母親の生活に悪影響を与えるような親不孝な真似はできない。だったら、アメリカで交通事故で死んで骨となって帰国したことにしてくれと、彼は言いました。

 結局、医学的な根拠ではなく、エイズ患者を受け入れる環境が整っていないという理由のために、彼は帰国を諦めざるを得なかったのです。

医療の現場でも心のケアの必要性に気づき始めた。

NPO法人「ぷれいす東京」設立の経緯について教えてください。

顔写真

 ハワイにいた頃、ゲイの人たちが「セイファー・セックス」のチラシを作りたいと、わざわざ日本から会いに来てくれたことがありました。また後日、血友病の人たちもやはり、はるばる会いに来てくれました。そのときになって「ああ、ようやく日本でも当事者が動き出したんだ」と、深く感激したことを覚えています。

 1991年に帰国し、翌年、東京都エイズ専門家会議委員に就任。そして1994年にはアジア地域で初めての国際エイズ会議が横浜で開催されることが決まりました。その際、予防とケアの両面で独自の理念で活動する民間団体が必要だと感じていましたし、また世界にアピールする組織が必要だという判断もふまえ、20人前後の仲間と立ち上げたのが「ぷれいす東京」でした。ちなみに「ぷれいす」をひらがなにしたのは、集い・憩い・活動する“場”という意味に加えて「Positive Living And Community Empowerment」という意味も込めてその頭文字を取っているからです。自分らしくポジティブに生きられる社会を作るためにはコミュニティの力が必要であり、それが達成できればより個人の力を引き出せる――名は体を表す名前をつけようと、設立当初にみんなで無い知恵を絞って考えました(笑)。

「ぷれいす東京」の具体的な活動内容について教えてください。

 予防啓発事業や研究・研修事業をはじめ、HIV陽性者への直接支援として対面相談や電話相談、HIV陽性者とパートナーや家族が安心して集まれる場を提供する「ネスト」というプログラム、それから「バディ派遣」などを行っています。これは英語で“相棒”という意味の「バディ」と呼ばれるボランティア・スタッフが入院中の患者さんを訪問して外出や入退院に付き添ったり、あるいは在宅の患者さんの話し相手になったりするなど、医療以外の様々な要望に応えます。ただ、このシステムが医療側に受け入れられるまでには数年かかりました。

 かつて、医療の現場は医師の聖域でした。家族でもなく友達でもない、わけのわからない一般市民が「わたしはバディです」と言って病院へ行ったところで患者さんと面会できるわけがありません。「邪魔するな」と言われるのがオチです。それでも地道な活動をコツコツと続けていくうちに、少しずつ医療側の意識が変わってきました。

 もともとエイズ患者のニーズは医療面だけにとどまらず、心身にわたるケアの面が非常に大きなウエイトを占めています。また、医師や看護師の間でも医療の分野だけではエイズ患者への対応に限界があることに気づき始めたのでしょう。サービスを開始してから数年後には「ぷれいす東京から派遣されてきたバディはしっかりとしたプログラムのもとでトレーニングを積み、医療とチームを組んで患者のニーズにきっちり応えられる」ということを認めてもらえるようになりました。

ウイルスより人が怖い。
でも、人はウイルスより強い力を持っている。

女性初の会長を務める「第20回日本エイズ学会学術集会」や、活動の展望について聞かせてください。

 学会の会長に推薦されたと聞いた時は「え? わたし男じゃないし、教授じゃないし、医師免許も無いわよ?」というのが率直な感想でした。ついでにお金も無いわよ、と(笑)。まさに青天の霹靂です。というのも、それまでは会長はすべて男性が務めていましたし、彼らは医師免許を持つ研究所長や大学教授ばかりだったからです。それに、ぷれいす東京の日常業務を止めてまで引き受けるわけにはいかないと考えました。それでも学会の理事会が全面的にバックアップしてくださるとのことでしたし、なによりエイズ当事者の皆さんとともに歩んできたわたしたちの活動が認知され、エイズ対策のパートナーとして認めてくださったわけですから、ここで断っては女がすたる(笑)。そう思い、ぷれいす東京の理事会にも諮った上で、引き受けさせていただくことにしました。

 5年ぶりに東京で開催される今年のテーマは「Living Together ネットワークを広げ真の連携を創ろう」です。これはわたしたちが一貫して掲げてきたものですので、すんなり決まりました。現在、まだまだHIV / AIDSに対する一般の人たちの理解は十分だとは言えませんが、ぷれいす東京を立ち上げた頃と比べると、とくに若い人たちは確実に変わりました。実際に、HIV陽性者であろうとなかろうと、民間レベルでは盛んに交流が行われています。

 ウイルスより人が怖い。でも、人はウイルスより強い――これはわたしが初めてエイズ問題に直面して以来、四半世紀の間ずっと感じ続けている思いです。行政や医療の努力だけでは、決して解決に向かいません。すべての人が当事者であるという自覚を持って変わっていかなくちゃいけない。残念ながら現状では、まだまだ人が勝手に作った思い込みや偏見から逃れられていません。エイズは社会を映す鏡だとよく言われますが、エイズを通して社会の矛盾や課題がみえてきます。それに気づけば行動できる。行動していれば少しずつ変わるのです。一人では無力でも仲間がたくさんいます。そんな理解の広がりを目指しています。

第20回 日本エイズ学会学術集会

11月30日(木)からの3日間、第20回日本エイズ学会学術集会が開かれます。今回、池上千寿子さんが初めて民間組織の立場から会長を務めています。

NPO法人 ぷれいす東京

1994年4月設立。現在200人のスタッフがHIV陽性者や家族の相談窓口、HIV感染への不安を抱える人を対象とした電話相談サービス、企業・専門家の研修会への講師派遣などの活動を行っています。

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