東京都人権啓発センター

TOKYO人権 第12号(平成13年11月16日発行)

特集

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人間は生まれながらにして人間である ~映画「本日またまた休診なり」で感じてほしいこと~

今年の人権週間行事は、俳優の山城新伍さん監督・主演による「本日またまた休診なり」の上映とご自身によるトークショーを開催します。「建前論ではなく、自分の言葉で差別を語りたい」と話す山城さんの思いを語っていただきました。

PROFILE

写真:山城新伍さん

山城新伍(やましろしんご)さん

1938年生まれ。京都府出身。1957年東映ニューフェース第4期生を経て、1959年テレビ時代劇「風小僧」で主役デビュー。その後、「白馬童子」で一躍スターに。以後、映画、舞台、テレビドラマ、バラエティー番組、CMなどで幅広く活躍している。

時代を忠実に再現することで、いろいろなことが見えてくる

映画「本日またまた休診なり」の原作である著書「現代・河原乞食考」を書いたきっかけからお話しいただけますか?

 僕が育ったのは京都の千本という所でね。千本というのは千本釈迦堂の近くです。うちは代々、醤油の醸造元だったんですが、おやじは店を継がずに医者になった。その周辺には被差別部落や在日韓国・朝鮮人の部落があって、ど真ん中で医院を開いたんです。

 おやじは雨の日も風の日も往診に行き、だれかに何かあれば、夜中でもすぐに出かけていくような医者で、「いつか身体をこわすぞ」と言われていました。治療代が払えない患者さんから、代わりに米や野菜をもらってくることもありました。僕が医者を継がなかったのは、生活がちっとも潤わなかったから。医者というと金持ちのイメージがあるけれど、おやじはまったくの貧乏医者でした。僕はこんな割に合わない仕事はないと思って、医者になる努力もしなかったんです。

 結局、おやじは糖尿病を患って、さらに結核にかかったのが原因で死にました。そんなおやじの葬式には、実にたくさんの人が集まってね。僕はびっくりしたんです。今でも撮影なんかで京都に行くと、「ぼん」とか「安っさん」とか呼ぶ声がする。僕の本名は安治というんです。だれかなと思うと、昔、うちの待合室で会った人たちなんですよ。話をするうちに「あんたの親父さんに治してもらった跡や」と、いきなり手術の跡を見せてくれたりする。そんな患者さんの姿を見るとうれしくてね。生きていた頃は分からなかったけれど、おやじっていうのは偉い人だったなと。それで、記録を残しておきたいと思ったんです。

「現代・河原乞食考」というタイトルにはどんな思いが込められているのでしょうか。

 「現代・河原乞食考」というタイトルにしたのは、僕が本の中で書いた自分の生い立ちやおやじ、おふくろの思い出、役者の世界の話が一番伝わる言葉だと思ったからです。「面白いんだけど、タイトルを変えて出版させてくれませんか」と言う出版社も多かったけれど、ぼくは絶対にこのタイトルでなければ嫌だった。タイトルを変えてまで、売れなくてもいいと。

 かつて河原は芸能の行われる場所で、芸人のことを「河原者」と言ったんです。芸を売って投げ銭をもらう者だと言われ、非常に卑しい稼業と見なされていたんですね。そういう芸人や河原に流入してきた人たちを賎しんで、河原乞食と言うようになった。だから、役者としてのルーツである、その言葉をバカにされたくないんですよ。

では、「本日またまた休診なり」は、亡きお父様へのオマージュ(賛歌)と考えていいのでしょうか。

 そうですね。でも、おやじへの尊敬の念を込めて作ったということもありますが、戦後の京都を描いておきたかったんです。自分の記憶のままに、できるだけ忠実に当時を再現しました。私が演じる主人公がせがれと将来のことを話すシーンでは、今は走っていない京都の市電まで走らせてもらいました。

 祇園町や先斗町は家並みをそのまま撮れるんですが、どの家もクーラーの室外機が置いてあるんです。これは参った。それを消すために大嫌いなCG(コンピュータ・グラフィックス)を使って直さなきゃいけなかった。そこで、制作の予算がずいぶん狂いましたね。一つ消すのに50万円ずつかかるんですから。

 映画は戦争中、B29が京都の空を越えていくシーンで始まります。当時、空を見上げていると、夕日に輝く操縦士の顔がみえたんです。京都は爆撃されませんでしたから、B29は京都を越えていくんです。そして何十分か後に遠くの空が真っ赤になる。目に焼きついている映像を再現したんですが、そのシーンもCGを使わなければいけなくて、ずいぶん苦労しました。

 声高にメッセージしているような映画ではないんです。でも、例えば、げた直しのおばさんが乳母車を押して歩いていくシーンがあって、その人が町の景色の一つとして描かれている。その人に何の意味も持たせなかったけれど、以前はそういうシーンすら許されなかったんです。その人に「わしらみたいなもんは・・・」っていうセリフを言わせなくても、姿だけでその人の立場が氷解する。時代を忠実に再現することで、いろいろなことを考えさせる。そんな映画です。林冬子さんという評論家の方が、「戦後の京都の側面を描いた見事な映画だ」と評してくださってね。僕は一番多くの人が見た映画が一番いい映画だと思っていますから、この作品ももっと多くの人に見てほしい。劇場では昨年公開されましたが、今もあちこちの公会堂などで上映してもらっています。

差別の歴史を間近で見てきた

山城さんが育った環境が、その後の考え方などに影響しているのでしょうか。

 いろんな影響を受けていると思いますね。みんな友達になりましたし、高校ではいっしょにラグビーをやったりしました。でも、国体の予選のような大会に行くと、昨日までいっしょに練習していたのに、在日韓国人の友人だけが外されるんですよ。日本国籍ではなかったために出場できないんです。「何でだろうな」と矛盾を感じていました。ぼくが「みんな同じ顔してるんだからわからへん。だまって出ろよ」と言って出させたんだけど、結局、途中で見つかってチームが失格になったこともありました。

 被差別部落に生まれた友人から悩みを打ち明けられたこともあったし、部落出身の子との恋愛を親に反対されたり、泣く泣く別れたりした友人もたくさん見てきました。差別の歴史を間近で見てきたと言ってもいいでしょうね。

 おやじの病院に来る患者さんも、被差別部落の人や在日韓国人・朝鮮人が多かった。あるとき、患者さんの名前を呼ぶのを聞いて、聞き慣れない民族名の語感が面白くて笑ったことがあった。そうしたら、「その国の人たちの誇りであり、文化である言葉や名前を、ただ、面白いっていう自分の解釈だけで笑った」と、おやじにさんざん殴られてね。普段はめったに怒らない人でしたけれど、僕が差別的な発言でもしようものなら、ものすごい勢いで怒られました。

 おやじは「人は生まれながらにして平等であるという格言があるが、それは嘘だ、建前論だ」と。「世の中を見てみい、この資本主義の社会の中で、生まれた環境といい、受ける教育といい、才能といい、皆、それぞれ違う。人間は生まれながらにして平等なんかじゃない。人間は生まれながらにして人間である。故に平等でなくちゃならんのだ」と絶えず言っていました。

 特に京都は保守的な土地柄だから、差別や偏見も多かった。一番つらいのは結婚問題です。ぼくの友達は披露宴の式次第までできていた時に、結婚をやめなくてはいけなくなった。相手の子のお父さんが部落の人だと分かって、お母さんが自殺すると言い出したんです。そんな悲劇が今でもある。そういう出来事があるたびに「人間は生まれながらにして平等である」というのは違う。やはり「生まれながらにして人間である。だから、平等でなければいけない」が正しいんだと。おやじが言っていたとおりだと感じることは多いですね。

差別の現実を語らなければ、何も変わらない

著者の中で、塩見鮮一郎さんの小説「浅草弾左衛門」を映画化したいと書いていますね。

 差別と人間の根源に迫った作品なんです。浅草弾左衛門というのは江戸時代、関東一円の被差別民衆の頭として、強い力を持っていた人物です。一人の人物ではなく、戦国時代の終わりから明治の初めまで13代にわたる系譜を持っています。底辺に生きた被差別民衆の生活史、政治のありようを描いた作品で、これこそ差別の原点だと思うんです。悲惨な物語としてではなく、権力の表と裏、民衆のたくましさやしたたかさを、娯楽色豊かに撮ってみたいですね。

 今の映画やテレビは自主規制ばかりで、正面から部落問題や差別を取り上げようとしません。ところが、そんなテレビの世界で、通ぶったアナウンサーが、歌舞伎俳優を「成駒屋さん」「高麗屋さん」なんて呼んでいる。元々、歌舞伎の屋号というのは、江戸時代の士農工商の階級があった時の呼び方なんです。役者を賎民層から「商」の身分にするために、ごひいきが小間物屋や呉服屋を営ませて、店の名前や地名を「商」の名として名乗ったという由来があるわけです。僕はいつも「屋号ではなくて、きちんと俳優の名前で呼んでほしい人もいるかもしれませんよ」と言うんです。役者たちが苦労してきた歴史やルーツも知らないで使うべきではないでしょう。

同和問題の講演もされていますが、最後に山城さんの同和問題への考えを聞かせてください。

 以前、講演をしたとき、私の前に話をした大学の教授が、サル山のサルたちの悲劇に例えて差別を語ってね。私は「先生、いいかげんにしてくださいよ。そんな抽象論で逃げないでください」と言ったんです。いろいろな差別を見てきたから、建前論ばかり言う人には腹が立つし、現実を語らなければ何も変わらないと思いますね。

 もちろん、都会では昔のような差別は減ってきているし、意識も変わってきている。お互いを理解して、同じ人間として認めあえれば、距離なんてすぐに縮まるのにと思います。

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