東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第15号(平成14年9月20日発行)

特集

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山が好き。人間は、もっと好き。

今回のゲストは、女性初のエベレスト登頂者であると同時に、女性として世界で初めて7大陸最高峰登頂を成し遂げた田部井淳子さんです。輝かしい登山歴を持つ女性登山者としての顔、そして普通の主婦としての顔。異なるふたつの「顔」は、田部井さんの中でどのように共存してきたのでしょうか。そこには、自分の信念をかたくなに通してきた田部井さんの強さがあったようです。

写真:田部井淳子さん

田部井淳子さん (たべいじゅんこ)さん

1939年、福島県生まれ。昭和女子大学卒業後、社会人の山岳会で登山活動に力を注ぐ。1969年、女子登攀(とうはん)クラブを設立。1975年、エベレスト日本女子登山隊の副隊長兼登攀隊長として、世界最高峰エベレスト(サガルマータ)に女性として世界で初めて登頂成功。その後、1992年にはオセアニア大陸最高峰カルステンツ・ピラミッドへの登頂により、女性では世界初の7大陸最高峰登頂者となる。現在、年7〜8回海外登山に出かけるかたわら、山岳環境保護団体である日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト(HAT‐J[ハット・ジェー])の代表として、清掃登山など山岳地域の環境保護活動に奔走している。

家族に支えられ、教えられたからこそいまの自分がいる

これまで登山を続けてこられたのは、ご主人の理解と協力があったおかげだとお聞きしていますが、まずはそのあたりの話から聞かせてください。

  もともと結婚を決めた時、一人でいるよりは二人になったほうが、やりたいことができそうだなあという気持ちがあったんです。なにしろ山が好きな相手でしたから、私が山に行くことに関してもすごく協力してもらっていましたね。

  男の人って、面子とか権威とかを大事にされるじゃないですか。とくに25〜26年前では、家事をお願いすると「男のおれにそんなことをさせるのか!」っていう人がほとんどでしたから。その面で言うと、当時から主人は違っていました。ねんねこで子供をおんぶして……「ねんねこ」なんて言っても、もうわからない人もいるかもしれないのですが(笑)、とにかくそういうことを平気でやってくれましたし、べつにとりたてて恥ずかしいことだとも思っていなかったようなんです。

  そうは言っても、やっぱり世間から見れば「なんて非情な母親なんだろう」っていうことになりますよね。女性が子供やダンナを置いて外国の山へ行くなんて……と。だからよく「お宅の奥さんは非常識だ」というようなことを言われていたみたいです。

  それでも夫は「そんなこと、おれはぜんぜん迷惑だと思ってない」って言ってくれました。「女性が山に登るなんて滅多にないことなんだから、家のことや近所の評判なんかにとらわれず、隊の一員としてしっかりやってこい」と。たとえ他人になんと言われようと、うちの物差しでものごとを測ってうまくいけば、それでいい。つまり、人の評価なんかじゃ生きていけないっていうことですね。夫はそうやって“うちの物差し”を大事にしてくれていることで、家族を支え続けてくれているんです。

田部井さんがエベレストに登頂されたことで、娘さんが一時「有名人の子供」として近所や仲間内で浮いた存在になってしまったそうですが、それはどうやって乗り切っていかれたのですか。

  当時、小学生だった娘に「お母さんがそんなことをやるから、私がいろいろ言われるんだ」と。さらに「普通のお母さんのほうがよかった」とまで言われてしまいまして。私のほうにはもちろん、悪いことをしているわけではないという意識はあったのですが、かといって「なに言ってんの!」と怒鳴ってしまったら子供としては怒りのやり場がなくなっちゃう。他人には当たれないものを親にぶつけてきているわけですから、頭ごなしに否定するわけにはいかないですよね。だったら、これはもう時期を待つしかないのかなと思って、ひたすら我慢しました。

  それでも事態はさらにエスカレートして「中学校へは行かない」と言い始める始末。中学校に行ったら、またいろいろ言われてしまうということで。そうやって私にぶつかってくるわけです。その時、我慢するだけじゃなくて、「じゃあ、どうしたらあなたの気持ちが済むの?」っていうことを聞いてあげなくちゃいけないと思い直したんです。

  娘が通っていたのは近くの公立小学校でしたが、私なりにかなりのところまで譲歩して「近くの学校じゃなかったら行くの?」って聞いたら「地元以外だったら行く」って言うんです。だとしたら、東京の私立へ行くよりほかに手立てはありません。もちろん、悩みましたよ。考えて考え抜いて、でもこの子がそこまで言うのであれば、希望をかなえてあげるのが親の務めなんじゃないかと。それで結局、私立を受けさせることにしたんです。あと、学校にも事情を話して理解していただくようにしました。

  そんなささやかな努力の甲斐があってか、学校を移ってからは、だんだんと娘が変わっていってくれましたね。以前だったら考えられなかったことですが、学校であったできごとを話してくれるようになったんです。「今日はああだった、こうだった」って。毎朝5時起きでお弁当を作って送り出すのは本当に大変でしたけれど、でも何事にも代えられないですから。この時、親って逃げちゃいけないんだなって教えらましたね。子供は親にしかぶつかれないんだから、親のほうも全身で受け止めないと問題は解決できないんだな、と。

女性に対する世間の目は確かに変わったのだと実感しています

エベレストに初めて行かれた時、日本の山岳会は女性に対してどういう反応でしたか。

 '写真:登山風景

'98アルプスにて TOKYO人権

  女性だというだけで不利になってしまうようなことは、確かに昔はありましたよ。やっぱり男社会ですからね。圧倒的に男性のほうが多いので、ある程度は仕方がないことだと思うんです。たとえば、いまでこそ女性をまったく受け入れないということは少なくなりましたが、昔は男性しか入れない山岳会がけっこうありました。また、私たちがエベレストへ行くという話を聞いて、「女のクセに」だとか「女だてらに」とか、さらには「90パーセント不可能」だとか、そういったネガティブな意見が出てきたことも事実です。

  そんな感じでしたから、私たちが登頂を成功させたという報せを受けた時、山岳会のある男性が思わず手に持っていたコップを落っことしてしまったという話も耳にしました(笑)。そんなエピソードを聞いただけで、当時の風潮がだいたい想像できますよね。それでも、現在では女性の登山者もたくさんみられるようになりましたし、女性だけの山岳会も増えていますから、ずいぶん環境が変わったと思います。

田部井さんがエベレストに登られた1975年は「国際婦人年」の初年でしたが、それは実際に登られるまでご存知なかったそうですね。

写真:田部井淳子さん

 ぜんぜん知らなかったんです。メキシコで開かれていた国際婦人年の会議場にこの報せが届いた時、会場で大きな拍手が起こったということも、後から知りました。だから、ちょうどその頃に盛り上がっていた女性解放運動の一端を担ったとして報道されるのは、ちょっと違うなって思っていたんです。私たちは好きで山へ行った。ただ、それだけでしたから。決して女性の力を世間に見せつけることが目的で登ったわけじゃない。

  下山してから、当時の三木首相をはじめ多くの方々から祝電をいただいたりしても、「私たちは、そんなに大それたことをしたんだろうか」という違和感がすごくあったんです。カトマンズの記者会見で「日本に帰ったら生活が変わるか?」という質問を受けた時も困惑してしまいました。日本に帰れば私は一児の母、そして普通の主婦として出発前と変わらない日常を送るというのに……。

  ただ、それから現在までの27年間で確かに変わったと言えるのは、女性に対する世間の目でしょうね。エベレストへ登った頃は「なんて非情な母親なんだろう」なんて言っていた人が、娘が成長して結婚した時には「あんたは好き放題やってしかも立派に子供を育てて、なんて素晴らしい母親なんだろう」って言うようになりましたから。その時は「ああ、そういうふうに見られるようになったのか」って思いましたね。やっていることはまるで変わっていないのですが(笑)。だから、女性に対する見方や考え方が変わってきた背景も、私にはなんとなく実感としてわかるような気がするんです。

豊かな資源を次の世代に残すために私たちができることを考えていきたい

3年前に再びエベレストへ行かれた時、初めて登頂された時とくらべてかなり様変わりしてしまっていたそうですが。

写真:田部井淳子さん

 じつは、氷河がかなり後退してしまっていたんです。わずか25年弱であんなに変わってしまうものかと、たいへんショックを受けました。エドモンド・ヒラリーがエベレストに初登頂した1953年以来、来年で50周年を迎えるのですが、どうやら当時より5キロほど後退したらしいんです。10年で1キロって、かなりのスピードですよね。そう考えると、このままヒマラヤの氷が溶けていって、さらにアンデスの氷が溶けていって……。それが原因で、麓の村が流されてしまったり、それこそ人間がいちばん大事な水がなくなってしまったらどうするんだろうかという危惧を、嫌でも持たされました。

  今年はちょうど「国際山岳年」に当たる年です。これは、2002年は重点的に山岳地域の環境保全を促進していきましょうという内容を国連の主導で定めたものですが、これってすごくいい機会だと思うんですよ。山で起こっている問題を、みんなでもういちど考えましょう、と。

  現在、私はHAT‐J(ハット・ジェイ)という環境保護団体で、各地への清掃登山をはじめ、エベレスト山麓の村への焼却炉設置、リンゴの木の植林などといった活動を展開しています。また、2000年の3月まで通っていた九州大学の大学院では、修士論文で「エベレストのゴミ問題」をテーマに取り上げました。そんなことを続けるうちに、これまでの快適な生活を多少我慢してでも、いままで私たちが自然の中からいただいてきた恵みを次の世代に残していかなくっちゃいけないと思うようになったんです。当たり前だと思っていた水や空気だって、じつはものすごく恵まれたものなんですよね。だから、これから教育の現場では、そういった地球環境についての問題をもっともっと教えていくべきだと考えています。

それでは最後に、女性初のエベレスト登頂、そして7大陸最高峰を制覇された田部井さんが、今後の目標とされているものについて教えてください。

  いやいや、まだまだ地球は広いですから(笑)。だって、どんな小さな国でも、その国の最高峰というものがあるわけじゃないですか。たとえそれが、どんなに小さな山であったとしても。だからいまは、各国の最高峰を目指しています。

  それから、わざわざ海外にまで行かなくても、東京には奥多摩という素晴らしい自然が残っています。私が初めて奥多摩へ行ったのは大学生の頃ですが、「東京にも山があるんだ」と感激してしまったんです。都心から電車でたったの1時間ですし、気軽にトレッキングを楽しむには絶好の場所ですよね。

  私は家族の協力を得ながら、なんとか“普通の主婦”として生きてきました。一方では、自分の夢もかなえてきたつもりです。それには周囲の方々のあたたかい協力があったことも決して忘れられません。だからこれからも、そういう素晴らしい人とのつながりを大事にしながらも元気なうちはあちこち歩いて、「あ〜、おもしろかった」っていう人生が送れたらいいなって思っています。

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