東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第29号(平成18年4月1日発行)

リレーTalk

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ハンセン病問題のいま 検証会議最終報告書から1年

写真:成田さん

ここでは、さまざまな分野の方々に人権についてのお考えを伺います。

高松宮記念ハンセン病資料館 運営委員長
成田 稔さん

平成17(2005)年3月に出された「ハンセン病問題に関する検証会議・最終報告書」(財団法人日弁連法務研究財団、厚生労働省委託事業)は、ハンセン病という「国家的人権侵害」が起こった原因の究明と、再発防止を目的として実施された、同会議による検証事業の成果として提出されたものです。1年を経たいま、この報告書についてどのように考えるか。ハンセン病療養所は、入所者は、そしてわたしたちの社会は変わったのか。医師として、また療養所所長として、ハンセン病に関わってきた成田稔さんにお話を伺いました。

 医学的には、「ハンセン病」と「らい」は単なる別称ですが、社会的に見れば、両者は決定的に違います。「ハンセン病」は化学治療が始まってから、つまりそれまで「不治」の病気と思われていたものが、いわば「可治」であることがわかってから、患者側の要望で付けられた名称です。そこには長年にわたって偏見に苦しんできた人たちの解放への願いが込められていますし、また、社会の中で、この病気が私たちとの共存が可能であることを示す、大きな意味を見いだすことができるはずです。

 私は、ハンセン病問題の解決には、それがたとえどのような病気であろうとも、人間は人間という絶対性を尊び、その苦しみに対して共感する、つまり思いやりを持つことが、社会に広く定着しなくては、やはり世の中の偏見というものはなくならないでしょう。もちろんこれは、ハンセン病の問題に限ったことではありません。

 検証会議による過去の検証作業と、昨年出された最終報告書は、問題の解決に向けて必要な作業であったとは思います。しかし、それでハンセン病についての偏見がなくなり、この問題が終わったのかといえば、そうは言えないでしょう。

 ハンセン病国家賠償請求訴訟(平成13年・患者側勝訴)以降、国も地方自治体も、またマスコミも、過去の政策を批判し、数多くのパンフレット等を発行して、社会の啓発に多大な労力を注いできました。それなのになぜ、その後もホテルの宿泊拒否事件(平成15年・熊本県)のようなことが起きるのでしょうか。そういう素朴な疑問に対して、どのような答えを用意すればよいかは、最終報告書の内容だけでは、不十分だと思います。こうした事件は、まるで「晴天の霹靂(へきれき)」のように起きたのか、それともこれまでの啓発や教育がまったく無力だったのか、考え直すのも必要でしょう。

 ハンセン病に関する偏見は、人々が考えている以上に、非常に深く、根強いものです。過去を批判しただけで、問題を終わらせては、意味がありません。ハンセン病の方、あるいは回復した方々を受け入れる、そのために私たちの社会がどのように変わるとよいのか、がいま問われているのです。

 私が運営委員長をつとめる、高松宮記念ハンセン病資料館(東村山市、現在リニューアルオープンに向けて閉館中)にはたくさんの見学者が訪れます。見学のあとで、感想を尋ねると、「ハンセン病の方たちの“人権”について考えさせられた」「“人権”の問題がよくわかった」という答えが、よく返ってきます。たしかに裁判によってハンセン病患者の人権は回復したのかもしれません。しかし、そうした言葉だけの「人権」が一人歩きすることは、むしろ警戒するべきだと思います。もっとも、社会に正しい人権感覚を求めるだけではなく、ハンセン病療養所もやはり、人権の回復にそって、何らかのかたちで新しく変わらなくてはなりません。

 人間が人間を差別する、その差別する心は自らの中にあるのだということ。そのことに気付くことこそが、問題解決に向けての第一歩なのだと思います。

 ハンセン病資料館は、平成19年2月のリニューアルオープンを予定しています。展示内容を充実させることはもちろんですが、見学した人たちが、もっともっと自分の言葉で自分の人権と、誰とは限らず他人のそれとを同列に語ることができ、他人事ではなく何がどう侵害されたのかを、改めて自分に重ねて考えられる資料館を私たちはめざしています。

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