東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第24号(平成16年12月1日発行)

特集

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差別のない社会を作るために私ができること…それが「歌」でした。

すべての人が誰からも邪魔されることなく、自分の夢に向かって生きていける社会を作りたい。そのためにできること…今回のゲスト、渡辺千賀子さんにとって、それは歌い続けることでした。ソプラノ歌手として活躍する渡辺さんは、歌を通して「人権」というテーマを舞台で感情豊かに歌い上げます。そこで今回は渡辺さんと歌との出会い、自らの体験と人権、「小さな手のひらコンサート」、そして今後の活動などについてうかがいました。

PROFILE

顔写真:渡辺さん

渡辺千賀子さん

松阪女子短期大学音楽科声楽専攻卒業。在学中よりオペラに出演。村尾護郎、碓井士郎、波多野均の各氏に師事。約20年間、「名張少年少女コーラス」「こどもコーラスかたつむり」を指導する。また、1992年から「渡辺千賀子の小さな手のひらコンサート」の音楽活動を展開。2002年から「クラシックで人権を」をテーマに、コンサートやオペラを実施。柔らかで透明感あふれる天性の美声と豊かな歌唱力で好評を博す。今年5月、韓国・晋州音楽祭でのリサイタルの様子が韓国MBC放送で放映され、反響を呼ぶ。同5月には大阪フィルハーモニー交響楽団と共演。7月に大阪いずみホールで「ソプラノ・リサイタル、美しい調べ」を開催。8月にイタリアで開かれたコンサートでは「歌うために生まれてきた、天使の声」と高い評価を得てベッルーノのTVに放映される。現在、東京をはじめ各地でのリサイタルを計画中。三重新音楽家協会会員。

互いに認め合い、尊重し合う自由な社会を実現するために私にできることはなにか?

渡辺さんが歌と出会った時のエピソードや、ソプラノ歌手を目指したきっかけなどについて教えてください。

 小さい頃から歌が好きでしたので、とくに誰に影響されたというわけではなく、自然に歌手になりたいと思うようになりました。それが中学二年の時です。本当にごく自然に思いついたので、なにかがきっかけになったというわけではないんですよ。

 ただ、本格的なレッスンを受け始めたのは中学の終わり頃になってからです。高校の音楽科には特別なレッスンを受けていないと入学できないのですが、じつは受験の直前までそのことを知らなかったので(笑)

 受験したのは三重県松阪市にある松阪女子高校(現・三重高校)です。でも、私が通っていた中学校からは、過去に誰も音楽科を受験した生徒がいなかったため、手元にまったく情報がありませんでした。だから試験に課題曲があることもまったくわからなかったわけです。

 それで急遽、受験のために本格的なレッスンを受けなくちゃいけないということになり、伊勢市の先生のもとへ通うようになりました。ちなみにその時の課題曲は、滝廉太郎作曲の「花」でしたが、先生のご指導のお蔭で無事に合格することができました。

 私と音楽との本格的な付き合いは、このようにして始まりました。

ご自身の体験から人権について考えるようになったのはいつ頃からだったのでしょうか?

 短大卒業後は、舞台で歌う仕事と並行して、子どもたちに歌を教える仕事を続けていました。その後、27歳の時に「小学校の音楽の先生をやってみないか」と誘われたんです。

 当時は全国的に中学校、高校が荒れていた時代でした。極端な場合、たった一日で学校を辞めてしまう先生もいたそうですから、中学校、高校はもちろん、小学校にしても慢性的に音楽教師が足りない状況になっていたそうです。そんなお話を聞いてよく考えた結果、とりあえず年度末までの1カ月間だけという約束で承諾することに決めました。

 ところが、です。学校の先生というのは純粋な心の持ち主で、子どもたちを立派に育てることを一途に願う素晴らしい方々だとばかり思っていたのですが、赴任した初日からどうやら様子が違うぞ、と感じ始めたんです。たとえば子どもに対する暴言(体罰)、あるいは先生同士の陰湿ないじめ。そして差別やいじめがあることを知りながらも、勉強が優先されてしまうという現実……そういう光景がとても信じられなくて、当時はちょっとした人間不信に陥ってしまいました。それは約束の任期を終えたあともずっと尾を引きました。

 結局、2年後に教職へ復帰することになるのですが、その時に漠然と「子どもや保護者の方、もちろん先生方にもわかりやすい方法で、なにかできることはないだろうか」「もっとお互いの立場を認め合い、尊重し合う自由な社会を作っていくために、私ができることはないか」と思い始めたのです。振り返ってみると、この時期に経験したいろいろな出来事が、現在の活動に大きく影響していることは間違いありません

私には歌がある…。弟の一言で自分にできることに気づかされました。

現在のように「歌を通して人権というテーマを多くの人々に伝えたい」と思うようになるまでには、どんな出来事があったのでしょうか?

顔写真

CHIKAKO WATANABE

 短大を卒業する間際、被差別部落出身者の男性と付き合っている友達から「両親に結婚を反対されて困っている」という話を聞きました。その時は自分の出生についてまだなにも知らなかったのですが、幼い頃から親に「人を差別してはいけない」「人間を分け隔ててお付き合いするべきではない」という教えを受けて育ってきたので、彼女にも「親が反対していても本人同士が好きなら結婚するべきではないか」と伝えました。最終的に彼女は別れてしまったのですが、こうした差別の問題は、心のどこかにずっと引っ掛かったま残っていたように思います。

 その後、短大を卒業してしばらく経った頃、近所に住むひとつ年上の女性から「結婚差別に遭った」という話を聞きました。私は「結婚差別」という言葉自体がよくわからず、ピンと来なかったのですが、彼女は「私の家は部落だから」と言いました。続けて「千賀ちゃんの家も一緒なのよ」と。その言葉を聞いて、私はすべてを悟りました。頭の中が真っ白になり、急いで家に帰って母を問い詰めると「そうよ」と一言だけ言ったことを覚えています。それっきり、母はその話題について話そうとしません。

 どうしてもっと早く明かしてくれなかったのだろうと、心の中で母を責めました。その一方で「こんなにショックを受けるなんて、ひょっとして私自身が差別主義者なのではないか」と悩み、一日中泣きはらしていたその日の夜、弟が私の部屋に入ってきてこう言ったのです。「お姉ちゃんには歌がある」「その歌声を世界中に響かせてほしい」って。

 その言葉ですぐに吹っ切れたわけではなかったのですが「歌で世界に羽ばたきたい」という私の夢が、はっきりとした輪郭をともなって日増しに強くなっていくのを感じていました。

 ただ、私は自らの出自について、27歳まではずっとそのことを隠し通していたんです。ところが結婚してから夫に「出生を隠すことは自分を卑下することになるだけではなく、子どもも、そして親も、みんなを卑下することになるんだよ」と言われたんです。それ以降、隠すことをやめました。

 こうした、弟や夫の言葉は今も私を支えてくれています。そんな私の歌を聴いてくれる人々が、人権について想いをめぐらせる。もちろん私自身も一緒に考えていける……それができれば、差別のない社会作りに貢献できるのではないかと思うようになりました。結局、「私にできること」に対する答えは、やはり歌い続けることだったのです。

人権について想いをめぐらせる。私の歌がそのきっかけになれば本当に嬉しいことです。

「小さな手のひらコンサート」の活動経緯やコンサートの趣旨、目的などについて聞かせてください。

 コンサートのタイトルに冠した“小さな手のひら”とは、赤ちゃんや子どもを指しています。「私たちはその小さな手のひらになにかを遺すことができるだろうか」、そして「なにかを遺していきたい」という想いを込めてつけました。

 第一回は名張市の公民館で開催しました。最初は年一回の公演として始めたのですが、2、3年経った頃に「ウチにも来ていただけないか」と声をかけていただくようになり、徐々に公演を増やしていったんです。数にして年間で10回くらいだったと思います。

 今年で13年目に差し掛かるのですが、3年ほど前に後援会長のご尽力で、半年間に40、50カ所を回るようになったんです。その後も、様々な方の助力によって、全国で公演を開催させていただくことができるようにもなりました。もちろんその頃には教師を辞めて、声楽の活動に専念するようになっていました。

 コンサートの内容は、皆さんにもおなじみの曲を通じて、人権を語ろうというものです。そして歌の合間のトークでは手話もまじえて、それぞれの歌と人権との関わりを紹介しています。少し大げさな表現なのかもしれませんが、いまは天から与えられたこの声を皆さんにお返しするような気持ちで歌わせていただいています。

12月17日(金)に江戸東京博物館で行われる「小さな手のひらコンサート」にかける想いと、今後の活動目標について聞かせてください。

 お客さんの中にはコンサート終了後に「私も自分のできることからなにかを始めようと思います」と言ってくださる方もいらっしゃいます。また、「歌に込められたメッセージを知って、いろいろ考えさせられました」という声も多くいただいています。

 私の歌を聴くことがきっかけで、皆さんが人権について少し立ち止まって考えることにつながれば、こんな嬉しいことはありません。今度行うコンサートは、東京では初めての一般的な公演です。それだけに、ぜひこの機会に多くの方々に私の歌を聴いていただきたいと思っています。

 今年はソプラノコンサートとして、初の海外公演にも挑戦しました。5月に、韓国、晋州音楽祭に招請されて、リサイタルを開催することができました。韓国側のマスコミも、大きく取り上げてくれて、歌を通した日韓友好親善のお役に立てたと思います。8月にはイタリア公演を行い、ベッルーノのTVに放映され、高い評価をいただいたことは、生涯忘れられない体験です。

 私はいろいろ遠回りをしながら、歌を続けてきましたが、その分人権について深く考えられるようになったのではないかと思います。

 今後は誰と競争するというわけではなく、声と歌にさらに磨きをかけ、皆さんにもっともっと感動していただけるような歌手になれるよう、自分の可能性をどこまでも追求していきたいと思っています。

写真:渡辺さん歌唱姿

小さな手のひらコンサートより

同和問題(部落間題)とは?

 同和問題は、封建時代の身分制度や歴史的、社会的に形成された人々の意識に起因する差別が、現在もなおさまざまなかたちで現れている、わが国固有の人権問題です。

 人は、自分の意志で生まれるところを選ぶことができません。にもかかわらず、同和地区(被差別部落)の出身という理由で様々な差別をうけ、基本的人権を侵害されている人々がいます。

 今でも、結婚や交際に反対したり、就職希望者本人や家族の状況について企業が身元調査する事件も起きています。また、公共施設等への落書き、差別的な文書の送り付け、インターネットを使った悪質な書き込みなどの行為が起きています。

 最近では、同和地区出身者の自宅などに、差別はがきや手紙が、都内だけで250通以上も送りつけられるという事件が発生しました。その内容は、「人権はない」「住めないようにしてやる」などと同和地区出身者に対する誹謗・中傷・脅迫を内容とするものです。手口も、被害者宅だけでなく近所にも送りつけたり、さらには、被害者の名前をかたって物品を発注したりするなど、非常に悪質なものでした。

 このような行為は、被害者の名誉を傷つけ、生活を脅かし、精神的苦痛を与えるだけでなく、新たな差別を助長するもので、決して許されるものではありません。

 東京都や区市町村は、国等とともに、このような差別の解消に向け、啓発や相談などに取り組んでいます。

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