東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第14号(平成14年6月24日発行)

特集

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開発援助は子育てに似ている

今回、お話をうかがったのは、ゲストとの対談を通して東京都の施策を紹介する番組「東京色」(テレビ東京)で案内役を務め、都政にも理解が深い紺野美沙子さんです。女優として、また一児の母としても多忙な毎日を送る紺野さんに、国連開発計画(UNDP)の親善大使や子育てを経験して感じたことなどについて語っていただきました。

PROFILE

写真:紺野さん

紺野美沙子(こんのみさこ)さん

女優。東京都生まれ。慶應大学卒。1980年、NHK連続テレビ小説「虹を織る」のヒロイン役で人気を博す。「紺野美沙子の科学館」(テレビ朝日)では15年間司会を務める。テレビ・映画・舞台で活躍のかたわら、1998年、国連開発計画(UNDP)の親善大使の任命を受け、カンボジア、パレスチナ、ブータンなどを視察するなど、国際協力の分野でも活躍中。著書に『「怪獣」の育て方』(世界文化社)ほか多数。

開発援助は、地道で時間がかかる忍耐のいる仕事

国連開発計画(UNDP)の親善大使とは、どんなことをするのが仕事なのでしょうか。

 UNDPが世界中でどのような活動をしているのかということを、一人でも多くの方に知っていただくことが仕事です。いわば、広報ウーマンのような役割ですね。具体的な活動としては、年に一回、国連開発計画が支援・開発プロジェクトを行っている途上国を訪ねます。そして、視察した様子についてマスコミを通じてお話しをするとか、UNDP主催のシンポジウムに出席したりですとか、あとは要請があれば出かけていって私の体験をお話をさせていただいたりしています。

 親善大使としての初仕事は、カンボジアへの視察でした。1999年5月のことですから、ちょうど3年前です。印象的だったことはたくさんありましたが、たとえばアンコールワットへ行った時、同行してくださった国連の方が「このアンコールワットにはカンボジアの光と影があります。そのあたりをよく見ていってください」っておっしゃったんです。光の部分はもちろん、カンボジア観光の目玉となるクメール帝国の素晴らしい栄華の跡ですよね。ユネスコの世界遺産にも指定されていますし。でも、そこに一歩足を踏み入れると、石畳の広い参道に物乞いの人たちの姿があったのです。地雷の被害を受けた方や子どもを抱えた母親、それに老婆の姿もありました。それだけでなく、建物の中に入ると沢山の子どもたちが何かを売り込もうとしてくるのです。絵葉書を差し出したり、いきなりガイドを始めたり、暑いからということで、私に向かって扇ぎ始めてみたり。

 失業率が高いとは聞いていましたが、実際に現実を目の当たりにして、あらためてその厳しさを思い知らされたような気がします。とくに女性はまだまだ地位が低いそうで、働きたくてもなかなか働き口がない。「ここには光と影がある」という言葉は、まさにそういった意味だったんだろうなって、胸に迫るものがありましたね。

現在、カンボジアでは女性を救うための支援プロジェクトが行われているそうですが、実際に視察された印象はどうでしたか。

 たとえば担保のない貧しい女性たちのために、米ドルに換算して10ドル、20ドルというわずかなお金を貸しつけているカンボジア地域経済開発協会(ACLEDA)という小規模融資機関がありました。ここでは、かごを編んだり縫い物をしたりといった、内職を始めるための資金を融資しているんです。私もタケオというところで、実際に融資を受けている女性と会ってきました。話によると最初に30ドルを借りて、その後、収入を得ては一部を返済に充て、残りのお金を少しずつ貯めるといったことを繰り返したそうです。彼女はもともと家も土地も持っていなかったのですが、こうしてコツコツとお金を貯めて35ドルのミシンを買い、水田を買い、豚を買い、そしてとうとう雑貨屋まで始めて兼業農家にまでなることができたと言って喜んでいました。

 ほかにも正しい保健衛生の知識を身につけてもらうための母子健康プロジェクトや、識字率の低いカンボジアの女性たちを集めた識字教育の現場にもおじゃましました。こうしたことによって、たとえば子どもが不衛生な水を飲んで病気になってしまうことも少なくなりますし、また仮に病気になった時にも、処方してもらう薬に書かれた字が読めるようになるのです。

 こうして女性たちが貧困から立ち上がるためのいろいろな試みが行われていたわけですが、実際に現地を視察してみて分かったのは「開発援助というのは、とても時間のかかるものなんだ」ということです。人道援助が「困っている人たちにお米をあげること」だとしたら、UNDPが行っている開発援助は「困っている人にお米の育て方を学んでもらうこと」だと。簡単に言えば、そういうことなんじゃないでしょうか。あと、地味だけどとても大切で忍耐のいる仕事という意味では、ちょっと子育てに似てるなって思いました。

ほんのちょっとしたことでも関心がなければ気づかない

一児の母として仕事と家庭を両立されていらっしゃる紺野さんですが、子育てを経験して初めて気づいたこともあるそうですね。

 これについては『「怪獣」の育て方』という本にも書いたのですが、たとえば道路には車道と歩道の間に小さな段差がありますよね。これ、ベビーカーを押して歩いていると、すごく気になってしまうんです。横断歩道を渡って車道から歩道へ乗り上げようとすると、必ず段差にひっかかってしまいますから。それはわずか5センチ程度のものですけれども、その都度立ち止まって前輪を持ち上げるのは、本当に骨の折れる作業です。

 ところが、スウェーデンやデンマークといった北欧の国々には、この段差がありません。以前、仕事で行った時に驚かされたのですが、ベビーカーや車椅子がスムーズに通行できるようにと、どこもなだらかなスロープになっているんです。また、障害者の方たちを街でよく目にするのも、日本と違って人々の受け入れ体制が整っているためなのだと納得しました。それに、ベビーカーを押している男性が非常に多かったんですね。これも男女平等が当たり前の北欧では珍しくない光景なのだそうです。

 こうしてその時は「日本の街は弱者に厳しい造りになっているんだな」と実感して帰国したのですが、しばらくたったある日、新聞の投書欄に目がとまりました。それは目の不自由な方は、まさにその小さな段差によって車道と歩道の分かれ目を認識している、という声でした。私自身、これからはやっぱりバリアフリーの方向へ進むべきだと思うのですが、ただその記事を読んで、単純に国や地域の事情を自分の都合だけで判断してはいけないんだなって考えさせられましたね。

 「親の心は親になってみないと分からない」というのは、まさにその通りです。子どもを持ったことで、いままでまったく見えなかったものが急に見えてきたような気がしますから。それでも結局、いろんな立場の人々がいて、それぞれの立場をよく考えないと見えてこないものもあるんだなって、いまではそう思っています。

学生時代に経験されたボランティアは、その後の紺野さんにどんな影響を与えているとお考えですか。

顔写真

 「こんな私でよかったら」って思ったことが、いまの活動の原点となっているのかもしれません。

 まだ“ボランティア”という言葉が使われていなかった中学生の頃、学校に「奉仕の会」という有志の集まりがありました。それはあくまで課外授業だったのですが、私の通っていた学校はそういった活動にごく自然に参加するような雰囲気があったんです。具体的には、近くの老人ホームに出かけていってお年寄りの相手をしたり、お掃除を手伝ったり、バザーをしたりしていました。私には、とくにこれといってできることはなかったのですが、「おじいちゃん、おばあちゃん、今日も来たよ」って言うだけで本当に喜んでくださるお年寄りの方がいたことは、すごく嬉しかったですね。私のことを、こんなに心待ちにしてくれている方たちがいるんだなって。それがとても印象に残ってます。

 ボランティアって、基本は一人ひとりの助け合いなのですが、大切なのはまず関心を持つことだと思うんです。障害のある方やお年寄りの方に対しても、現状を知ろうとしなければどんなことに困っていらっしゃるのか分からないですよね。たとえば先ほどのベビーカーについてもそうです。自分自身がその立場になって初めて子連れのお母さんたちの苦労が分かったような気がしたものですから。あるいは車椅子の方だったらどうかなと考えると、頭では理解していても、実際に関心を持たないことには見えないことっていっぱいあると思うんです。

 だから、まず最初の一歩は、身近な第三者に関心を持ってみるのがいいんじゃないでしょうか。家族のことでもいいし、友達のことでもいい。自分の地域のことや困っている国の問題など、まず、ひとつのことをじっくり考えてみる。いずれにしても、相手を思いやる心って、こうしたことで初めて芽生えてくるものなんでしょうね。

「私だからできること」を大切にしていろんな場所で長く活動していきたい

最後に、紺野さんがこれからの活動で目標としていることについて聞かせてください。

顔写真

 環境問題や教育の問題には興味がありますね。もちろん本業は女優ですから、そちらのほうもしっかりやっていきたいというのはあります。でも、女優をやっている私だからこそできる仕事があるということも確かなんですよ。基本的には夢や希望や元気をおすそ分けする仕事だと思っていますから、人の心が温かくなったり元気が出たりするような活動でしたら、ジャンルを問わずに続けていきたいです。

 親善大使の仕事に関しても、最初にお話をいただいた時は正直に言って「国連開発計画」という名前も知らなければ、何をする機関なのかということさえ、まったく知りませんでした。それでもお引き受けしようと思ったのは、やっぱり「こんな私でも何らかの力になれたら嬉しいな」という、ただその一心からだったんです。国際協力とか開発援助の専門家ではない私が実際に足を運ぶことで喜んでくださる人々がいるんだったら、やっぱりありがたいなって思います。

 ちなみによく、「日本の援助は顔が見えない」と言われますが、実は現地の方にとってはものすごく役に立っていて、本当に感謝されているんですよね。これは2年前、2000年の7月にパレスチナを視察した時に感じたのですが、あまりその事実が知られていないので残念です。国連ボランティアの方をはじめ、青年海外協力隊の方やシニア協力隊の方、いろんなNGOの方が条件の悪いところで一生懸命に働いていらっしゃる。そういったスポットの当たらない人たちを紹介していく活動を、私自身も、子育てのように時間をかけて続けていきたいですね。そして一人でも多くの方に関心を持っていただけたらいいなと思っています。

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