東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第15号(平成14年9月20日発行)

特集

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高齢者虐待問題のパイオニアが語る 日本の現状と今後の課題

田中荘司さん

日本高齢者虐待防止センター所長
田中荘司さん(日本大学教授)

ここ数年、児童虐待やDV(ドメスティック・バイオレンス)は社会問題として、メディアでも盛んに取り上げられるようになりました。ところが、高齢者に対する虐待については「加害者の多くが家族で、その実態調査が難しい」という点では共通した問題を抱えているにもかかわらず、前者に比べて、社会的な認識や法的な整備も立ち遅れているのが現状です。そこで今回は、日本で初めて高齢者虐待問題に取り組まれた田中荘司さんに、日本の現状と課題について語っていただきました。

きっかけはノルウェーから届いた一通の手紙だった

  18年ほど前、私が旧厚生省老人福祉課の専門官を務めていたころ、ノルウェーの学者であるアイダ・ハイドゥル氏から一通の手紙を受け取ったんです。内容は「日本国内では高齢者虐待の発生率は何%か?」を問うものでした。そこで実際に調べようとしたところ、当時国内では誰もその分野の研究をしていないことが判明したんです。仕方なく「わからない」と回答せざるを得ませんでした。

 その翌年には、再びハイドゥル氏から高齢者虐待のビデオが送られてきました。ショックだったのは、ノルウェーではすでに高齢者への虐待が人権問題として福祉や啓発の対象となっていることでした。これがきっかけとなり、欧米の高齢者虐待の文献調査を独自に進めたところ、欧米諸国では25〜30年くらい前から研究が進められていただけでなく、心のケアの問題に踏みこんだ法律がすでに制定されていることまでわかりました。それがずっと頭の中から離れず、厚生省を退官した後になって、ようやく本格的に高齢者虐待問題への取り組みを始めたというわけです。

高齢者虐待の110番「ヘルプライン」をスタートさせる

 まずは平成4年、研究者や福祉関係者を集めて「高齢者処遇研究会」を設立し、日本で初めて高齢者虐待の実態調査を行いました。ここで得られたアンケートの結果をもとに虐待の事例を分析したところ、おもな介護者が嫁や娘だった場合、なんと4人のうち3人までもが、なんらかのかたちで虐待経験があることがわかったんです。さらに介護者が息子の場合でも、そのうち7割もの人が虐待行為を行った経験を持つという驚くべき結果が出てきました。虐待行為のおもな要因は、介護にともなう介護者の心身疲労や以前からの人間関係不和ですが、それ以外にも家庭経済の崩壊、アルコール依存や精神障害などによる虐待など、広い意味での家族問題や医療問題が背景に潜んでいたということが明らかになりました。

 そこで、私たちができる範囲で直接社会に働きかける手段として、平成8年3月に「高齢者虐待防止センター」を設置し、週に1回ではありますが無料で電話相談(ヘルプライン)を開始したのです。相談への対応としては氏名や住所などは聞かず、匿名対応が原則です。そして虐待を受けている高齢者自身がどうしたいのかということを前提に、可能な選択肢を提示するというような形をとっています。ケースによっては、地域の在宅介護支援センターを紹介するといったこともありますが、相談という行為自体が「ベンチレーション(換気・ガス抜き)」の意味合いがあるため、「初めて虐待について話すことができた」と喜ばれている高齢者の方も多いようです。

福祉関係者の人材育成と法的な整備が急務

 平成13年度の調査で対象としたのは、虐待を受けているか虐待を受けるリスクが高い高齢者、あるいは加害者になり得る介護家族、さらに保健福祉従事者などです。調査方法としては、アンケートや虐待についての手記募集による直接調査を採用し、高齢者虐待が発生してしまう構造の把握に努めました。今回の調査には新たにホームページを開設し、Eメールや電話、FAX、手紙などの媒体もあわせて活用しました。新聞などのマスコミにも取り上げられたため、一時は電話相談が殺到することもありましたが、残念ながら数量的な調査は実現できず、事例収集のみという結果に終わりました。それでもこの調査により、施設職員を含めた福祉関係者は虐待についての知識や技術を持たず、福祉業務のひとつとしての認識が不十分であるという事実がはっきりとわかったのです。したがって今後は、高齢者の仕事に従事するすべての保健福祉関係者に対して、人権教育や虐待防止に関する専門教育を進めることが必要です。

 また、今年の4月には国連主催の第2回高齢者問題世界会議がスペインで開かれましたが、第100項・101項に「ネグレクト(保護の怠慢・拒否)、虐待及び暴力の排除」が盛り込まれました。さらに行動目標として「高齢者虐待を報告(通告)できる支援サービスの創設」が必要であるとしています。こうして世界はいち早く解決すべき福祉問題としてとらえているわけですが、国内でもこれに沿った展開が求められます。実際、介護の現場では「虐待防止マニュアル」等が整備され、また今年の1月からは国会議員を中心としたメンバーで勉強会がスタートしました。現在はすでに、法制化による虐待防止・解消への取り組みが必要な段階にきていますので、このような活動を積極的に進めて児童・女性の虐待防止法と同じような法的整備を進めていくべきでしょう。

今回の調査に寄せられた手記・電話相談から 〜虐待の温床となる介護の日常〜

事例1 嫁(介護者)からの手紙

  義母は90歳代後半で、要介護度は1。介護保険でホームヘルプ、訪問看護、デイサービスなどを利用しています。介護に対する夫や、親族の無責任・無関心を心底腹立たしく思っていますが、もしこの怒りを義母に転嫁すれば自分が虐待者になってしまうかもしれないと感じることがあります。いまでは、介護を成功に導くための鍵となるのは、介護者に対する親族の態度ではないかと考えるようになりました。とにかく一言でもいいから「ありがとう」や「何かすることはありますか?」という言葉をかけてほしいものです。実の息子たちが大事にしない母を、嫁が大事にすることは難しいと思います。

考察

 息子の妻からの手紙です。義母を在宅介護するなかで、虐待のリスクを感じるのはどんな時なのかという内容です。この文面からは、別居している実子たちが介護に無関心でねぎらいの言葉もないことに対して、どれほど苛立たしく思っているのかが伝わってきます。1993年と1997年に実施した家庭内虐待に関する調査からも、虐待の二大要因となっている「介護疲れやストレス」と「以前からの人間関係不和」のほかに「家族の理解や協力がない」ことも大きな要因となっていることがわかっています。

事例 2 実母を施設に預けている娘からの手紙

  実母は意識もしっかりしており、病気もない状態です。それでも筋肉が弱いために寝返りをうてない体なので、2年ほど前にケアセンターへ預けるようになりました。ところが1年くらい前から、夜勤にあたる男性ヘルパーがどうやら実母の頭へ枕を投げつけるようになったようなんです。最近ではさらにエスカレートして、鼻をつまんだり顔に唾を吐きかけたり、時には胸を触ったりするらしいのです。娘としては身を切られるような思いですが、こういう件についてはどこへ話を持っていったらよいのでしょう

考察

  実母が施設で虐待されているが、どのように対応したらよいのかという内容です。この訴えが事実であれば、心理的・身体的・性的内容を含む施設内虐待であるといえます。私たちはこの施設内虐待についても調査を実施したのですが、施設職員による虐待があったという回答は実に17.6%にものぼりました。それでも、みずからの施設において虐待があったと認めているところはまだ良心的なほうで、実際にはもっと多くの虐待が発生していることが推測されます。相談者の質問に対しては「まずは、施設内のほかの職員に働きかけてみる。それでも対応が不充分な場合は、外部の相談窓口へ行ってみる」という趣旨で回答しました。

事例 3 ヘルパーからの電話相談

 同居している息子が母親の介護をしているのですが、そばで聞いていると言葉の暴力がひどいのです。また、辱そう(床ずれ)がひどくなってきたため手に負えなくなったと感じた息子は、ようやくケアマネージャーに依頼することを決めました。私は1日2回、オムツ交換と辱そうの手当てをしているのですが、その間ずっとオムツが替えられていなかったり、あるいは息子が母親に平手打ちしているところを目撃したりもしました。ケアマネージャーに訴えても「それは虐待といえない」といって取り合ってくれません。どうしたらよいのでしょうか。

考察

この場合のケアマネージャーは、相談者であるヘルパーとは異なる会社の人のようです。したがって、意思の疎通が欠けているものと思われます。ケアマネージャーや訪問看護師は、身体的虐待だけをいわゆる「虐待」と見るような傾向があるため、ひどい辱そうができるほどのネグレクト(保護の怠慢・拒否)や言葉による心理的虐待に対する意識が薄いようです。早急に介護側の意見を一致させるとともに、息子へ母親の入院・入所をすすめてみることが必要でしょう。

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