TOKYO人権 第54号(平成24年6月29日発行)

インタビュー介護は「する人」も「される人」も大変
 それでも私が笑顔でいられた理由

 SFやファンタジー文学の評論家である小谷真理(こたにまり)さんは、義母の千鶴子(ちづこ)さんを、3年にわたる介護の末に看取りました。突然やってきた初めての介護にとまどいながらも、小谷さんは自身の仕事も続けつつ、前向きで明るい介護をしてきました。それを可能にしたのは、夫で米文学研究者の巽孝之(たつみたかゆき)さんの理解と協力、そしてSNS(注)の公開日記に自らの胸の内を綴ることによって生まれた仲間たちとの交流だったそうです。そんな小谷さんに、介護のコツや、介護を通して知ったことなどをお聞きしました。

(注)Social Networking Serviceの略。インターネット上の交流サイトのこと。

PROFILE

小谷 真理さん
(こたにまり)
(SF&ファンタジー評論家)

写真:小谷真理さん

1958年、富山県生まれ。SF&ファンタジー評論家。薬剤師として医療機関勤務を経て、評論家となる。日本のSF・ファンタジー文学の評論に、初めて本格的にフェミニズム的観点を導入した。著書『女性状無意識』(勁草書房)で1994年度日本SF大賞受賞。日本SF作家クラブ会員。ジェンダーSF研究会発起人。2003年より日本ペンクラブ女性作家委員会委員長。2010年、義母を介護し看取るまでを綴ったインターネット上の公開日記を『リス子のSF、ときどき介護日記』(以文社)にまとめ出版。その他に『聖母エヴァンゲリオン』(マガジンハウス)、『ファンタジーの冒険』(ちくま新書)、『ハリー・ポッターをばっちり読み解く7つの鍵』(平凡社)、『エイリアン・ベッドフェロウズ』(松柏社)、『星のカギ、魔法の小箱』(中央公論新社)など著書多数。

─義理のお母さんを介護することになったいきさつは?
写真:小谷真理さん

 実は、介護が始まるまで、義父母とはほとんど交流がありませんでした。本来の義母はとても社交的で活発な人だったようですが、40代で心臓を患ってからは色々と制限されることが多く、気持ちに余裕がなくなってしまったみたいです。夫は、「母はとても気の強い人だから、なるべく僕の実家には行かないように」と言って私を遠ざけ、かばってくれていたようでした。それで、我が家からは車で10分ほどの距離にもかかわらず、お正月に挨拶に行くだけの関係だったのです。

 こうした義母の性格は、本人の本質的なことに加え、時代背景も大きく影響していたと思います。戦争で全てを失い、どん底から今日の地位や生活を築いてきた世代ですから、色々な意味で「強い」。絆に対する意識も強いし、自分たちが築いてきたものに対する執着心も強い。そうした世代と、経済的にも精神的にも余裕をもってぬくぬくと育った戦後世代の私たちとでは、あらゆる場面で考え方が違うわけです。だから、同居は最初から考えられませんでした。

 そんなわけで、私たちは夫婦二人だけで生活をしていたのですが、ある日、義母が脳出血で倒れてしまい、介護が始まりました。義母をよく知る人たちからは、「よくあんなわがままな人の世話ができるわね」と言われましたが、私はあまり抵抗を感じませんでした。それまで付き合いが無かった分、衝突したことも無く、お互いの間にギクシャクするものも無かった。だからこそ、私は義母を介護できたのだと思います。

 私は、身体を壊して性格が変わってしまってからの義母のことしか知りません。本来の彼女を知らない。そのことは、今でも少し残念に思いますね。元気なころの義母となら、もっと仲良くなれたのかもしれないなあって。

─介護をしていて、何が一番大変でしたか?

 介護は、肉体的にも精神的にも経済的にも大変。介護生活が続くと、まず体が疲れます。それでも、しっかり眠れているうちはいいのですが、私の場合は、なんだか不眠になってしまって。それに加えて、更年期の時期と重なってしまったものだから、さらにつらい。そのうえ、介護のせいで私は本業の仕事が満足にできず収入が減り、ますます不愉快になる。そうなると、「私もしんどいのに、どうして他人の介護なんかしなくちゃならないの?」と精神的に追い詰められていくんですね。けれど、私たち夫婦にとっての救いは、経済的に逼迫はしなかったことです。介護には何かとお金がかかるんです。金銭的な問題で介護に困っている人たちも多いとよく聞きます。しかし、義母は戦後の貧しさを知っているだけあって、たくさん貯金していたので助かりました。もし、そうでなかったら、私たちは完全に“介護貧乏”になっていたと思います。

─上手に介護を続けるコツは何でしょうか?

 それはとにかく「怒らないこと」。お年寄りにも怒らないし、自分にも甘くていいし、夫のことも責めない。これが介護のコツだと思います。困ったことが起こったら、SFやファンタジーのありえない状況になぞらえて面白がってしまうのも私の場合には良かったです。

写真:小谷真理さん

 あとは、上手にガス抜きをすることですね。介護をしている人が必要としていることは、労りの言葉なんです。間違っても、批判などされたくないわけで。本来だったら、バーにでも行って、店員さんに優しく話を聞いてもらうのでしょうけれど、私はSNSの仲間に癒してもらっていました。SNSは仲良しクラブみたいな側面もあるから、みんな思いやりを持って聞き役に徹し、「大変ね」、「そんなに疲れちゃって大丈夫?」と労わってくれる。そんなSNSという空間とそこに集まる人たちに、私は精神的にすごく救われました。

 また、うちの場合は、夫が「徹底的に妻を甘やかす作戦」を決行したことが功を奏しました。私の顔を見るたびに「君は素敵だ」、「君は最高だ」と言って、私を頻繁に外に連れ出しては、美味しいものを食べさせてくれて。不満の矛先が自分に向かないための防御でもあったのだとは思いますが(笑)。

─介護することを通して知ったこととは?

 介護というと、どうしても介護する側の大変さだけが取り上げられますが、介護される側も大変なんですよ。私は今、義父の介護をしているのですが、当初は、義父自身が介護を受けることに慣れていないために、色々なトラブルが起きました。

 介護される人は、自分で身の回りのことが出来ないのを、とても恥ずかしく感じているんです。それが排泄に関わることだったりすると、なおさらですよね。でも、介護を受けることは決して恥ずかしいことではないと分かってもらうことが、とても重要なんです。例えば、「尿漏れを防止するリハビリパンツを使うことは恥ずかしいことではないし、介護されるあなたも介護する人も楽なんだよ」ってことを分かってもらう。そうでないと、介護される側は、できるだけ他人の世話にならないように頑張ってしまう。例えば、義父は認知症があるのですが、本来使い捨てのリハビリパンツを自分で洗ったりしてしまうんです。大事件の始まりです(笑)。リハビリパンツは尿の吸収剤が入っているので、洗ったりしたら水を吸ってパンパンに膨らんでしまう。以前は、義父の家に行くと、湿った巨大なキャベツのようなものが、処理に困ったのか、台所に山ほど放置されている!なんていう状況に、よく遭遇しました。

写真:義父の誕生会の様子

2007年、義父の誕生会にて。左から、夫の巽孝之さん、お義母さんの義妹・栗田孝子さん、義父の巽豊彦さん、義母の巽千鶴子さん、小谷真理さん。

 ヘルパーさんやコーディネーターさんを交えて細かい生活の取り決めをして、それをちゃんと本人に説明し、納得してもらえれば、本人も介護者もかなり楽になる。快適な介護生活を送るには、「介護される側が介護に慣れること」が必要なのだと、私は経験を通して初めて知りました。

 もう一つ知ったことは、老い方は一人ひとり異なるということ。夫の両親、自分の両親と計4人の高齢者を知っているわけですが、4人が4人、老い方が違う。だから、幸せな介護の形というのもケースバイケースで、十把一絡げにできないと思いました。例えば、義母はお嬢様育ちだったので、場所が老人ホームであっても、きれいなお部屋と清潔な環境と、毎日楽しいイベントがあって、人との交流が盛んな生活を望みました。一方、英文学者だった義父は、自分の好きな本に囲まれた自宅で静かに過ごすことを望む人ですし。

 あとは、「長生きするなら、若い時から『可愛がられる人』でいることが大事」ってことも知りましたね(笑)。

─「嫁」と呼ばれて不愉快な経験をしたとお聞きしましたが?

 付き添いで病院などに行くと、「お嫁様」と呼ばれるんです。まず名前で呼ばれることはない。私がイヤだなと感じるのは、「嫁」という呼び名そのものではなく、そこに込められた、「嫁なんだから、お世話をして当然でしょ?」という言外の強要と、「何も知らない素人だな」という軽蔑なんです。それでわざとSNSの日記の中では「嫁キャラ」になりきっていましたが(笑)。

 義母が入院中に、リハビリを嫌がり、ハンストをしたことがありました。だれが何を言っても、食事を摂らない。困った病院は、私を呼びました。実の息子がいても、困ったときの電話はいつも、「嫁」にかかってくる。結果的には、私が食べさせたら食べてくれたのでよかったのですが、そのとき病院の人たちからは「やっぱり、お嫁様の力ですね」と言われて、「『嫁』の力かぁ。『小谷真理』の力じゃないのか…」って、褒められているんだか、馬鹿にされているんだか、よくわからなかったことを覚えています。

─お義母さんを看取るときは、どんなお気持ちでしたか?

 義母は2009年の8月に、病院で息をひきとりました。義母はずっと心臓病と付き合ってきたので、病院を怖がらない人でした。むしろ安心する場所だったみたいで。体調を崩したので介護付き有料老人ホームから病院へ入院させると、お医者さんから、あまり先が長くないことを告げられました。また、「ホームにはもう戻すことはできない」とも。それで病院にお任せしたところ、義母は延命治療のためにチューブだらけの姿になってしまいました。旅立つときって、どうしてあげるのが本人にとって一番よいことなのかなかなか判断がつかなくて、ずいぶんと悩みました。最後は、教会の神父さんにも来ていただき、安らかに旅立っていくことができましたが。ちょっと違うかもしれないけれど、「娘を嫁がせる母親」みたいな気分でしたね。

 義母が亡くなって3年になりますが、義父も今では、介護されることに慣れてくれて、私もだいぶ楽になりました。ただ、認知症がかなり進行しているので、まもなく同居を始めることにしています。私たち夫婦にとっても、週に2回、様子を見に行くよりは、そのほうが気も楽かなと。家の中のことも1軒分で済みますしね。一つ屋根の下で、義父を看つつ、自分の仕事も続けていくつもりです。そんなわけで今、義父の家にある物を減らすのに必死です。なんせ、戦後の苦労を知っている人たちは物への執着心が強いので。そういう私たち夫婦も仕事柄、本が多くて、なかなか荷物を減らせずに苦労していますけれどね(笑)。

インタビュー/鎌田晋明(東京都人権啓発センター専門員)
編集/那須 桂
撮影(誕生会の記念写真以外)/小河原 俊男

写真:冊子表紙
小谷真理 著
『リス子のSF、ときどき介護日記』
以文社 刊

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