東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第20号(平成15年12月1日発行)

特集

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拉致行為は重大な人権侵害 事件を風化させないために

2002年9月17日、日朝首脳会談において朝鮮民主主義人民共和国が日本人拉致の事実を認め、拉致被害者の5人が帰国したことは皆さんの記憶にも新しいことでしょう。しかし、羽田空港に到着したチャーター機から、横田めぐみさんが姿を現すことはありませんでした。
日朝首脳会談から一年が過ぎたこの時期(10月8日現在)、あらためてめぐみさんの両親である横田滋さん・早紀江さんご夫妻に、その胸中をうかがいました。

PROFILE

お二人の写真

横田 滋・早紀江さん

横田 滋さん 1932年、徳島県生まれ。51年札幌南高校卒業(第1期)。51年日本銀行に入行。札幌、名古屋、広島、新潟、前橋の各支店や本店勤務を経て、93年に定年退職

 横田 早紀江さん1936年、京都市生まれ

 夫妻は1962年に結婚し、名古屋支店時代の64年10月に長女めぐみさんが誕生した。

<めぐみさん拉致事件の経緯>

 新潟に転勤した翌年77年の11月15日夕方、当時中学1年生だった長女めぐみさんが下校中に突然消息を絶った。20年後の97年1月、亡命した朝鮮民主主義人民共和国元工作員の証言などから、めぐみさんが朝鮮民主主義人民共和国に拉致され、平壌(ピョンヤン)で暮らしている可能性が浮上。滋さんは3月、他の行方不明者の家族と「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」を結成、現在まで代表を務め、政府などに真相究明と救出を求める活動を先導してきた。早紀江さんは、99年10月、自著『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』(草思社)を出版し、既に11刷を重ねる。

 2002年9月の日朝首脳会談で、朝鮮民主主義人民共和国は拉致を認め、「めぐみさんは死亡」と発表。翌10月、日本政府の調査団と面会したキム・ヘギョンさん(15歳)がDNA鑑定の結果、めぐみさんの娘であることが確認された。

事件が解決に向かうためには皆さんのご理解とご協力がどうしても必要なんです。

日朝首脳会談から約一年が経過しましたが、これまでに心境の変化などはありましたか?

滋さん 現在のところはひたすら待っている状態ですので、とくに大きな心境の変化はありません。「待つ」というのは北朝鮮に対してプレッシャーをかけることにもつながりますから、たしかに立派な作戦になり得るのでしょう。ただし、それはある程度、先の見通しが立って初めて納得できる戦術だと思うんです。でも、今の私たちにはそれがありません。だから焦る気持ちもいまだに強くありますし、もちろん不安な気持ちがなくなったわけでもありません。最近は国際的にも北朝鮮の拉致に対する認知度は高まってきていますが、問題の核心については昨年の10月15日((注)拉致被害者の5人が帰国した日)からそれほど変わっていないというのが、率直な感想です。これ以上、時間が経過してしまうと、被害者の家族も高齢化していくわけですから……やはり一日も早く解決することを願うばかりです。

早紀江さん 去年の今頃は、もっと早く解決するのでは、と思っていたのですが……正直なところ、残念な気持ちでいっぱいです。難しい国を相手にしているわけですから、仕方がない部分もあるとは思います。それでも拉致という行為は、重大な人権侵害です。それが日本国内で起きたわけですから、もっと迅速な対応ができなかったのかと、どうしても思ってしまうのです。たとえば、皆さんのご子息が同じような被害に遭われたとしたら、親として私たちと同じような考えをお持ちになるのではないでしょうか。これは決して他人事ではなく、誰の身に起こったとしても不思議ではないのです。ですから皆さんには事件を風化させないためにも、さらなるご理解とご協力をいただけたらと思っています。

つい先日、めぐみさんの39回目の誕生日(10月5日)にあたって、拉致被害者の曽我ひとみさんから手紙が寄せられたそうですね?

滋さん 私たちもたいへん驚いたのですが、封を開けてみると、手紙の文面は「お父さん、お母さん。こんにちは」という言葉で始まっていました。ひとみさんは私たちのことを「お父さん」「お母さん」と……そう呼んでくれるのです。手紙の内容は「1979(昭和54)年、めぐみさんの15回目の誕生日を一緒にお祝いした時のことをお知らせします」というものでした。その日は北朝鮮の指導員が運転するクルマに乗せてもらって、ドライブに出かけたそうです。帰宅後に出された昼食はとても豪華なもので、あちらで世話をしてくれていた女性の方がバースデーケーキまで用意してくれていた、と。どうやらその女性は、ひとみさんとめぐみが、なぜ北朝鮮にいるのかはよくわかっていなかったそうですが、「本当のお母さんと一緒だったら、もっとおいしいものが食べられたのに……ごめんね」と話したそうです。こうして、たとえ一時でもあちらで親切にしてもらっていたということがわかり、私たちも少しだけ安心できました。

早紀江さん 私も手紙を受け取った時は、本当にびっくりしました。したためられていた内容は、めぐみが拉致されてから2年後のことですから、おそらく徹底的に朝鮮語を教え込まれていた頃だと思います。そんな不安な時期に、曽我さんがものすごく大きなプレゼントをしてくれていたんだと思うと……本当に感慨無量です。

悪いのは個人ではない。
在日コリアンとの話し合いで彼らの苦悩を初めて知りました。

拉致報道以降、全国各地で集会が開催されていますが、そのなかで横田さんご夫妻は「在日コリアンの集い」にも参加されています。その時の反応などについて教えてください。

滋さん 参加する前は「強制連行問題や従軍慰安婦問題などに必ず巻き込まれるだろうから、やめたほうがいい」という意見もあったのですが、反対に「その心配はない」とおっしゃる方もいました。結局、私たちは参加することに決めたのですが、実際に行ってみると、当初懸念していたことを持ち出す人は誰もいなかったんです。それどころか「本国の政府が拉致はないと言い続けてきたので、私たちもそれを信じてきたのですが……本当に申し訳ない」とおっしゃる方をはじめ、とにかく謝罪をしたいという声が多かったことに驚かされました。そして、そこでは最終的に「将来的には両国がお互いのことを尊重し、協力し合えるような関係を築いていきましょう」という話でまとめることができたのです。ですから私としても、在日コリアンの方々とお話しする機会が持てたことは、本当によかったと思っています。

早紀江さん 9月17日の報道以来、在日コリアンの方々が相当なショックを受けておられるだろうな、ということは想像がついていました。それだけでなく、在日コリアンの子どもたちが、いじめなどの被害に遭っているとお聞きして……そのたびに「個人が悪いわけじゃないのに」と、非常に残念に思っていました。そして実際に会場に集まってくださった方々のお話を聞いて「在日コリアンの皆さんが、ここまで苦しんでいたなんて」と、初めて気がついたんです。ある意味、在日の方々も被害者だと言えるのではないでしょうか。でも、個人として本音で語り合うことができれば、お互いのことを深く理解し合うことができるのです。悪いのは、決して個人ではありません。そのことは、声を大にして申し上げたいと思います。

すべての被害者が帰国を果たし笑顔で家族会を解散する日まで私たちは決して諦めません。

国民の皆さんの反応のなかで、とくに印象に残ったエピソードや勇気づけられたことなどはありますか?

写真:滋さん

写真:早紀江さん

早紀江さん そうですね……たしかに、いろいろとありました。

滋さん いろいろありすぎて、順位をつけるというのはなかなか(笑)

早紀江さん 初めの頃は、街頭で署名活動を行っていても、皆さんパーッと逃げていかれることもありました(笑)。それが、最近では向こうから声をかけていただいたりして……本当にありがたいことです。それだけでなく、拉致報道以降、集会に足を運んでくださる方の数が、何千人という単位で増えたことは大きな励みになりました。たとえば富山県で開催した時は、会場のお寺の本堂が2000人以上の方々でいっぱいになりました。和歌山県で開催した時には、5000人以上もの皆さんに集まっていただきました。実際にその光景を目の当たりにして、私たちもびっくりしたんです。

滋さん それだけ多くの人々がこの問題に関心を持ち、私たちの話を聞いていただいたのだと思うと、本当に言葉もないくらいです。そして、集まっていただいた皆さんはもちろん、マスコミの方々のご尽力にも、たいへん感謝しています。

早紀江さん 私たちのもとへ取材に来てくださるのは若い方が多いのですが、その時にいつも私は話すんです。「たとえば皆さんが同じ目に遭ったとしたら、ご両親の方々が一生懸命、捜されると思いますよ」と。また「あなた方のお子さんが拉致されてしまった場合、もしこのまま事件がうやむやにされてしまったらどう思いますか?」とも。すると、マスコミの方々は「事の重大さをあらためて痛感しました」と言って、よくわかってくださったように感じました。

滋さん 逆に、私たちもこの事件さえなければ、ごく普通のおじさん・おばさんとして暮らしていたはずです。残念ながら、失われてしまった時間を取り戻すことはできません。しかし、私たちを応援してくれる多くの方々のためにも、このまま何事もなかったように、時間だけが虚しく過ぎていくことだけは絶対に避けなくてはいけないと強く思います。

今後の活動予定や決意、読者の皆さんに伝えたいことなどについて聞かせてください。

滋さん 「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」では、今までのように皆で一緒に行動することはなくなると思います。すでに帰国された被害者の家族の方々とは、やはりとるべき行動が違いますから、これは仕方がないことでしょう。それでも「最後の一人が帰ってくるまで戦おう」という気持ちは、皆同じです。そして目標は、家族会の解散――すべての拉致被害者が帰国を果たした暁には「救う会」を含めて、笑顔で家族会を解散します。それが私たちの当初からの目標だったんですよ。だから“その日”を無事に迎えられるまで、最後まで諦めずに活動を続けるつもりです。一方で若い方々には、こうした非道な人権侵害など、決して起きないような社会を作り上げていってほしいと願っています。

早紀江さん 人権の専門家や大学の先生、国会議員といった識者の方々には、世間に対してもっともっとこの事件について意見を言っていただきたいんです。そうすることで、マスコミも頻繁に取り上げてくださり、結果として国民の皆さんも関心をもたれるのではないかと思うからです。事件が解決する日は、必ず来ると私は信じています。だから……これからもよろしくお願いいたします。

人権プラザを見学した横田さんご夫妻から一言

展示をご覧になるご夫妻

滋さん

普段から人権に対する認識を高めておきたいと思いました。

 「人権について考える」といっても、普通に生活している限り、身のまわりのことしか気がつかないことが多いんですよね。たとえば、地方自治体が主催する講演会で私たちがお話をさせていただく時、最近では必ずと言っていいほど手話通訳の方がつくようになりました。以前はあまり見られなかったことですから、あまり意識することはなかったのですが、それ以来、私自身も耳の不自由な方々を身近な存在として感じられるようになったんです。ですから、展示室にあったような児童虐待や外国人差別、アイヌの方々の生活などの人権にかかわる問題も、まずは知ることから始めるとよいのではないでしょうか。そのためにも、普段から人権に対する認識を高めておく必要があるな、と思いました。

見学中の早紀江さん

早紀江さん

子どもの頃から「差別はいけない」と教えられるような社会を目指すべき。

 子どもの頃から「差別をしてはいけない」ということを、大人がきちんと教えていくべきなんでしょうね。私の場合、父親がものすごく厳格な人でしたので、私自身も幼い頃から差別を憎む姿勢を教わりました。そのことは今でも父に感謝しています。そうやって「人間というのは一人ひとりが大切な命を授かって生まれてきているんだ」ということを、まずは親が教える。先生が教える。そして地域の人々が教えていく。そんな社会を作っていくように努力していく必要があると思いました。そのためのきっかけとして、まずは学校の先生方には生徒さんたちを人権プラザに連れてきていただきたいと強く思います。そして人権について、皆で一緒に考えるような教育をしてみてはどうでしょうか?

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