東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第28号(平成17年12月1日発行)

特集

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障害と笑い 難病と向き合う「義足の噺家」

今回のゲストは「ビュルガー病(バージャー病)」と呼ばれる難病を患い、両足に義足を装着しながらも、なお高座へ上がり続けている落語家の春風亭柳桜さんです。正座ができないため、椅子に座って落語を披露する柳桜さんの姿は、同じように難病で苦しんでいる人たちに勇気と希望を与え続けています。病のこと、噺家になるきっかけ、障害や難病を抱える人たちのこと、そしてご自身の“いま”について、じっくりお話をうかがいました。

PROFILE

春風亭柳桜さんの写真

春風亭柳桜(しゅんぷうていりゅうおう)さん

昭和27年10月22日、東京都港区生まれ。陸上自衛隊、電気プラグ製造工場、パチンコ店、喫茶店、板前など様々な職業を経験。昭和54年、春風亭柳昇に入門して落語家となる。前座名「春風亭柳太郎」。昭和59年、「柳太郎」のまま二ツ目に昇進。平成5年、真打ちに昇進して4代目「柳桜」を襲名。一方、20歳の頃から原因不明の難病、ビュルガー病を患って入退院を繰り返し、平成4年に右足、平成6年には左足を切断。両足ともに義足を装着してリハビリに励みつつ、平成7年にハンディを克服して高座へ復帰した。現在、寄席に出演するかたわら、全国各地の病院で講演会を行っている。著書に『不死身の落語家』(うなぎ書房)。

病を受け入れるというより足を切らなければいけないという事実の方が重かった

「ビュルガー病」という病気のことについて、そして自覚症状が出始めた当時の話を聞かせてください。

 この病気が発症した時は、落語とはまったく無縁の世界にいました。高校時代は応援団に在籍していましたし、その後は自衛隊に入隊しましたから、なんでこんな「軟派」な商売をしてるのかと、たまに自分でも不思議に思うことがあります(笑)。

 発病当時はパチンコ屋で働いていましたが、靴のへりがくるぶしにあたって痛かったことをよく覚えています。ちょうど靴を新しく買い換えた時だったので、最初は「靴ずれができたかな」なんて、軽く考えていました。でも、一週間経っても痛みが引かないので、近所の病院へ行ってみると「血管が炎症を起こしているんですよ」と言われました。最初は医者でもよく分からなかったみたいですね。

 実際に診断されたのは、それからずっとあとです。それまでは、とにかくなにがなんだかわけがわからない。冬場に車を運転していると、ヒーターで足が温まってブレーキが踏めないほど足が痛くなってしまうんです。詰まった血管に血が一度に流れ込むような……
病気が怖いというよりも、運転するのが怖かったですよ。

原因不明の病の正体が、わかった時のことについて教えてください。

 「ビュルガー病」は血管が炎症を起こして詰まるようになり、血流が無くなって壊死にいたる病です。

 最初は血管が腫れて痛い、あるいは温めると血流がよくなるので痛む、という程度のものだったのですが、そのうち足の中指にできたひょう疸が治らなくなった。こうなるともう検査機関のある大きな病院に通わなきゃいけないというわけで、結局入院しました。そこで初めて「ビュルガー病」という診断を受けたわけです。最初に自覚症状が出てから4年後でした。

 ただ、当時はまだ切羽詰まった感じはなく、「ああそういうものか」ということで、あまり普段から意識するということはありませんでした。そもそも「難病」と言われても、あまりピンとこないんです。難病なんてものはね、結核だとか、小児麻痺、日本脳炎、その手の病気ならわかりますよ。でも医者の説明では、原因がわからない病気のことを難病と呼ぶんです。だから自分では「ちゃんとした治療法はない」という漠然とした感覚しかありませんでした。

 実際にショックを受けたのは平成3年ぐらい、これ以上治療してもどうにもならなくなって、先生に「右足を切断するしかありません」と言われた時です。「先生、じゃ、どこから切るんでしょうか?」という現実的な話をした時、初めて自分のこととして重い気持ちになりました。病を受け入れるというより、足を切らなければいけないという事実を受け入れる。そのほうがはるかに重かったです。

噺家になろうと思われたのは、この病気がきっかけでもあったとうかがいましたが?

 たしかにそうです。わたしは接客業が好きで、サラリーマンなら営業職、商売だったら飲食業か接待業がいいなと思っていたのですが……この病気になって将来を考えてみると、10年先や20年先、それではたぶんやっていけないだろうなと思ったんです。それでどんな職業がいいかと悩んでいた矢先、わたしが勤めていた飲食店によくいらしていた落語家の方から「噺家にならないかい?」と誘われたんです。その人は来るたびに「噺家におなりよ」と言ってくれました。まあ、酔ってなんですけど(笑)、そう言われ続けているうちにわたしのほうもその気になったと、そういういきさつがありました。

 でも、おそらく半分は冗談だったんでしょう。わたしが「よろしくお願いします」って頭を下げに行ったら、青くなってましたから(笑)。彼はまだ真打ちではなかったので、弟子をとれなかったんですよ。それで春風亭柳昇師匠のところへわたしを連れて行って「師匠、すみません。これこれこういう事情なので、弟子にとってやってもらえませんでしょうか?」ってお願いしてくれたというわけです。

誰でも難病を抱える可能性はある
問題はその人たちの暮らしが世間から「見えない」こと

病院や患者団体などに呼ばれて行く講演会では、実際に義足をお見せになることも多いとうかがったのですが?

 見せることもありますよ。障害者の会とか、わたしの障害をプロフィールに謳って呼んでくださる講演会なんかでは、お客さまに見せたほうが話が早い。「これが義足です。800メートルしか歩けません。街中は自転車で移動してます。それ以外の移動は自動車で移動しています」って。一度見ると、皆さん納得するようです。

 それと、なぜわたしが講演会に呼ばれたかというと、噺で呼ばれたのではなく、こういうかたちで「障害者でも自立をして落語をやるように社会復帰できましたよ」と、まあそういうことを言いたいんですね。

 いまみんな笑ってわたしのことを見てるけど、障害者の6割は年寄りだからね。あんたらももうすぐよ。これから高齢化社会なんだから。一家に一人、障害者の時代なんだから。それは必ず来るから。他人事ではないんですよ。そうなった時に、わたしのことを思い出してください。障害があっても、こうやってじっくり向かい合えば、なにも悲観することはないんだ。なかには義足が合わない人もいるけれど、工夫しなさい。わたしは車椅子には乗れない。その代わり自転車に乗れる。自転車がわたしの車椅子。でも、いきなり乗れたわけじゃない。いずれその時が来るかもしれないからって、徐々に徐々に訓練した結果がこれなんだ。笑ってる場合じゃないんだ。いまから自分でおやりなさい――そういうことを、講演会では言っているわけです。

障害者や難病の人たちにとって、なかなか暮らしよい社会になっていかないのはなぜでしょうか?

 誰だって障害や難病を抱える可能性があるんだという意識がないから、当然のように「なんで自分が……」ってなっちゃう。わたしはなんて不幸なんだ――そういう思いをするから不幸になるんですよ。生きている限り、いつ誰の身に起きてもおかしくないことなんだから、それがたまたま自分だったというふうに受容していかなくちゃいけない。

 たまに「柳桜さんかわいそう」という人がいるけれど「かわいそう」という言葉は、どの視点に立ってものを見ているんだと言いたいんです。そういう人たちは、明日はわが身ということに気付いていないからそういう言葉が出てくるんだと思います。

 そういえばある時、仕事で招かれた「北海道難病連」(財団法人)というところは、難病に関する社会的な無理解や偏見に対して、難病患者自身が立ち向かい、自分たちの存在を社会にアピールしなければならないという考えを持った団体だったんです。

 当事者による運営組織で、自分だけで悩まずに「難病連」に加入しなさいということを常に呼びかけていました。事業として総合的な難病対策の確立を訴えつつ、患者への支援などを行う一方で、難病に対する社会的な理解を進めるために積極的な啓発活動も行っていました。ある時には、難病患者がこぞってプロ野球の試合を観戦に行くというようなこともやっていました。レクリエーションとしてだけでなく、こうして自らの存在を世間にアピールするというわけです。

 この出会いは、私にとって一つの転機になったと思います。難病の人たちの存在と暮らしを「見えない」ものから「見える」ようにすること。そこに「難病である」噺家としての自分にできることがあると気付かせてくれたのだと思っています。

寄席以外にも自分を必要としてくれる場所がたしかにある

今後の活動における目標や展望などについてお聞かせください

春風亭柳桜さんの写真

 実は長期的な目標は、なにもありません。ビュルガー病だけじゃなくて、糖尿病や心不全、それにすい臓も悪いから、本当に調子がよくない時は息をしているだけでやっと。そうなると明日のことも考えられないし、明日の朝まで体がもつかな、という状態になることさえあります……。

 ただ、漠然とね、そんな合間を縫いながら「引きこもらずに外へ出て行こうとしている人間だ」という看板は続けたいと思っていますし、障害や難病を抱える人たちにもそのことを伝えたい。引きこもらないコツは、初めはもう、ちょっとした決め事です。「せめてあの喫茶店にだけは毎日行こう」とかね。たまたまそこには可愛いウェイトレスさんがいたりしますけど(笑)。

 落語に関しては、いま自分が持っている噺を腐らせないことが一番大事。芸というのは同じ水準を保つのが難しいんですよ。常に切磋琢磨してないとすぐに落ちていっちゃう。わたしはいまそれを守るだけで精一杯で、新しい噺を持ってきて磨くだけの体力がない。でも、たとえば人情話なんかで、まだまだやってみたい噺はいくつかあります。それは自分の体と相談しながらやっていきたいと思っています。

 もうひとつ。いまは毎年、神奈川県で講演会を開いていますが、普段は外に出てこない人たちが年に一度、お互いに無事を確認するために集まるといった感じになっている。もう噺なんかやらなくたっていいぐらい(笑)。

 実際には一時間くらい高座でしゃべって、最後にみんなで写真を撮って「じゃあ、また来年」って。そんなことを繰り返してきて「あ、そうか。わたしはこういうこともしなくちゃいけないんだ。これもわたしの使命なのかもしれない」と思うようになりました。

 足を切って高座に復帰する時、絶対に病気を売り物にはしない。芸で勝負する。わたしは落語家。だから落語で勝負するんだ――そういう気持ちは、いまでも一貫して同じです。ただ、ここにきてそれだけではなく、寄席以外でわたしを必要としてくれる場所があるんだなと感じています。それが自分の「役回り」だと思えば、わたしが噺家でいる意味もあるのかなと。なにしろあるお医者さんの見解では、笑いというのは病気の回復になにがしかの効果があるそうですから。

冊子表紙

新刊告知

11月25日(金)、柳桜師匠の自伝『不死身の落語家』がうなぎ書房より発売になりました。両足義足にくわえて交感神経、すい臓、ひ臓も切り取られた満身創痍の噺家が、その過酷な半生を笑いに変えて綴った一冊。いまここで初めて明かされる笑いと闘病の日々。どうぞご一読ください。

お問い合わせ
うなぎ書房
電話
03-3421-7451
ファックス
03-3421-6984
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